ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【京都府】石清水八幡宮旧蔵の諸仏を拝む(八幡市文化財公開にて)

1) 石清水八幡宮旧蔵の諸仏を拝む

 京都府八幡(やわた)市の文化財公開があり、明治初めまで石清水八幡宮におられた仏像を拝観させていただいた。早朝のケーブルカーで石清水八幡宮を初めて参拝した後、下山してレンタサイクルに乗り換え、神應寺、正法寺、善法律寺を参拝。こんなに仏像の宝庫だったとは!

 特に、正法寺の丈六阿弥陀如来坐像は間近で拝観できて、大興奮。快慶作の可能性もあるそうで、奈良国立博物館「快慶」展(2017年)の図録に写真入りで掲載されていた(ただし、快慶展には出陳されていない)。阿弥陀様の説法印に胸が躍る。(伊賀の新大仏寺の丈六如来坐像を思い出すが、あちらは頭部のみが快慶という変化球だったなぁ…、などと回想シーンを交えつつ拝観した)

 善法律寺には、小さな本堂に所狭しと仏像が安置される。本尊八幡大菩薩坐像(地蔵菩薩)ほか、市指定文化財の仏像が多数。

 神應寺は行教律師坐像が平安前期。奥院に等身大の制咜迦童子矜羯羅童子

 なお、このような市主催の文化財公開は毎年春と秋に開催されているようだ。今秋は11/20-21の2日間だった。紅葉の時期にぶつけてくるとは、にくい配慮。


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2) 拝観した社寺と仏像リスト

以下、参拝した社寺とその仏像等を列記。備忘録として。

2-1) 石清水八幡宮

 奈良大安寺の行教が貞観元年(859)、宇佐八幡宮を男山に勧請したと伝わる。「木津川・宇治川桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地」。「平安京から裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受ける」(石清水八幡宮HPより)

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石清水八幡宮本殿(国宝)

2-2) 神應寺

行教律師坐像(平安前期、重文)
本堂の正面左に安置。
神應寺は八幡神を男山に勧請した行教律師が、貞観2年(860)に創建。

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行教律師坐像(平安前期、重文)。写真はお寺パンフより

2-3) 杉山谷不動尊(神應寺奥院)

制咜迦童子矜羯羅童子(室町の等身大、市指定文化財)※外陣から拝観だが、等身大の像なので、なんとか目視で見える。双眼鏡などあればなおよろしいかと。
中尊の不動明王秘仏

2-4) 正法寺

2-4-1) 収蔵庫

阿弥陀如来坐像(鎌倉、重文)像高283.0cm 彫眼 快慶?

2-4-2) 本堂

本尊阿弥陀三尊(鎌倉初期)観音勢至は三千院に似た大和座り

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正法寺阿弥陀如来坐像。丈六仏を間近で拝める。写真は快慶展(2017)図録より
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写真はお寺のパンフ等の資料より

2-5) 八角

 上記の正法寺阿弥陀如来坐像が祀られていたお堂が現存し、特別公開されていた。もともと男山西谷にあったが、明治初めに現在地(西車塚古墳)に移された。正八角形でなく、四方形の四隅を切り取った八角形(隅切形八角形)であることが特徴。
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2-6) 善法律寺

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2-6-1) 本堂

本尊八幡大菩薩坐像(地蔵菩薩坐像)市指定文化財 平安 寄木造り 彫眼 像高88cm
愛染明王坐像(本尊脇仏) 市指定文化財 13世紀後半 寄木造り 玉眼 像高115.8cm(蒲郡にある石清水八幡宮旧蔵の愛染明王像を思い出した)
不動明王坐像(本尊脇仏) 市指定文化財 13世紀 寄木造り 玉眼 像高98.4cm

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善法律寺本堂の諸仏。写真はお寺のパンフより


さらに小さな仏像も多数。左から随求菩薩坐像(7.5cm江戸)、伝吉祥天立像(牛頭天王像、82.4cm平安 焼跡あり)、毘沙門天(30.5cm鎌倉)、さらに、大黒天(40.5cm江戸)、阿弥陀如来像(48.9cm江戸)、八幡菩薩像(64.2cm江戸)

なお、本尊の裏に掛軸の八幡大菩薩像(市指定文化財)が掲げられ、特別公開されていた。

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掛軸の八幡大菩薩像(市指定文化財)の画像をあしらった特別御朱印が授与されていた
2-6-2) 阿弥陀堂(本堂奥の位牌堂)

宝冠阿弥陀如来坐像 市指定文化財 南北朝 寄木造り 玉眼 91.2cm
十一面千手観音菩薩立像 市指定文化財 13世紀後半 寄木造り 玉眼 像高137.6c m お顔が見事な鎌倉で、腕が細い 石清水八幡宮観音堂から遷座
地蔵菩薩立像 市指定文化財 平安12世紀後半 一木造り 彫眼 像高86.5cm 右手で衣の裾をつまみ、左手に錫杖を持つ(ボランティアガイドさんは、衣をつまむ例として、奈良の融念寺と長谷寺地蔵菩薩立像を挙げておられた。私もそれは思ったが、こちらは12世紀後半だから、少し時代が下るなぁと思った)

※どれも気になる仏像だった! 写真でご紹介できないのが悔しい!! 

2-7) 単伝庵(らくがき寺)

お寺の壁に落書き。昔の幸福駅を思い出したのは道産子の私だけかな。。

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小さなお堂の両端の白い壁に落書きができるそうで、様々な願い事が書かれていた

【東京】谷中の毘沙門天

谷中の毘沙門天 天王寺(東京都台東区

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 山手線の日暮里駅のすぐそばに、平安後期の見事な毘沙門天像がおられる。谷中七福神の一つで、元旦から1/10までの七福神巡礼期間に開扉され、間近でお姿を拝むことができる。
 元禄12年(1699)に天台宗に改宗する際、比叡山の円乗院から伝教大師親刻とされる毘沙門天像を遷し本尊とした。東叡山寛永寺の北方に位置するため、京都の鞍馬寺にならって毘沙門天をお迎えしたのだそうだ。戊辰戦争の時には四谷の安禅寺に避難させたという。
 これほど見事な平安後期の尊像が山手線のすぐそばに残っているとは! これだから仏像巡りやめられない。困ったことだ…
 なお、天王寺の現在の本尊は阿弥陀如来。境内の大きな銅造釈迦如来坐像は日蓮宗だった頃の造立。五重塔は目黒行人坂の火災のあと寛政3年(1791)に再建されたが、それも昭和32年(1957)に放火により焼失。幸田露伴五重塔』のモデルとなった。

拝観案内

護国山尊重院 天王寺
〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目14-8

【展覧会】ほとけの心・木のちから―蓮花寺と地域の美術(大阪府・茨木市立文化財資料館)

「ほとけの心・木のちから―蓮花寺と地域の美術」
2021年9月25日(土)~11月29日(月)
茨木市文化財資料館

 小さな展示かもしれないが、平安の霊木仏が好きな人には全力でお勧めしたい。
 蓮花寺(大阪府茨木市)の地蔵菩薩立像の修理が終わり、市立文化財資料館で展示されている。

地蔵菩薩立像
一木造り 彫眼 像高114.6cm 11世紀 府指定文化財
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 「頭頂から地付まで、木心をこめた堅一材でつくられる」と始まる展示解説。地蔵菩薩にしては「やや厳しい表情を持つのが特徴で・・・静謐な表情をみせる」ことから、「単にほとけである以上のちからを感じさせる」。穏やかな文章の中から、”これは霊木を使った特別な尊像であるにちがいない!!”という叫び声が聴こえてくる! 右肩がでこぼこしてるのは、もともとそこから枝が生えていたからではないか、という説明に悶絶しそうになったので、私も霊木仏に魅せられる人間であると改めて自覚した次第(笑)。
 蓮花寺の地蔵菩薩立像は、数年前に大阪市立美術館の展覧会で拝観して以来、ずっと忘れられずにいた。その時も感動で震えた。本展で再会が叶ったうえに、丁寧な解説で勉強になった。
 入館無料。展示解説(図録)200円。

※写真は図録より

【展覧会】アジアの女神たち(龍谷ミュージアム)~弁才天の複雑なルーツに興奮!~

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アジアの女神たち
2021年9月18日(土)~ 11月23日(火・祝)
龍谷ミュージアム

展覧会の構成

 10月半ばに前期展示を大変興味深く鑑賞した。展覧会の構成は以下のとおり(公式HPより引用)。

第1章 太古の地母神とその末裔
 メソポタミアや日本の土偶、神話に登場する女神たちを紹介します。
第2章 インドの地母神からヤクシーへ
 インドの土偶の変化と、聖樹に棲む精霊たちの登場に焦点を当てます。
第3章 インドの女神たちと仏教
 ラクシュミーと吉祥天、ハーリーティー鬼子母神など、仏教に取り入れられた女神を紹介します。
第4章 『デーヴィー・マーハートミヤ』と大女神
 インドの女神信仰の根本聖典とも言える文献に登場する恐ろしき戦闘女神と、弁才天の関係を詳しく取り上げます。
第5章 観音になった女神 ―性を超えた聖―
 男性であった観音が、女性的な変容を遂げる流れを見ていきます。

弁才天はルーツがひとつではなかったー!

 私は第3章以降が特に興味深かった。インドの女神が日本の弁才天や吉祥天、観音菩薩として受容(?)されるという内容で、とても難しいのだが、おもしろい。海外からの視点で日本の仏像を見るということはとても新鮮だった!
 特に興味をもったのが、琵琶を持つ弁才天と八臂の弁才天はそのルーツが異なる(サラスヴァティードゥルガー)という説明だった。
 日本で弁才天といえば、琵琶を抱えた技芸の女神としての優しいお姿と、八臂に武器を持つ凛々しいお姿とがあるが(たとえば、神奈川の江島神社などに作例が残る)、琵琶を持つ弁才天のルーツが『リグ・ヴェーダ』に登場するサラスヴァティーであり、八臂の弁才天のルーツはインドの戦闘の女神ドゥルガーにあるのだそうだ。八臂弁才天はさらに宇賀神(とぐろを巻いた蛇のお姿)と習合し、独自の尊容となる。おもしろい!
 ラクシュミーは吉祥天に、ハーリーティー鬼子母神となったのだが、弁才天はこのような一対一の対応では済まなかった! もっと複雑なのだ。

インド女神たちと仏教/観音になった女神

 インド女神が日本に来てどのように変容したのか。自分のメモよりリスト化して載せておく(なにぶん素人なので、間違いがあったら教えてください)。

インド女神たちと仏教
ラクシュミー(財宝の女神、ヴィシュヌ神の妃) → 吉祥天(功徳天)
〇ハーリーティー(訶梨帝母) → 鬼子母神
〇『リグ・ヴェーダ』に登場するサラスヴァティー → 琵琶を奏でる弁才天
〇インド女神信仰の根本聖典『デーヴィー・マーハートミヤ』に登場する戦闘の女神ドゥルガー → 八臂の弁才天(→宇賀神と習合)
〇ダキニー → 荼枳尼天
ドゥルガー → 准胝観音菩薩(多臂なので)

観音になった女神(性を超えた聖)
〇ターラー女神 → 多羅菩薩
〇チェンダー → 准胝観音菩薩
〇パンダラー女神 → 白衣観音菩薩
〇媽祖が観音と混交し、女性化すると → 魚藍観音菩薩

主な仏像展示

東大寺の訶梨帝母坐像(二月堂の参籠所食堂内に安置される現存最古の訶梨帝母坐像)(※写真は森本公穣さんTwitterより)

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東大寺二月堂下の食堂にまつられる訶梨帝母坐像(重文)

〇京都泉涌寺准胝観音菩薩坐像(17世紀)
龍王が支える蓮華座に坐す。一面三目十臂の准胝観音

〇京都仁和寺白衣観音坐像(中国南宋13世紀)

宝厳寺(滋賀)の弁才天坐像(重清・作、室町・弘治3年(1557))
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薬師寺(奈良)の吉祥天立像」(重文)
16世紀の作で、戦いの道具のほか、宝珠など福徳の象徴も手に持ち、さらに、頭上に宇賀神を抱いた、3ルーツミックス型のお姿なのだそうだ(※解説動画より)
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 上記のように、とても興味のそそられる展覧会だった。90分間の予定で訪れたのだが、あっという間に時間が過ぎた。会場で必死にメモを取っていたら、係の方がそっと近づいてきて「もうすぐ閉館時間でーす」と。やむなく退散したのだった。

 なお、今、この記事を書くにあたり、改めて公式HPをのぞいたところ、図録が売り切れていた。。。もはや古書を探すしかない。。。
 ご参考までに、以下に公式情報を貼っておく。特に、YouTube解説動画が詳しくて勉強になる。

【展覧会案内】

〇公式サイト
秋季特別展「アジアの女神たち」|龍谷ミュージアム
龍谷ミュージアム「アジアの女神たち」解説動画(詳しく勉強したいかたはぜひ!)
youtu.be
〇フライヤー
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【京都】智福院で秘仏五劫思惟阿弥陀仏の初公開〜月の光と五劫〜

智福院(京都市)五劫思惟阿弥陀仏の初公開

公開期間=2021.11.6-12.5

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 永観堂の入り口にある智福院で、五劫思惟阿弥陀如来坐像が初公開。この絵のように、お腹の前で両手を隠しており、奈良の五劫院の本尊様を小さくしたような感じだった。間近で見上げると、口をキュッと結んださまが幼子のようにも見え、可愛らしかった。

 初公開のきっかけは、五劫思惟阿弥陀仏のお厨子が新調されたことによる。新しいお厨子の扉には、月の満ち欠けが描かれ、五劫という時の流れが表現されていた。月齢の1サイクルは五劫思惟よりだいぶ短いのだが、そのサイクルが積み重なることにより、いつか五劫という長い年月になる。私はそれを美しいと思った。

 そして、月つながりで、堂内には静かにドビュッシーの「月の光」が流れていた。智福院の前は紅葉の永観堂に並ぶ人だかりで、案内係の声などでざわついていたが、智福院の中は本当に静かに時が流れていた。

 五劫思惟阿弥陀仏の近く、お位牌の並ぶところに古い観音菩薩立像があり、伺ったところ平安仏だという文化財未指定だそうだ。京都には、まだまだ古仏が人知れず潜んでおられるのだろう。

 ご本尊の阿弥陀如来坐像は像高2メートル弱ぐらいだろうか。気品あふれる尊容から藤末鎌初かと思ったが、お寺の方に伺ったところ、江戸時代のものだという。光背の千体仏も見事だった。そして、ドビュッシーがとても似合っていた。

 そういう訳で、最近「月の光」を繰り返し聴いている。お寺とクラッシック音楽は実はとてもよく合うのでは。

拝観案内

智福院
〒606-8445 京都市左京区永観堂町41
TEL 075-771-1829

参考資料

1) KBS京都のニュース
京都・智福院で「アフロ仏」初公開www.kbs-kyoto.co.jp
2) 智福院で配布された資料

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A5ぐらいのサイズの表と裏。素敵なチケット兼拝観案内だった!

【山梨県】円光院(甲府市)刀八毘沙門天及び勝軍地蔵像とご本尊釈迦如来坐像


円光院(山梨県甲府市)特別公開

 甲府五山の一つで、武田信玄正室三条夫人の菩提寺である円光院で、甲府市主催の文化財公開があり、七条仏師による刀八毘沙門天と勝軍地蔵のお厨子が開かれた。普段は4月の信玄祭りの際にのみ公開される秘仏である。小さいながら、匠の技がぎゅっと詰まった見事なお像だった。そして、鎌倉後期のご本尊釈迦如来坐像にも惹かれた。

木造刀八毘沙門天及び勝軍地蔵像(山梨県指定有形文化財

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匠の技がぎゅっと詰まっている!

 武田信玄躑躅ヶ崎館内の毘沙門堂にまつり、行軍の際にも持ち運んで、日々祈りを捧げたとされる尊像。像高は毘沙門天が32.5cm、勝軍地蔵が34.0cmと小さく、一つの厨子に並んで安置される。信玄の遺言により、三条夫人の菩提寺である円光院に贈られた。
 木造、切金、彩色、玉眼嵌入。刀八毘沙門天は正面と左右に複雑な忿怒形の顔をもち、さらに頭部に菩薩形の頭部を載せる。10本の腕のすべてに刀を握り、青い獅子に乗る。勝軍地蔵は精悍で静かなご尊顔。鎧兜に袈裟をかけ、白い馬に乗る。刀八毘沙門天、勝軍地黄はともに彩色はなく、素地で、衣や鎧に截金を施す。非常に精巧な作りで、小像ながら迫力がある。近くで見ると、截金が繊細で美しい。刀八でありながら、10の腕すべてに刀を持たせている点にもスペシャル感があり、信玄の強い思いを感じる。
 京都七条仏所の仏師康清(こうせい)の作とされる。ちなみに、恵林寺甲州市塩山)の不動明王坐像(いわゆる武田不動)は今年の調査で墨書が見つかり、康清の弟、康住の作と判明している(詳しくはこちら)。どちらも信玄が同じ工房に発注したということなのだろうか。
 また、康清の作例としては、同じ山梨県清水寺(山梨市)に、木造勝軍地蔵騎馬像(県指定文化財)がある。円光院の勝軍地蔵像とほぼ同じサイズだ。また、大徳寺総見院京都市)の木造織田信長坐像(重要文化財)も康清の作とされる。総見院豊臣秀吉が信長の菩提を弔うために建てた寺で、この織田信長像は信長の一周忌に造立されたものと考えられる。ちなみに、信長像は当初2体造られ、1体は遺体の代わりに棺に入れて焼かれたのだとか。戦国時代のこの激しい感じ、私はなかなかついていけない。信玄や秀吉をクライアントに抱えていたであろう康清さんの気苦労がしのばれる。

本尊釈迦如来坐像(鎌倉後期、文化財未指定)

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玄関に掲げられたご本尊様の写真。許可を得て撮影

 円光院のご本尊は50-60cm(私の目視)の釈迦如来坐像市の方に伺ったところ、鎌倉後期で、円派の作風に近いとされるのだとか。三条夫人が嫁入りの際に京都から持ってきた可能性が考えられるのだそう。
 文化財の指定を受けていないためか、今回の特別公開では一切言及されなかった。しかし、仏像好きおばちゃんのハートは射抜かれてしまったのだった。

拝観案内

瑞巌山円光院(臨済宗妙心寺派
〒400-0013 山梨県甲府市岩窪町500 Tel. 055-253-8144
境内に三条夫人の墓所があり、上記ご本尊の隣に立派な位牌も安置される。また、近くに信玄の墓所もある。
www16.plala.or.jp

資料

境内にある解説の看板
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【山梨県】塩澤寺(甲府市)石造地蔵菩薩坐像

厄除地蔵尊福田山塩澤寺(山梨県甲斐市
石造地蔵菩薩坐像(県指定有形文化財

塩沢寺地蔵菩薩坐像。堂外から覗き込むとその威容に驚きます
地蔵堂南アルプス。↓の辺りに加牟那塚古墳が見える。古墳の多発地帯に温泉に弘法大師

 思いかけず珍しい仏像に出会ってしまった。

 弘法大師が開湯したとされる甲府湯村温泉郷に、真言宗塩沢寺(えんたくじ)はある。決して大きくはないこの寺の寺伝には、二人のビッグネームがその名を連ねる。

 最初の一人はまさしく弘法大師。大同3年(808)、弘法大師がこの地で感得した6寸の地蔵菩薩坐像を自ら刻んだとされる。今は小さな厨子に収められ、秘仏となっている。

 もう一人が空也上人。天歴9年(955)に当地を訪れ、6尺有余の地蔵菩薩坐像をまつったとされる。

 この空也上人の地蔵菩薩像は開扉仏と呼ばれ、堂外からお姿を拝むことができる。像高約150cm、室町時代の作で県指定文化財。堂外からそっと覗き込むと、その威容に息をのんだ。
 一見普通の地蔵菩薩なのだが、調べてみると、相当変わっているようだ。石造仏なのだが、衣文には乾漆を加え、肉身部は漆箔。しかも、両手先と左足先は木を差し込んでいるという。
 さらに、この地蔵菩薩像は自然石の上に置かれた台座に坐すことから、現在の地蔵堂(重文)は地蔵菩薩像の覆屋として造られたのだとか。もろもろ普通ではない。

 この開扉仏は、毎年2月13日正午から翌14日正午まで「厄除地蔵尊大祭」の際、堂内で拝観できるそうだ。ぜひその際にお参りしたい。

【拝観案内】
厄除地蔵尊福田山塩澤寺
〒400-0073 山梨県甲府市湯村3-17-2
055-252-8556

【山梨県】青松院(甲府市)の十一面観音菩薩立像と不動明王立像と毘沙門天立像

甲州光沢山 青松院(山梨県甲府市
 事前にお電話し、訪れてみると、なんと本堂が建替中。隣の庫裡に避難中の尊像を拝ませていただいた。
 平安の十一面観音立像(県指定)と地蔵菩薩立像(市指定)、そして、江戸の毘沙門天立像。観音様が素晴らしすぎて、言葉がみつからない。ただただ癒されるし、幸せがこみあげる。
 お寺の門を出て、坂を下りると、目の前に見事な富士山。秋の冷たい風を受けながら、レンタサイクルのペダルを踏むたびに幸せで満たされた。本堂が新しくなったら、またお参りさせていただきたい。
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十一面観音立像

像高103cm。檜材で内刳りあり。11世紀。県指定有形文化財。耳朶、天衣、足首、頭上化仏は後補。
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不動明王立像

像高94cm。檜の一木造りで内刳りあり。11-12世紀。市指定有形文化財
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毘沙門天立像

像高106cm。江戸時代初期の作。十一面観音、不動明王と雰囲気が似ているように思った。もともとあった三尊のうちの毘沙門天像に似せて造られたのかと想像。
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 青松院は1522年創建の曹洞宗寺院。観音不動毘沙門天という天台系三尊が残っているのが不思議だ。曹洞宗として創建される前に密教信仰の場だったのかもしれない。
 住職が近くに塩沢寺という真言宗の古刹があると教えてくださった。帰りに塩沢寺に立ち寄ってみると、すぐそばに弘法の湯という温泉宿があり、その一帯が温泉街となっていた。
 温泉街の隣には、加尼那古墳という大きな円墳がある。この古墳は今は住宅に囲まれているが、かつては幾つもの古墳があり、今も千塚という地名となっている。
 令和3年の今年、武田信玄生誕500年を祝う甲府市だが、その歴史は武田のずっとずっと前から豊かだったのだろう。

参考

青松院ホームページに仏像の解説あり(※仏像の写真はこのHPより引用)
www.fir.gr.jp

拝観案内

曹洞宗光沢山 青松院
〒400-0075. 山梨県甲府市山宮町3314
TEL 055-251-6812

【新潟県】【展覧会】上越のみほとけ~「越後の都」の祈り~

上越市制施行50周年記念特別展
上越のみほとけー「越後の都」の祈りー
上越市立歴史博物館
2021年10月9日(土)~11月21日(日)
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 新潟県上越市の博物館で「上越のみほとけ」展を観てきた。飛鳥時代の金銅仏、奈良時代の木心乾漆仏に始まり、平安、鎌倉から江戸時代の木喰まで、上越市の仏像をクロニカルに紹介する展覧会。このように一つの地域にしぼって、ほぼ仏像だけを展示する展覧会に心からの敬意を表したい。人々の祈りが込められた仏像を通して、地域の歴史を見つめなおすことの意義は大きい。そして、仏像好きならもっと地方に目を向けなければと再認識した。
 以下、特にお気に入りの仏像を紹介したい。(※以下の番号は展覧会の作品番号を記す。写真は図録より)

4 ○ 大日如来坐像 木造 平安時代後期(十一世紀) 普泉寺

 展覧会場は2室あり、そこに30あまりの仏像が並ぶ。まず、第一展示室に入ると、普泉寺の胎蔵界大日如来坐像がどどんと目に飛び込んでくる。展覧会メインビジュアル(写真は↑)でもあるその尊容を実際に拝見すると、写真より全体に丸みがあり、どっしりしている。霊木を意識して彫り出した感じが伝わってきて、ぞくぞくする。
 のど元に丸い窪みがあるのが気になるが、図録によると、木の節の部分なのだという。「のど元にあらわれた樹木の節には、内側からみなぎるような自然のエネルギーを感じることができる」とあった。霊木仏に惹かれる私はこういうところに涙してしまう…。
 短く感想をまとめるなら、ポスター写真と本物とは詐欺じゃないかと思うほど違っており(※個人の感想です笑)、騙されたーという感じ。とてもよい騙されかただと思う。写真は見ての通りとても素敵なのだけど、実際の尊像はもっともっとウルトラスーパーに素晴らしかった!

5 ● 聖観音菩薩坐像 木造 平安時代後期(十二世紀)瑞天寺

8 ● 大日如来坐像 木造鎌倉時代(十四世紀) 田屋町内会

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150センチの聖観音坐像(瑞天寺)
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木目にどきどき。田山町の胎蔵界大日如来坐像

 ガラスケースのない露出展示は、上記の普泉寺の大日如来像と、瑞天寺の大きな聖観音菩薩坐像、そして、田屋町内会の胎蔵界大日如来坐像の3躯。木彫仏にしかない独特の感覚があり、同じ場所で同じ空気を吸い込むだけでも幸せ。
 瑞天寺の観音像はケヤキの坐像で、内刳りあり。151.0cmの大きな坐像が微妙に首を傾げるのが印象に残る。
 田屋町の大日如来はヒノキの寄木造り。ご尊顔の激しい木目にドキドキする。鎌倉時代14世紀の作と考えられているそうだが、慶派の系列とはまったく違う、素朴な感じが好印象。管理される町内会の方々がうらやましい。
 

2 如来坐像 木造 奈良時代(八世紀後半) 照行寺

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照行寺の如来坐像はなんと木心乾漆

 奈良時代の木心乾漆の像が上越にあるとは。肉付き豊かで、衣文が柔らか。真宗大谷派の照行寺に戦後に檀家から寄進されたもので、それ以前の来歴は不明なのだそうだ。近年のX線調査で、玉眼が嵌入されていたことが判明。現状は漆箔で覆われ、元の眼に戻されている。
 奈良の薬師寺と福島の能満寺にも同サイズの乾漆仏があることを思い出した。

3 ○ 十一面観音菩薩立像 木造 平安時代前期(十世紀前半) 個人蔵

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10世紀後半の美しい観音立像

とにかく美しい! 穏やかで上品なご尊顔。美しい頭髪の表現。ケヤキの一木造り。十一面観音とされているが、頭上面を付けた痕跡がないことから、聖観音だった可能性もあるのだとか。

15 ◎ 善導大師立像 木造 鎌倉時代(十三世紀前半) 善導寺

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妙なる念仏の声が聴こえてくる善導大師立像

 冒頭に書いた普泉寺の大日如来像の背後に、やたらと視線を送ってくる方がおられる、、と思ったら、こちらの善導大師像だった(※妄想が走ってしまってすみません、個人の感想です)
 阿弥陀如来像の追っかけをしていると、阿弥陀三尊の両脇に法然上人と善導上人がおられるのをよく見る。浄土宗寺院では、それがデフォルト状態と言ってもよいのではないかと思う。善導上人は腰から下が金色だったり(菩薩になる瞬間を表現)、お口が半開きだったり(お念仏をとなえておられる)という独特のお姿であり、浄土美術好きの間ではファンが多いと思う。私はもちろん大ファンだ。そんな善導上人像の中でも、特に優れたお像がこちらの善導大師像ではないだろうか。
 写真をご覧いただきたい。この口元から「なむあみだぶ~♪」という声が今にも聴こえてきそうだ。妙音なる念仏まで表現された木彫像だと私は断言したい! 
 仏像から音が聴こえると言うと、周りの人から心配されそうだが、別に私がおかしくなったわけではない(笑)。仏像から音が聴こえるということは確かにある。例えば、三十三間堂二十八部衆の中に、シンバルみたいな楽器を手にしたお像がある。そのお像のお顔は、美しい音色をいとおしく聴いている表情に彫られている。だから、そのお像を見る人にも、楽器の音色が聴こえてくるのだ! この善導大師像からもお念仏の妙なる節回しが聴こえるくるようだった。
 実は、この善導大師像には、さらに秘密がある。お口の中に小さな穴が残っているのだそうだ。空也上人像というのをご存知だろうか。口から小さな阿弥陀如来像を6つ吹き出したような形に作られたお像だ。南無阿弥陀仏と唱えたとき、その文字の一つ一つが阿弥陀仏になった、という伝承をビジュアル化したものだ。この善導大師像も、空也上人像のように、小さな阿弥陀仏がお口から飛び出していたのかもしれない。
 長々と書いてしまったが、本当に心惹かれる善導大師像である!

 他にも漆箔の神像や室町の仏像もよかったし、木喰もまとまって展示されていた。三十数体の仏像に興奮した。企画してくださった方々に感謝を申し上げたい。

【展覧会情報】

www.city.joetsu.niigata.jp

出品目録

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【妄想拝観】奈良古刹ミステリー『大安寺ガラガラ事件』

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 えーと、来年の大安寺展のチラシを入手しました。これがとんでもないチラシでした。なんと、収蔵庫の不空羂索観音楊柳観音聖観音、四天王の7躯と、嗎堂の馬頭観音の写真が掲載されているではありませんか。写真の仏像がすべて出展されるのであれば、大安寺の重文の仏像9躯のうち8駆までが出展されるということになります。「あー、大安寺はガラガラになっちゃうよー」と思いました。これはまるで事件です! 大安寺は、修学旅行中の教室みたいにガラガラになってしまいます。

 そういうわけで、妄想がどんどん膨らみまして、ミステリー劇場『大安寺ガラガラ事件』が生まれました! 書いている間、私の脳内には『太陽にほえろ』のテーマ曲が絶えずかかってました。

 ふざけてる訳ではございません。大安寺の諸像が大好きなのです! 大安寺の諸堂で仏様を見上げて過ごした経験から生み出された妄想なのです!

 よろしければお読みください。。。

 

◇♡◇♡◇♡◇♡◇♡◇♡◇

 

奈良古刹ミステリーシリーズ第1弾 大安寺ガラガラ事件


作 はらぺこヒヨドリ


「なにー? 大安寺から仏像が消えたー!?」

 一報を聞いてベテラン刑事が駆けつけると、すでに収蔵庫はもぬけの殻。そこへ新米刑事が息を切らせて飛び込んできた。

新人「ボス、嗎堂の馬頭観音様もおられません!」

ボス「なんだって! いったいどういうことだ? 大安寺に何かトラブルでも?」

新人「いえ、収蔵庫の不空羂索、楊柳、聖観音、四天王の7名様は、それぞれ個性を認め合い、仲良く暮らされていたそうです。トラブルとは無縁です」

ボス「おお、そりゃそうだろうー」

新人「しかし、嗎堂の馬頭観音様については、心配な噂が…」

ボス「なんだと?」

新人「なんでも…(小声で)馬頭観音様は文化財指定が千手観音であることを気にされ、悩んでおられたのだとか…

ボス「なんでだよー! だって、仏像愛好家たちはそんなこと気にしてないだろー」

新人「それがですね、嗎堂の馬頭観音様は毎年3月、一か月間ご開帳なのですが…

ボス「知ってるよ、そんなことは! 仏像界の常識だろー!」

新人「す、すみません…」

ボス「まぁいい。話を続けなさい」

新人「はい。3月のご開帳の度に、ボランティアガイドの方々が『お寺では馬頭観音としておまつりしてますが、文化財指定では千手観音とされています』と説明されるのです」

ボス「たしかに」

新人「最初のうちは、馬頭観音様も特に気に留めておられなかったのですが、参拝者が来るたびに何度も何度も同じ説明されるので、だんだんと自分はいったい何者なのかと思い始めてしまったらしいのです」

ボス「アイデンティティの危機ってやつだな」

新人「はい。しかも、嗎堂には同時代の仏像がおられないことから、誰にも悩みを打ち明けられず、お一人で思い詰めてしまったようなのです

ボス「それはつらいな…」

新人「それで、馬頭観音様はお寺が閉門したある夜、こっそり収蔵庫に向かわれたそうなのです…」 

ボス「なるほど…。確かに、収蔵庫に行けば、馬頭観音様と同じ奈良時代の木彫仏と話ができるからな…」

新人「収蔵庫で悩みを打ち明けると、まず楊柳観音様が激怒されたそうです。そんな小さいことで悩むな、くよくよするな、と。自分も楊柳観音にしては強面だと言われる。でも、まったく気にしてないぞー、とまくし立てたそうです」

ボス「それは恐ろしい。馬頭に向かって罵倒とは!」

新人「ボス、こんな時に親父ギャグですかっ」

ボス「…す、すまん…」

新人「一方、隣の聖観音様は、ただ黙って馬頭様の手を握っておられたのだとか。終始微笑まれていたそうです」

ボス「とろけるような優しさだな…」

新人「激怒する楊柳観音様とにこにこ笑顔の聖観音様の間に、そっと手を差し伸べたのが、あの不空羂索観音様だったそうです」

ボス「さすが! 収蔵庫の中尊!」

新人「『お二人とも落ち着いて』と優しく声をかけられたそうです。『私たち木彫仏として造立されてから、ながーい年月が過ぎましたね。これはもう専門家に相談するしかありませんね』。そうおっしゃったそうです」

ボス「ほー!」

新人「馬頭様はうつむいた御顔を上げ、『専門家?』とつぶやきました。すると不空羂索様が『そうです、専門家のいる奈良国立博物館へ参りましょう』とおっしゃったのだそうです」

ボス「…?」

新人「楊柳観音様は怪訝な表情ながらも、まんざらではないご様子で、聖観音様はうんうんとうなずかれたそうです」

ボス「……??」

新人「その時、四天王様が壇上から勢いよく飛び降りて、『だったら、私たちが護衛しましょう!』とおっしゃったそうです」

ボス「つ、つまり、大安寺の諸仏は奈良博へ行かれたのか!?」

新人「おそらく、そうかと」

ボス「おい、新米、その話、いったい誰に聞いたんだ?」

新人「大安寺本堂のご本尊十一面観音様です。十一面観音様は大安寺に残り、みんなの分まで衆生を護るのだとおっしゃいました」

ボス「なんとありがたいことだー!」

ボスはすぐに捜査員全員に指示を出した。奈良国立博物館へ行け、と!


おしまい

 

◇♡◇♡◇♡◇♡◇♡◇♡◇

 

というわけで、展覧会を楽しみにしています!

 

【展覧会情報】
特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」

令和4年(2022)4月23日 (土)~令和4年(2022)6月19日 (日)

西新館(奈良国立博物館

www.narahaku.go.jp

 

【昔の参拝記録】 

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com

【多摩仏】小野神社の木造随身像(東京都多摩市)

 小野神社(東京都多摩市)の木造随身像は東京文化財ウィークの一環として、毎年11月頃に1日だけ特別公開されている。
 ガラス越しではあるが、複雑な表情を間近で目にすることができ、感動する。実は、毎年公開されていることは知っていたのだが、都などの資料にある写真がイマイチで、、、昨年の公開時にやっと初めてお参りした次第。こんなに立派なお像なら、もっと早くにお参りしておくべきだった。何事も”食わず嫌い”はよくない! 

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正面左の古いほうの随身像。仏像では見かけないこの複雑な表情が素敵

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 木造随身椅像は、小野神社境内の収蔵庫に2躯並んで安置される。どちらも檜材の寄木造り。東京都指定有形文化財
 挿首内や胴部内側に墨書があるそうで、東京都の解説よると、正面左側の随身像(吽像)は、元応元年(1319)、因幡法橋王円(おうえん)が手がけた。総高74.5cm。
 正面右側の随身像(阿像)は、左の像が寛永5年(1628)に鎌倉仏師第弐宗慶によって修復された際に制作されたと考えられている。右の阿像は総高52.3cm。
 両像とも昭和50年(1975)に修理されている。素人目に見ても、右の像のお顔は新しい感じがするので、この時に手を加えたのだろうか。
 それにしても、最近、神像のお顔の表情が気になる。仏像とは違って、沈鬱で、何か悩んでるように見えたりする。この元応元年の吽像も複雑な表情が強く印象に残った。
 (最後に、東京都と多摩市の文化財サイトの写真は非常によくないで、撮り直していただけないものだろうか…。鎌倉時代に遡る貴重な随身像をもっとよい写真で多くの人に知っていただきい!)

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正面左の随身

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正面右の随身像(阿像)

【拝観案内】

武蔵国一之宮小野神社
東京都多摩市一の宮1-18-8
聖蹟桜ヶ丘駅からのんびり歩いて10分ほど
onojinja.or.jp

参考

小野神社サイトより随身像の解説
小野神社について|武蔵国一之宮小野神社

【東京】【多摩仏】深大寺 元三大師ダブル公開2021

 深大寺(東京都調布市)の秘仏で僧形の巨大な元三大師坐像が上野への展覧会に出開帳。そして、その胎内仏が深大寺釈迦堂で特別公開中である。どちらも11/21まで!

1) ご開帳1=ど迫力の秘仏慈恵大師像がトーハクで出開帳!!

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2019年1月に深大寺に貼られていたポスター! これが特別公開ののろしだったのか!?

 深大寺元三大師堂にまつられる慈恵大師(元三大師)坐像は、僧形にして、とんでもない迫力の秘仏である。像高2メートルのこの巨像が、今、東京国立博物館の「最澄天台宗のすべて」展(11/21まで)にお出ましである。
 実は、昨年深大寺でご開帳の予定だったのだが、コロナ禍のため延期となっていた。今回の上野への”出開帳”は、2009年に深大寺で行われた中開帳以来、10年以上ぶりに拝顔できるチャンスである。生々しい表情や分厚い体躯を間近で拝見し、ひっくり返りそうなほど驚いた。こんな僧形像、なかなか他にはおられないのでは。鎌倉時代の作で、昨年東京都有形文化財に指定。
 深大寺の元三大師堂はご祈祷が行われる場所であり、お参りの人が絶えない。何度かお参りしている元三大師堂にこんなにも巨大な僧形像がおられたとは。どこにどう収まっているのか想像の範囲をこえている。できれば、近いうちにこのお堂でまたご開帳していただければ、などと思ってしまう。
 「最澄と天台宗のすべて」展東京会場のみの出陳らしいので、ぜひこの機会をお見逃しなく!

2) ご開帳2=深大寺で胎内仏鬼大師が205年ぶりご開帳!!

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事前公開された鬼大師像はこの後ろ姿だけ。現地で拝顔したときの驚きと言ったら...!

 そして、この慈恵大師像の留守を預かる調布の深大寺では、なんと、その胎内仏が特別に公開されている。像高15センチほどの小ぶりの鬼大師像だ。
 文化13年(1816)、両国回向院に元三大師坐像と胎内仏鬼大師蔵が出開帳したという記録が残っているそうで、胎内仏である鬼大師様はそれ以来205年ぶりの公開となのだそう。
 慈恵大師坐像が僧形像であるのに対し、胎内仏は筋肉隆々で、口元が裂けたように口を開いている。小像ながら、まさに鬼気迫る表現。それでいて、ぎょろっと飛び出した両眼が印象的で、かわいらしくもあった。
 元三大師様は、鬼大師や角大師などのお姿でも表され、疫病退散のご利益があるとして、信仰を集めてきた。21世紀、コロナ禍でのご開帳が大変ありがたく感じられる。
 私が訪れた日は拝観待ちの列が長く、40分ほど待って、鬼大師様と対面できた時間は1分に満たない。それでも、しっかりと手を合わせてきた。コロナ禍でつらい思いをされている方々、さらに、先日は深大寺の近くで発生した電車内の事件で被害に遭われた方々の1日も早いご回復を祈った。穏やかな生活が守られますよう元三大師様にお願いした。

参考資料

資料i) 深大寺リーフレット

深大寺(東京都調布市)で元三大師胎内仏「鬼大師」205年ぶり特別公開(2021.11.3 - 11.21)
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資料ii) 毎日新聞記事(2021.11.5)205年ぶり「鬼大師」公開 調布・深大寺、疫病退散を祈願

mainichi.jp

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ご開帳開始後、11月5日に毎日新聞に掲載された鬼大師さまのお姿。ご尊顔の公開はおそらくこれが初めてかと

資料iii) 2019年1月の深大寺参拝ログ

毘沙門天像の拝観に伺ったら、元三大師像の写真が貼ってあって驚いたのでした。やはりこれは今回のご開帳を暗示していたのだろう(と勝手に思う私である)。
butsuzodiary.hateblo.jp

【福島】鳥追観音如法寺900年ぶりのご開帳

鳥追観音如法寺(福島県西会津町
秘仏ご本尊聖観音菩薩立像
900年ぶりご開帳(2021年6月と10月)


 広い広い会津の西の果てへ、秘仏を拝むために出かけてきた。郡山駅から鈍行で2時間半。秋晴れの磐梯山、稲刈り作業の続く黄金色の会津盆地、そして、不思議な緑色の阿賀川。車窓の景色をのんびり堪能し、鳥追観音様にたどり着いた。

 鳥追観音如法寺の秘仏本尊は900年前に火災に遭い、それ以来秘仏だったという。秘仏ゆえか、事前に写真を拝見できなかった。どのような尊容なのかわからないのにご開帳に出かけるのは、先日の横浜阿弥陀寺のご開帳以来だ…


秘仏本尊聖観音菩薩立像(平安初期、一木造、県指定重要文化財


 たどり着いた本堂で見上げたご本尊様は平安時代の力強く素朴なお姿だった。はぁーと肩の力が抜け、感動が込み上げてきた。像高160m。前立像は坐像であるが、ご本尊様は立像だった。前立像とはかなり作風が異なる。

 静かで優しいご尊顔。体部には衣紋はほとんど見られない。両肩にかろうじて衣がかかるのが見える程度。

不思議です! 斜めです!

 そして、ご本尊様は上半身がとても斜めだった! 小学生の時に使っていた三角定規を思い出すほど、それはもう見事な斜め。実は、最初の一瞬「うん? なんで内陣中央に仁王像が?」と思ってしまったのだが、それはこの体の捻り具合に騙されたからかもしれない。

 副住職様によると、秘仏本尊様と本堂の一部修復が完了したことから、今回のご開帳に踏み切ったのだという。文化財の修復に資金が必要なところ、コロナ禍で参拝者が激減しているのだという。長年にわたり非公開だった秘仏を公開すること、また、ご開帳中に拝観料300円をお願いすることについて、申し訳なさそうにご説明された。しかし、私としてはありがたいの一言に尽きる。

 実は、数年前に鳥追観音様をお参りした際、ご本尊様が平安初期の観音像(県指定文化財)であることを事前に調べていたのだが、そこには私の素人目でも鎌倉以降にしか見えない美しい観音像がまつられていた。うーむと唸っていると、お堂に祀られているのはお前立像であり、ご本尊様は秘仏のため拝観はできないのだと教えていただいた。それ以来、秘仏ご本尊様にお会いしたいと願ってきた。念願が叶い、感激である。

 900年ぶりのご開帳はもともと今年6月に行われた。しかし、コロナ禍でお参りできなかった人もいることから、10月中にも特別公開となった。6月はワクチン未摂取で外出する気になれなかったので、ありがたいとしか言いようがない。

不思議です! 右手の指を捻り、左手に蓮花?

写真はお寺のパンフより。中央がお前立の観音様。両脇が現在修復中の不動明王毘沙門天

 ご開帳期間中は須弥壇の前まで行って拝観させていただける。秘仏ご本尊様だけでなく、お前立の観音様も間近で拝むことができる。間近で拝む前立観音様は、以前お会いしたときより美しさが増したように感じた。微細に揺れる玉眼の輝きがたまらなく美しい。右手は指を捻り(阿弥陀様の来迎印のよう)、左手に蓮花を持つというお姿だ。

 秘仏本尊は両腕の先がないが、修復前までは後補の腕がついてのだそう。後補ゆえ、修復時に取り外したのだという。副住職が後補の腕はこんな感じでしたーと、身振りを交えて説明してくださっのだが、それがお前立ち像と同じく、右手は阿弥陀様のように指を捻り、左手に蓮花を持つ形だった。ぞくぞくした! ご本尊とお前立像は制作時期も作風も異なるのに、腕の形は同じだったということなのか!? ご本尊様はあの斜めの姿勢なので、その腕の形は難しいのでは? ぞくぞくしつつ、疑問が次々湧いてきた。不思議なお姿だーー。

金剛力士像(平安中期、一木造、県指定重要文化財

 如法寺の本堂には、仁王像一体のみも安置される。平安時代の朽ち果てたお姿で、県指定文化財なのだが、なでてよいことになっている。参拝者が次々と近づき、合掌してから、仁王像を手を触れる。そばにアルコール除菌剤を完備し、庶民の願いを受けとめてくださっている。

 唯一残念だったのは、ご本尊脇侍の不動明王像と毘沙門天像(ともに県指定)が修理中だったこと。秘仏ご本尊様と両脇侍がお並びのところを拝見したかった。来春にお戻りの予定と伺ったので、その時にまたご開帳があることを願っている。

【参拝案内】

鳥追観音如法寺
住所 〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢字如法寺乙3533
電話 0241-45-2061
地図 goo.gl
観音堂(県指定文化財)は江戸時代慶長18年再建で、東から西に抜ける特殊な形。お寺の方の楽しい解説を伺いながら、左甚五郎の作とされる「隠れ三猿」を探すのも鳥追観音様の楽しみの一つ。
〇JR野沢駅から2.5kmほど(電車の本数は少ない)。駅前にタクシー乗り場あり。交通量が少ないので、駅からのんびり歩くことも可能。
野沢駅会津若松駅を結ぶ高速バスが一日2往復しており、公民館前から乗降すると近い。時刻表その他詳細はこちら

【展覧会】若冲の「蕪に双鶏図」に見入る~「京のファンタジスタ ~若冲と同時代の画家たち」福田美術館~

「京(みやこ)のファンタジスタ ~若冲と同時代の画家たち」
福田美術館
2021年7月17日(土)~ 2021年10月10日(日)

 近年発見された伊藤若冲の「蕪に双鶏図」を観るために嵐山へ。嵐電嵐山駅で下車すると、久しぶりに観光地らしい街並みが目の前に広がる。いつもだと人混みでクラクラしてしまうのだが、こういうご時世のため人手もぐっと減っており、複雑な気持ちになった。

 渡月橋の近くでしばらく鷺を眺めたあと、初めて福田美術館へ。とても気に入った。展示されてる若冲がどれもよい! 特に「蕪に双鶏図」に見入ってしまった。枯れ始めたような、なんでもない蕪の葉が、これほど美しいとは! 虫食いの跡さえ美しい。雄の鶏の大胆な動きや、執拗なまでに描き込んだ羽の模様は若冲の真骨頂。若冲30台前半の作と考えられているそうだが、つまりは、この時点ですでに国宝動植綵絵のレベルに達していたということなのか!? 感動と驚きがかけ合わさって、絵の前から離れられなくなってしまった。

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伊藤若冲 蕪に双鶏図

 今年の正月に放送されたNHKのドラマ「ライジン若冲」では、若冲と禅僧大典が出会うきっかけとしてこの作品が使われた。普段ドラマを観ない私が「ライジン若冲」だけは3回も観てしまった(見逃し配信ありがとう!)。史実と異なるところはもちろんあると思うのだが、若冲や大典和尚、応挙、蕪村がいきいきと描かれていた。あぁこの人たち本当に生きていたのね…と当たり前のことをしみじみと感じたのだった。
 このドラマで使われた「蕪に双鶏図」レプリカが、別部屋に展示されていた。このありがたいファンへのサービスのおかげで、双方の展示室を何度も往復することとなった。
 さらに、なんとなんと館内すべて撮影可。仏像なくてもお腹がいっぱいになるという、稀有な体験をした。

(仏像ブログなのに、仏像なしの投稿お許しください)

【参考】
〇公式サイト
fukuda-art-museum.jp
〇福田美術館YouTube辻惟雄先生と新発見の若冲みてみた」
youtu.be
NHKドラマ「ライジン若冲
www.nhk.jp

【京都】センサー照明を何度も点灯させて藤原定家の念持仏を拝む

 京都嵯峨の慈眼堂。藤原定家の念持仏だった木造千手観音立像(中院観音)を堂外から拝観できる。像高58.1cm。京都市指定文化財。「鎌倉時代初期における藤原風の美作」(市設置の看板の解説より)
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 お堂に近づくと一瞬だけ堂内の照明がつく。格子窓から覗き込むと、お優しい観音様のお姿が目の中に飛び込んできて、「ふわぁあぁー♡♡」となる。
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 照明はすぐに消えてしまうが、当方が動けばセンサーが反応し、またすぐに点灯してくれる。個人的に計測したところ、照明が点灯する時間は一回につき15秒。何度も何度もセンサーを作動させ、ゆっくりじっくり拝観させていただいた。センサーくん、照明さん、ありがとう。

 つまりは、由緒ある美しい観音像をいつでも誰でも拝観できるよう、地元の方々が工夫してくださっているということだ。本当にありがたい。そのお気持ちこそ美しいと思う。心より感謝申し上げる。

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「嵯峨巡拝の大衆の前に尊影を開扉し」に感謝

※ちなみに本像は2019年秋に京都市歴史資料館の企画展「京都市文化財Ⅱ」(公式サイトはこちら)に出展。この展覧会には行けなかったのだが、この時同時に出展されていた恋塚の十一面観音立像(地蔵盆の際にご開帳)も私は大好き♡なので、その旨申し添えたい。


【拝観案内】
慈眼堂中院観音
ここ嵯峨の中院に山荘を構えた藤原定家(1162-1241)の念持仏と伝わる。定家の没後、子の為家(1198-1275)の所蔵となり、さらに為家からこの地の人々に譲られたという。この地の豪農松屋善助の屋敷内の堂にまつられていたが、1822年、浜善が没落後に現在地に遷座。以来、町民により護持されている。
住所: 〒616-8428 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町13−1
地図:↓
goo.gl