ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【展覧会】「京の国宝」展で国宝アイドルのソロ活を拝む

展覧会概要

特別展「京の国宝―守り伝える日本のたから―」
京都国立博物館
2021年7月24日(土)~9月12日(日)
前期展示:2021年7月24日(土)~8月22日(日)
後期展示:2021年8月24日(火)~9月12日(日)
f:id:butsuzodiary:20211002120335j:plain

ほんまに国宝ばかりやった

 「ほんまに国宝ばかりやん!」とエセ関西弁でつぶやいてしもうた!! 
 ワクチン2回終了して数週間が経った8月の終わり。恐る恐る出かけてみると、すでに展覧会は後半戦に突入していた。具体的にいうと、楽しみにしていた長谷川等伯の展示は終わっていた。その代わり、俵屋宗達の国宝風神雷神図が登場。
 宗達風神雷神は東京での展示の際には人だかりを避けて観る感じだった。こんなにゆったりと観られたのは今回初めてかも。尾形光琳酒井抱一、鈴木其一の風神雷神は東京にあるが、元祖は京都にある。さすが京都やわ〜(エセ関西弁その2ごめんなさいm--m)

f:id:butsuzodiary:20211002150354j:plain
京博展示会場の入り口に宗達風神雷神

国宝アイドルのソロ活動~東寺の梵天様と三十三間堂の婆藪仙人~

 仏像はスーパースターばかりで、初見のものはない。というか、何度も拝観している仏像ばかりだが、東寺の梵天像が間近で拝めたのはありがたかった。東寺では帝釈天が人気だが、私は前から梵天推し。梵天様の全体の緩やかなライン。優しいご尊顔。そして、梵天様が乗られてるガチョウがかわいい! 

f:id:butsuzodiary:20211002150549j:plain
満を持して主役となった梵天

 三十三間堂の婆藪仙人もよかった。三十三間堂で拝観するときは、ガリガリの貧相なおじいさんという認識しかなかったが、この展覧会で観る婆藪仙人からは気品を感じた。下から見上げる形での展示となっているからだろうか。それとも、ライティングの違いによるのだろうか。婆藪仙人は中尊千手観音坐像と同じ、湛慶の作だという。三十三間堂では、数年前の配置換えにより、大弁功徳天とともに中尊の両脇をかためている。
 欲を申せば、大弁功徳天と二体お並びのところを拝見したかった。三十三間堂は博物館の隣なのだから、いつでも行けるでしょと言われるとその通りなのだが、あちらは千体以上の仏像が所狭しと並ぶため、どうしても全体として観てしまいがちだ。なので、時には、展覧会にてソロ活動やユニット活動をしていただきたい。アイドルと一緒なのだ!

f:id:butsuzodiary:20211002150145j:plain
三十三間堂では、中尊千手観音坐像の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人が並ぶ(写真は『千体仏国宝指定記念 無畏』より)

【東京】【滋賀】ありがとう東京長浜観音堂!

東京長浜観音堂
東京駅八重洲口近くに2021/7/10オープン!

観音の里、滋賀県長浜市が開設する東京長浜観音堂八重洲の雑居ビルの小さな一室で、長浜の観音像が1躯だけ公開されている。
上野にあったびわ湖長浜KANNON HOUSEが昨年閉鎖され、新たに誕生した究極の癒し空間である。

オープン第一弾として、長浜市南郷町の八坂神社境内観音堂に伝わった聖観音様がお出ましくださっている。

聖観音菩薩立像
長浜市南郷町
長浜市指定文化財
平安後期
木造 古色 彫眼 像高101.3cm
ヒノキ一木割矧ぎ
f:id:butsuzodiary:20210724100546j:plain
f:id:butsuzodiary:20210724100634j:plain

 殺伐とした東京に蓮の花が咲く時期、蓮のつぼみを手にした観音様がおいでくださった。滋賀らしい天台系の聖観音様を間近で拝することができ、天に舞い上がるような気持ちだ。平安後期の穏やかなお姿。癒される!

 上野にあった頃は女性の係の方が数名常駐しておられたが、八重洲では男性の方お一人だけが奥から出てこられ、解説してくださった。陽気な話しぶりの方で、おしゃべりしながら、長居をしてしまった。そして、訪れた方々と一緒に「きれいですねー」などと観音様を称賛しあう。楽しい!

 長浜観音堂では、基本的に観音像が1躯のみ、長浜から出張され、展示される。レプリカではない。本物である。2か月おきに1躯ずつ長浜から観音像がおいでなる。この数か月ごとの交代制により、それぞれの観音様にじっくりと向き合える。大きな展覧会では得られない感動がある! 

 しかも、撮影可能なので、気になる部位だけマニアックに撮ったりもできる。写真を撮ることで、より深く観察できるという側面も見逃せない!

 1点だけ惜しむべくは、観音像に当てる照明が私には明るすぎた。まぶしいし、観音様が白く見えてしまうように感じた。添付写真のうち、最後の1枚(観音様の後ろ姿)を除く3枚は、私がアプリで加工し、全体を暗めにしてみた。これぐらい落ち着いた色味のほうが私は好きだ。

 この南郷町の観音様の次には、長浜の安念寺のいも観音様がお出ましになるのだそうだ。クラファンでお堂改修が進む安念寺。クラファン参加者の大多数が東京近郊からだったと伺った。私もその一人だ。いも観音様に八重洲でお会いできる日を心待ちにしている。
f:id:butsuzodiary:20210724101027j:plain
f:id:butsuzodiary:20210724101117j:plain

※参考
〇東京長浜観音堂 公式サイト 
東京長浜観音堂|公式ホームページ|tokyo
長浜市へのふるさと納税
滋賀県長浜市の使い道について | ふるさと納税 [ふるさとチョイス]
使い道を選んで納税できると伺ったので、早速サイトを拝見。「5.歴史遺産の伝承及び文化芸術の振興に関する事業」を選択すると、観音様の保存に役立てていただけるのか。東京長浜観音堂長浜市の施設なのだから、そういったご案内にもっと力を入れてよいと思う。地方の元気は日本の元気につながるのだから。

【展覧会】聖徳太子と法隆寺@東京国立博物館~聖霊院の諸像にお会いできた!~

聖徳太子1400年遠忌記念
聖徳太子法隆寺
東京国立博物館平成館
2021/7/13-9/5(前期は7/13-8/9 後期は8/11-9/5)
f:id:butsuzodiary:20210722133308j:plain


 奈良国立博物館に続き、東京で「聖徳太子法隆寺」展が始まった。奈良のように五重塔の塔本塑像や夢違観音の出展はないが、それでもなお、見所満載の展覧会だった。法隆寺の寺宝の豊富さにめまいがする。貴重な秘仏と、お寺では遠目にしか拝観できないお仏像を間近で拝観できたので、その喜びをここに記したい。

1) 法隆寺聖霊院の諸像

個人的に最もうれしかったのは、法隆寺聖霊院のお厨子にまつられる諸像に初めてお会いできたことだ。毎年3月22日から24日にお厨子は開くのだが、お供物で隠れてしまうので、お像を目にすることはできない。しかし、本展では、厨子内に安置される7躯すべてが展示されている。なんと、聖霊院ご本尊聖徳太子像が寺外で公開されるのは、27年ぶりなのだそうだ。

国宝 聖徳太子および侍者像 保安2年(1121)
重文 如意輪観音菩薩半跏像 11-12世紀
重文 地蔵菩薩立像 9世紀

f:id:butsuzodiary:20210722133751j:plain
国宝 聖徳太子および侍者像は太子500年遠忌に造立。保安2年(1121)。写真は公式サイトより

 この聖徳太子聖霊院の本尊で、聖徳太子500年遠忌に侍者像とともに造立されたもの。聖徳太子像は釣り上がった厳しい目が印象的。公式写真だとべちゃっと平面的な感じがしていたのだが、実際に拝見するともっとシュッとして、クールなお姿だった。
 一方、侍者像聖徳太子像より小さめで、クールさとは無縁のほのぼのとした印象。この対比が面白く、しばらく見入ってしまった。向かって左から、山背大兄王(やましろのおおえのおう/太子の子)、殖栗王(えぐりおう/太子の異母兄弟)、聖徳太子、卒末呂王(そとまろうおう/太子の異母弟)、高句麗僧の恵慈(えじ)法師(太子の仏教の師)と並ぶ。
 太子1400年遠忌を記念した展覧会で、500年遠忌に造立された尊像を拝める。そんな幸せもかみしめたい。

 地蔵菩薩立像は1mに満たない小像だが、平安前期らしい肉感的で力強いお姿。飛鳥の橘寺から承暦年間(1077-80)に法隆寺遷座。白毫に真珠を使用するのは珍しいそうだが、上品でかわいらしい。個人的には、背中に一本スパッとひび割れが走るところに惹かれた。一木造りで、割矧がないため、このようなひび割れが生じたのだろうか。私は最近、平安前期一木造りに飢えているようで、お像の前でHunger for Heian Ichiboku…などとつぶやいてしまった。興奮のあまり取り乱してしまう私なのであった。

 如意輪観音坐像は大阪四天王寺本尊を模したものとの解説があった。穏やかな気品を感じるのは、平安後期という制作年代によるのだろう。本展では、上記の諸像とは離れて、展覧会の一番最初に展示されている。聖霊院安置という説明書きもないので、お見逃しなきよう、要注意。

地蔵菩薩立像と如意輪観音像の写真はこちらの記事に掲載(Twitterで教えていただいた記事です。ありがとうございます)

2) 国宝 行信(ぎょうしん)僧都坐像 8世紀

f:id:butsuzodiary:20210722134550j:plain
この迫力の表情が8世紀の脱活乾漆造りとは! 写真は公式サイトより

 法隆寺東院夢殿、救世観音の隣に安置されるお像。夢殿には何度も行っているが、暗くて遠くてよく見えないので、こんなに強く独特のお姿だったとは気づかなかった! 
 逆三角形の下のニ辺のように鋭く釣り上がる両眼。大きく張り出した両耳。まるでコウモリのようだ。大きく尖った頭頂。大きな鼻翼。元三大師様にも引けを取らないあくの強さだと感じるのは私だけだろうか!? 8世紀の脱活乾漆造り。「ほーりゅーじ、はんぱないなー!」という感想しか出てこない!

3) 国宝薬師如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)

f:id:butsuzodiary:20210722135030p:plain
金堂の薬師如来坐像を間近で拝める! 写真は公式サイトより

 法隆寺金堂の薬師如来坐像を間近で拝めるのも、本展覧会の魅力のひとつ。金堂では、少し遠目での拝観となり、細かいところまでは見えないからだ。
 私の一推しはひらひらうねうねと御足元に流れ落ちる衣文。飛鳥時代のこうした表現が私にはとてもモダンに感じられる。あまりに素敵なので、飛鳥モダンと勝手に呼ぶことにする!

4) 如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)法隆寺献納宝物

f:id:butsuzodiary:20210722135431j:plain
東京国立博物館法隆寺宝物館に普段展示される飛鳥時代如来像が本展覧会に展示されている。写真は法隆寺宝物館にて筆者が撮影

f:id:butsuzodiary:20210722135510j:plain

 トーハク法隆寺宝物館におられる如来坐像も展示(前期展示のみ)。この”飛鳥モダン”なひらひら衣文が私は大好き! 上記の金堂の薬師如来坐像のひらひら衣文と見比べるのも楽しい。展覧会場を何周もぐるぐるとめぐってしまった。

5) 法起寺如来立像 飛鳥時代7世紀 文化財未指定

f:id:butsuzodiary:20210722152056j:plain
法起寺如来立像。写真は読売新聞記事より(奈良国立博物館提供)

 A会場の最後に、木彫の如来立像が展示されている。その隣に詳しい説明があり、観覧者の注目を集めていた。説明によると、最近調査されたばかりのお像らしい。展示解説は次のような内容だった。

 1993年に奈良国立博物館の調査で「わが国最古の弥勒如来像」と評価され、一躍脚光を浴びる。しかし、その直後に、現在の面相とは異なる姿の古写真(1936年)が確認され、面相部が補作と評価されたため、それ以降は広く公開されなかった。しかし、その後、CT調査の結果、
①面相、右体側部、背面すべて、脚部の下のほうが後補と判明し、
②後頭部、左側部を含む体部前面、さらに、下腹部にあてる左手先は指先まで木目が通り、制作当初の部材と確認され、
③用材については、年輪の幅に広狭があり、年輪がゆるく波打つ点がクスキ材製の三重県見徳寺薬師如来像(7世紀)と共通することから、
木造の如来立像として屈指の古像であると考えられるようになった。

 説明文の横にCT写真も展示されており、補作部分と当初部分が一目でわかる。このような最新の研究成果をわかりやすく教えてもらえるのも展覧会の醍醐味だ。
 ご尊顔は後補と判明したわけだが、飛鳥時代の特徴が見られ、それなりに技術と知識のある人が造ったものだろう。お腹に当てる左手の形も独特で気になる。さらなる研究結果を待ちたい。

 そのほか、中宮寺の国宝天寿国繡帳(前期展示/622年頃)や、橘夫人念持仏の国宝阿弥陀三尊像(大好き)も素敵なので、ぜひぜひご覧いただきたい。
 まだまだ話し足りないが、今日のところはここまで(笑)

 なお、本展期間中は、特別第5室で「聖林寺十一面観音」展も開催されており、上野のトーハクに奈良がやってきた感じになっている。11室には大好きな當麻寺の吉祥天様もお出まし。奈良の仏像好きとしては、毎日でも通いたいくらいだー! 一日も早く、思うように外出できる日が来ますように。

参考

〇展覧会公式サイト
tsumugu.yomiuri.co.jp
法起寺如来立像の調査結果を伝える記事(読売新聞オンライン2021/4/26)
www.yomiuri.co.jp

【三重県】法然上人霊場第12番欣浄寺さま火災…悲しい…

悲しい
法然上人二十五霊場第12番
欣浄寺さま火災
f:id:butsuzodiary:20210712181306j:plain
f:id:butsuzodiary:20210712181407j:plain

7月8日、伊勢神宮の近くのお寺で火災との報道が入る。まさか、まさか、と思いつつ、ニュース画面を開くと、そのまさかだった。

欣浄寺さまは、法然上人のご遺跡を巡る法然上人二十五霊場のうち、三重県唯一の札所。法然上人が伊勢神宮に参籠された際、大きな日輪が現れ、その中に金色の六字名号が光を放っていたと伝わる。

私が欣浄寺さまをお参りしたのは2016年9月。本堂が開いていて、ご近所の方々が気軽にお参りされている印象だった。

ニュースによると、本堂と庫裏が全焼し、住職様が亡くなられたという。本堂に半丈六ほどの阿弥陀如来坐像がまつられていたと記憶するが、ご無事なのだろうか…。悲しい。なぜこんな理不尽が起きるのか…

住職様のお心が阿弥陀様のそばにおられますように。お寺の再建が進みますように。南無阿弥陀仏

阿弥陀如来坐像の写真は仏友の桃太郎のもと氏が参拝時にお寺様の許可を得て撮影されたもの。貴重な1枚になってしまった。氏の了承を得てここに掲載させていただく。

【鎌倉】鎌倉らしい仏像を堪能する一日~日佛庵の法衣垂下像、伝宗庵の土紋のある地蔵菩薩像、そして大仏さま~

円覚寺日佛庵と鎌倉国宝館

特集展示「鎌倉と浄土宗」 令和3年5月15日(土)~7月4日(日)
常設展示「鎌倉の仏像」

 久しぶりに鎌倉へ行ってきた。まずは円覚寺塔頭日佛庵で地蔵菩薩坐像(市指定)を拝観。鎌倉らしい見事な法衣垂下像にお会いでき、「ほういすいか、さいこー!」と心の中で叫ぶ。
f:id:butsuzodiary:20210705101350j:plain
 テンションが上がった状態で鎌倉国宝館へ。常設展示「鎌倉の仏像」で今回特に惹かれたのが、円覚寺塔頭伝宗庵の地蔵菩薩坐像(重文)。日佛庵の地蔵菩薩坐像は法衣垂下だったが、こちらは土紋が残る。鎌倉らしい見事なお仏像に連続してお会いでき、久しぶりに鎌倉市にいることを実感する。
f:id:butsuzodiary:20210705101250j:plain
 解説展示によると、土紋のある仏像は鎌倉に7例あるそうだ。土紋のついたお像を頭の中に浮かべてみると、、、西御門来迎寺の如意輪観音像、浄光明寺阿弥陀如来像、東慶寺聖観音立像、覚園寺薬師堂の阿弥陀如来坐像、浄智寺の韋駄天像(鎌倉国宝館寄託)…。あともうお一方はどなただろうと思って調べてみたら、宝戒寺歓喜天のようだ。秘仏のため拝観したことがない。
 また、「鎌倉の仏像」では、建長寺宝冠釈迦如来坐像(ほういすいか、さいこー!)と十一面観音坐像(大好き♡)がダブルでお出まし。こういうのを眼福と言うのだろう。
 藤沢の養命寺の薬師三尊は国宝館の常連となられたのだろうか。順次修理されて、三尊お並びとなり、間近で拝めるのがありがたい。
 「鎌倉と浄土宗」展では、光明寺の国宝當麻曼荼羅縁起絵巻の展示がなく残念。少し前に光明寺のイベントと合わせて国宝館で展示されていたように思う。當麻曼荼羅ファンなので、また展示される機会を待ちたい。

長谷寺御足参りと鎌倉大仏さま

 国宝館を出て、長谷寺へ向かう。長谷寺観音1300年で、御足に触れることができる観音堂内の受付で1000円を納め、御足参りを申し込むと、お寺の方がお守りと手ぬぐいを授けてくださり、観音様のお足元までご案内くださる。感染予防のため、この手ぬぐいを御足の上におき、その上から御足に触れる。スタッフが付き添い、割と短時間で終了する。泣いてる暇がなかった。奈良の長谷寺では、いつも号泣するのだが...。
f:id:butsuzodiary:20210705101504j:plain
 さらに、高徳院に走り、大好きな鎌倉大仏様とデート。何度お会いしてもかっこいい。私はいつも鎌倉大仏様の年齢を考える。私が小学生の頃は「おじさんだなー」と思っていた。今は私がおばさんになってしまった。大仏様は年を取らず、30台半ばのかっこよい青年にしか見えない。年下のボーイフレンドのような存在である。もっと頻繁にお会いしにいかなければ。大好きです。。。
f:id:butsuzodiary:20210705101629j:plain

 この日は大磯町(神像)と藤沢(遊行寺名号展)に行って、午後から鎌倉をめぐる大忙しのスケジュールだった。最後にデートができて、ありがたかった♡

【展覧会】国宝聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ~360度の拝観で泣く暇なし!~

f:id:butsuzodiary:20210628000032j:plain

「国宝聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」
東京国立博物館特別5室
2021.6.22-9.12

 聖林寺奈良県桜井市)の麗しき十一面観音様が初めて東京へいらしゃる。そうお寺で伺ったのが2019年5月。2年間待ち続けた展覧会がついに開幕した。行く前日の夜からすでに感極まって涙ぐんでしまい、寝不足のままお会いしてきた。

国宝十一面観音菩薩立像(奈良県桜井市聖林寺

 聖林寺の十一面観音は、奈良の三輪山をご神体とする大神神社の神宮寺、大御輪寺の本尊だった。明治初めの神仏分離に際して聖林寺に移されたのである。
 天平時代、8世紀の木心乾漆造り。像高209.1センチ。和辻哲郎白洲正子らが絶賛した麗しきお像である。
 お寺では、ガラス越しに少し遠めからしか拝観できない。それでも、その凛とした立ち姿に身もだえしてきた。今回初めて、お姿を360度全方向から拝見できた。もうあまりにうれしくて、夢中で見入ってしまい、泣く暇さえなくなってしまった!
 360度何度もぐるぐるまわって気づいたことがある。一言でまとめると、本当に凛々しい! そして、普通ではないということだ。特に気になったのは、胸と背中が異様に盛り上がっていることだ。側面と背面を見ると、それがよくわかる。當麻寺金堂の弥勒菩薩坐像に負けないぐらい胸が前面に張り出している。そして、背中の上のほうも同じぐらいに膨らんでいる。その一方、みぞおちから下の辺りはぎゅっと細くなる。そして、下っ腹は少し膨らんでいる。
 私は最近坐禅をしており、呼吸の練習をしているためか、この観音様はどういう呼吸の仕方をしているのか気になった。会場で思い出したのは、西村公朝さんが「息を吸いつつ、吐いている」と書いてらしたたことである。帰宅し、昔の本を引っ張り出してみると、正確には、公朝さんは次のように書かれていた(注1)。

理想的な人体を堂々と表現し、息を吸っているところを肩で、吐いているところをみぞおちで表している。釈尊がしていたアナパーナサチという呼吸法で、清浄な空気を肺に取り込み、静かに時間をかけて吐き出す。この呼吸法をこの像がやっている。

f:id:butsuzodiary:20210627234634j:plain
西村公朝『よくわかる仏像の見方 大和路の仏たち』(小学館 1999年)より


 引用しておいてなんなのだが、アナパーナサチというのは正直、今の私にはよくわからない。しかし、尊敬する公朝さんがこの観音様を拝して、その呼吸を感じられたことだけはわかった。
 素人の立場で感じることは、とても独特な表現なのではないかということである。異様な強さを与えるため、このようなお姿に造ったのではないだろうか。
 そういえば、お顔も実にいかめしい。そこら辺の観音様とは違って(?)、優しく微笑んでくれたりはしない。
 でも、だからこそ、私たちはその堂々たる凛々しさに惹かれるではないだろうか…?? これは神仏習合と関係があるのだろうか...???
 本展は9月まで続くので、そんな疑問をいただきつつ、何度かお会いしに行きたい! お会いするたびに新たな発見と疑問がありそうだ!!

国宝地蔵菩薩立像(奈良県斑鳩町法隆寺

f:id:butsuzodiary:20210704233111j:plain
写真は本展覧会の図録より

 大御輪寺の本尊十一面観音の左右には地蔵菩薩立像と不動明王坐像がまつられていた。地蔵菩薩像は聖林寺へ移されたあと、1873年法隆寺にわたった。今は法隆寺の大宝蔵院におられる。つまり、この展覧会では、十一面観音様と地蔵菩薩様が150年ぶりの再会を果たされるのである。これを泣かずにおられようか...!
 この地蔵菩薩像は平安時代9世紀、一木造りの木彫仏。像高172.7センチ。量感あふれ、鎬の立った衣文が際立つ。それでいて、お顔は丸くお優しい。これほど魅力的な地蔵菩薩像があるだろうか。
 法隆寺の大宝蔵院では、玉虫厨子の近くの狭いガラスケースの中におられるが、本展ではなんと、ガラスケースなしでの展示となっている! 心なしか、地蔵菩薩様がのんびりゆったりとしているように感じられた!! 法隆寺では、近くの玉虫厨子ばかりが注目されがちなのが気に入らないのだが、この展覧会ではその心配もない(笑)。なんともありがたく、この地蔵菩薩像を強く推したい私である。
 できれば、大御輪寺におられた頃のように、十一面観音様と横並びのところを拝見したかった。


 展示会場には、三輪山信仰と日本の自然信仰についての解説もあり、そちらもぜひ注目したいところだ。本展はもともと、昨年の東京オリンピックの時期に開催される予定だった。日本の自然信仰の美しさを世界に示す好機だったと思うので、インバウンドの観光客が呼べないことだけが残念である。

写真

1枚目=本展覧会の図録の表紙。『特別展 国宝 聖林寺十一面観音ー三輪山信仰のみほとけ』(2021年)(c)2021-2022東京国立博物館奈良国立博物館読売新聞社(表紙の十一面観音様の写真は佐々木香輔氏!)
2枚目=西村公朝『よくわかる仏像の見方 大和路の仏たち』(小学館 1999年)より
3枚目=図録『特別展 国宝 聖林寺十一面観音ー三輪山信仰のみほとけ』(2021年)(c)2021-2022東京国立博物館奈良国立博物館読売新聞社より(法隆寺地蔵菩薩像の写真は森村欣司氏)

【展覧会】鳥獣戯画展で明恵上人ゆかりの仏像(和歌山県・浄教寺)を拝む~1年以上ぶりのトーハクは実に尊かった~

f:id:butsuzodiary:20210627155905j:plain
「国宝鳥獣戯画のすべて」
東京国立博物館
2021.4.13-6.20(ただし4.25-5.31休館)
予約チケット必要


 トーハクの鳥獣戯画展に浄教寺(和歌山県有田川町)の大日如来像がお出ましと聞き、出かけてきた。と言うと、何事かと思われるかもしれない。この展覧会のウリは鳥獣戯画の全巻一挙公開であり、仏像の展示はこの一点のみ。それでも有田川の仏像が東京にお出ましとあらば、お会いしに行かなくはならないっ! 
 鳥獣戯画展といえば、とにかく混雑して長時間並ぶというイメージだが、今回は予約必須で入場者数を制限したため、余裕もって鑑賞できた(ただし、予約券はあっという間に売れ切れた)

浄教寺の大日如来坐像(和歌山県有田川町

 浄教寺の大日如来は2年前に和歌山県立博物館でお会いして以来。像高86cm。寄木造。玉眼。定印を結ぶ胎蔵界大日如来坐像。背面を含め間近で拝観でき、一気に興奮してしまう! 慶派の影響があるのか、特に、側面の微妙なカーブはどこかで見覚えがある。その一方、ムチムチ感は抑えめで、穏やかさも感じられ、気品が溢れまくっていた。運慶より快慶や湛慶に近いと言ってよいのかな? いずれにしても、とても素敵♡ 高く結い上げた髻♡ 切長のお目目♡  こういうお像は私の生活圏内のサイクリング拝観ではお目にかかれない。ありがたい!
 この大日如来像は、浄教寺の近くにかつてあった最勝寺から引き継がれたものであり、最勝寺の裏山の草庵で明恵上人が行った大仏頂法の本尊(大仏頂尊)だった可能性がある。明恵上人は鳥獣戯画の伝来した京都・高山寺の開山であることから、こんなに気品ある大日如来像を鳥獣戯画展で拝めることとなった。くどよいだが、本当にありがたい!! なお、最勝寺から浄教寺が引き継いだとみられる釈迦涅槃図も今回の鳥獣戯画展に出陳。

f:id:butsuzodiary:20210627155938j:plain
2019年和歌山県博「仏像と神像へのまなざし」展図録より。写真よりずっと美しいです!!!

鳥獣戯画4巻と断簡の一挙公開

 鳥獣戯画もおもしろかった! 動物を擬人化した作品だと思い込んでいたが、甲乙丙丁全部を通して見ると、人間だけが描かれた場面も多い。大勢の人がゲームしたり、木遣をしたり。ほのぼのしてたり、躍動感あったりで、とても楽しい。

 一番人気はやはり、甲巻のようで、そこだけ動く歩道に乗って鑑賞する。甲巻では、ウサギ、カエル、サルなどを擬人化したシーンが続くのだが、私の一番のお気に入りはなんといっても、カエル如来とサルの僧侶だ。仏教儀式を揶揄したのだろうか。平安後期のあっけらかんとした諧謔性に笑ってしまう。今よりもっと信仰心が強い時代ではなかったのか!? こんなにおちょくってしまって、作者は大丈夫だったのだろうか!? 現代のお寺で時々見かけるカエルの置物は鳥獣戯画が由来??(たぶん違うw) そんなことを考えながら、動く歩道に3回も乗り込んでしまった。歩道に立っているだけで、目の前を鳥獣戯画が通り過ぎていく。まさに、アニメーションを観ているよう。

f:id:butsuzodiary:20210627160158j:plain
朝日新聞社の動画より

 高山寺所有の甲乙丙丁の4巻とは別に、かつて鳥獣戯画の一部だったと見られる切れ端、いわゆる、断簡も展示されていた。特に、益田鈍翁旧蔵のものには息をのんだ。ウサギがキツネに、サルがシカに跨って、ものすごい勢いで疾走する一場面。実際の競馬でも、ここまで空を飛びながら疾走しない。かなり盛っている。わーっと言う声が聞こえてきそうだった。

明恵上人

 鳥獣戯画の伝来した高山寺(京都)から明恵上人坐像もお出まし。鳥獣戯画の伝わる高山寺は、鎌倉時代の僧、明恵上人が実質的な開基であることから、明恵上人に関する資料も多数展示されている。私は法然上人に尊敬しているので、法然上人を厳しく批判した明恵上人には苦手意識があった。右耳を剃り落としたり、夢日記をつけたり、とにかくこわい人という印象だった。実は、高山寺はお参りしたこともない。
 しかし、明恵上人の石二つが展示されているのを見て、急激にシンパシーを感じてしまった。上人の故郷和歌山の沖に浮かぶ島で拾ったなんでもない普通の石なのだが、お釈迦様の故郷である天竺の水は島の海辺も洗うと考え、生涯大切にしたらしい。その証拠に二つの石は妙にピカピカと光っていた。「蘇婆(そば)石」「鷹島(たかしま)石」という名前までついてる。明恵上人はお釈迦様を慕いつつも、生涯インドへ渡れなかった。その気持ちは現代の私でも十分に想像しえるが、だからといって、なんでもない普通の石にこれほど愛着を注ぐ人はそういないだろう。。。そういう拘りと偏りに親近感を覚えてしまう私なのだった。よい拘りかたではないだろうか。。。
 そして、後から調べて知ったのだが、前述の明恵上人ゆかりの大日如来像を現在所蔵する浄教寺は浄土宗西山派のお寺だった。法然さんとの対峙について、悪い拘りをもっていたのは、私のほうだったと気づかされた。反省。いつか機会をみつけて、高山寺と浄教寺をお参りさせていただきたい。

美術展のコロナ対策に協力しよう!

 鳥獣戯画展は緊急事態宣言で一旦休止となったあと、6/1に再開され、会期が6/20まで延長された。そのおかげで大きな感動を得ることができた。何度も言ってるかもしれないが、展覧会で本物を観る喜びに勝るものはない。美術はオンラインではダメだと私は思う。一年以上ぶりのトーハクはとてつもなく尊かった(号泣)。
 2020年3月にWHOのパンデミック宣言が出されてから、1年余り。その間に美術館・博物館では、予約制や入場制限、訪問者の連絡先の確認など、できうる限りの対策を講じてくださっていると思う。この鳥獣戯画展では、動く歩道まで登場した。人数を絞って、おしゃべりしない限りは、展覧会はさほど危険ではないと思う。今後大切なのは、観覧中におしゃべりをしない、行き帰りに宴会しないなど、観覧者である私たち一人一人の態度とマナーではないだろうか。
 鳥獣戯画のような絵巻物は、観覧者同士がガラスケースに近寄って観ることになる。仏像のような彫刻の展覧会よりも危険度は高いとは思った。しかも、鳥獣戯画の内容がおもしろいので、ついつい楽しくおしゃべりしてしまっている人たちを見かけた。まあ、それが人間の性(さが)ではある...。でも、だからこそ、気を付けないと...。そう自戒を込めて、感想を締めることとする。

参考資料

1) 展覧会公式サイト https://chojugiga2020.exhibit.jp/
2) リビング和歌山 2021.4.22
−第18回−文化財 仏像のよこがお「浄教寺大日如来坐像と明恵上人」
和歌山県立博物館主任学芸員・大河内智之
3) 和歌山県立博物館特別展「仏像と神像のまなざしー守り伝える人々のいとなみー」図録(2019年4月)
4) 浄教寺(和歌山県有田川町)ホームページ 曼荼羅寺院 浄教寺
5) 朝日新聞動画 鳥獣戯画を「動く歩道」でじっくり鑑賞
www.youtube.com

【神奈川県】高麗山(大磯町)の神像群〜残された神像群のチームプレイに感服〜

f:id:butsuzodiary:20210602073315j:plain
展覧会チラシの表面に第1群の神像のうち3躯が掲載される

1) はじめに

 JR相模線に乗って、神奈川大磯町の神像群にお会いしてきた。20年前に高来神社で発見され、話題となった神像群だ。保存修理が完了し、大磯町郷土資料館で公開となったので、やっとお会いできた。高麗山(こまやま)にあった神仏習合の寺、高麗寺(こうらいじ)は、明治の神仏分離の際、高麗神社から高来(たかく)神社へと変わった。旧高麗寺の仏像は高麗山ふもとの慶覚院に移されたことは知られていたが、高来神社にも旧高麗寺の神像が残っていたのである。本展では、発見された神像11躯すべてを展示。さらに、慶覚院に残る旧高麗寺ゆかりの仏像も写真で紹介される。展示内容を以下でレポートしたい。

※大磯町郷土資料館のサイト 春季企画展「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」/大磯町ホームページ に展覧会チラシや解説資料、展示リストがPDFで公開されている。神像のお姿をご覧いただきたく、解説資料の一部を以下に貼らせていただいた。ただ、写真より本物の方が断然素晴らしいので、できれば実際に訪れていただきたい(こういうご時世なので、ぜひにとは言いにくいが...)。
f:id:butsuzodiary:20210601154027j:plain
f:id:butsuzodiary:20210601154316j:plain

2) 大磯町郷土資料館の展示内容

f:id:butsuzodiary:20210601170512j:plain

大磯町郷土資料館(神奈川県)
春季企画展
「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理
ー出来! 高来神社神像保存修理ー」

2021.4.17-6.20
なんと入館無料!

2-1) 高来神社神像群

 平成12年(2000)、歴史的文化的に価値のある建造物について大磯町が建築調査を行った際、高来神社神輿堂から未調査の神像群が発見。20年かけて保存修理が完成し、大磯町郷土資料館でお披露目。やっとお会いできた。写真や動画より本物は断然よかった。まずは、本展のメインである神像群をご紹介したい。

 発見された11躯の神像はその構造や表現などから、3つのグループに分けられる。

2-1-1) 第1群は一木造の6躯

 第1群は一木造で、男神像2躯(その1と2)、女神像2群(その3と4)、僧形像2躯(その5と6)からなる。像高はいずれも1m程度。
 男神像の1躯(その1)は最も保存状況がよく、端正なご尊顔を拝むことができる。少し憂いを帯びたように見えるのが、仏像との違いだろうか。複雑な表情が大変印象的だ。男神像2躯とも袍衣を着ているが、その上から袈裟をかけることにより、神仏習合を表すのだという。薄井和夫先生は「袍衣の上に袈裟を懸ける服制は紛れもなく神仏習合の濃厚な表現といえるが、全国的にみても極めて稀で、この神像群でも最も注目される特徴である」と指摘する(参考1)
 女神像2躯は唐衣(からぎぬ)風の着衣に裳を付けた、宮中女官風の装束を身につける。裳には緋色の色彩が残る。肩にかける掛帯は「潔斎の掛帯」を表すと考えられる(神像は難しい ...)。
 僧形像2躯は、頭部を剃髪し、法衣を着る僧侶の姿。

2-1-2) 第2群は寄木造で弘安5年の銘あり

 第2群は第1群より大きく、しかも、第1群とは異なり寄木造だという。
 男神像(その7)は等身大より少し大きめの立像で、両眼のあたりが空洞になっていることから、玉眼が入っていたと見られる。
 女神像(その8)は頭部のみしか残っていないが、こちらも玉眼だったように見える。
 僧形像(その9)は頭部を欠くが、男神像と同じく、寄木造の長身の立像である。
 第2群で注目されるのは、女神像と男神像に、鎌倉時代弘安5年(1282)の墨書があることだ。神像群すべてが鎌倉時代の作と推測されている。

・女神像の首の裏側の墨書
     ■
弘安五年二月■
    人■
勧進聖玄西

男神像頭部の墨書

弘安五年二月四日
   大才■■
 勧進
  玄西

2-1-3) 第3群は寄木造の随神像

 第3群随神形立像(その10と11)。寄木造で第1群とはつくりかたが異なる。袍を着るが、裾をたくし上げていることから、主神をまもる随神と推測。

 なお、高来神社では、他にも神像の断片と思われるもの(本展で展示)が発見されており、上記11躯以外にも神像がまつられていた可能性がある。

2-1-4) 高麗山、箱根山、伊豆山の三社の結びつき

  渡来人といえば、埼玉県日高市の高麗神社と高麗山聖天院が思い浮かぶ。『続日本紀』には、霊亀2年(716)に駿河、甲斐、相模、上総、常陸、下野の高麗人を武蔵国に移し、高麗群を置いたという記載があり、高麗氏の祖、若光がまず相模の高麗を開拓し、武蔵国に移ったというのが一つの定説になっているのだとか。
 一方、高麗権現については、箱根権現と伊豆山走湯権現との結びつきも指摘される。薄井和夫先生は、箱根神社の「箱根権現縁起絵巻」(重文、鎌倉時代)に注目する。この縁起のストーリーが面白い。天竺の斯羅奈国の大臣源中将一が二人の娘とその婿とともに日本にわたり、相模国大磯に到着。一家は大磯の高麗寺に滞在したあと、中将と妹夫婦が箱根に行って箱根三社権現となり、姉夫婦が伊豆山権現となったという。詳しくは、薄井先生の文章がWebで読める(下記、参考1)ので、ぜひともお読みいただきたい。
 展示解説では、袍衣に袈裟をかける旧高麗寺の神像の表現は伊豆山権現と似ているとの指摘があったが、その背景に両社の結びつきがあったのだろうか。

2-2) 慶覚院

 高来(たかく)神社の神像はもともと高麗山(こまやま)にあった旧高麗寺(こうらいじ)に伝来したもの。展示説明によると、高麗寺は神功皇后朝鮮半島を制圧した際に、もともと信仰の対象であった高麗山に高麗権現社を創建したのが始まりとされる。明治の初めに高麗寺は廃寺となり、仏像は慶覚院に移された。一方、神像が高来神社で人知れず保管されてきたということになる。
 本展では、慶覚院の諸像のうち、以下の写真が展示されている。
仁王像(町指定、江戸)
地蔵菩薩坐像(県指定、鎌倉)
秘仏本尊千手観音立像(町指定、平安)
白山大権現立像(室町)
毘沙門天像(平安)

 なお、慶覚院の仏像は、秘仏本尊千手観音立像を除き、予約拝観が可能である。一度お参りしたことがあるが、大きな本堂に地蔵菩薩坐像(県指定、鎌倉)ほか、多数の仏像がまつられていた。今回の展示では、地蔵菩薩坐像の修理前の写真も展示。後補の金箔が剥がされ、かしげた頭部が正常な位置に戻されたことにより、全体的に若々しさを取り戻したように見えた。
 本尊千手観音様は2020年4月にご開帳が予定されていたが、コロナのため延期となっている。今回初めて、写真でお姿を拝見したが、プリミティブでかわいらしい印象だった。関東圏では、平安期に地元仏師によると思われるこのようなお像を見かけるが、これもそうした分類となるのだろうか? ご開帳となればぜひともお会いしに行きたい!
f:id:butsuzodiary:20210601165943j:plain
f:id:butsuzodiary:20210601170116j:plain
(↑旧高麗寺の仁王像は修理を経て、現在慶覚院におられる。2019年10月に筆者撮影)
f:id:butsuzodiary:20210602080145j:plain
(↑右側に見えるのが慶覚院の仁王さんがおられる山門)
f:id:butsuzodiary:20210602080328j:plain
(↑高麗山を背にして建つ慶覚院本堂)

3) 感想~残された神像群のチームプレイ~

 ここまで書いてきて、改めて展示全体を振り返り、ふと思ったことがある。
 神像その1は、頭部がしっかりと残っており、前述のとおりかなり端正なご尊顔である。一方、第2群の神像その7と8は、頭部が欠けて痛々しいお姿ではあるが、なんと弘安5年の銘が残っている。この銘によって神像全体の制作年代の裏付けられる一方、頭部を欠く他の神像もきっと端正なお顔立ちだったであろうと想像できる。
 これはまるで、お互いの欠落を補い合うかのようなチームプレイではないか。残された神像群のチームプレイに拍手喝采を送りたい!
 また、かつて国際政治専攻だった者として、高麗という名称が「こうらい」「こま」「高来(たかく)」と変化する点が気になる。その呼び名はいつ、なぜ変わったのか。そうした視点で歴史を見つめなおすことに意味があるような気がしてならない。

参考資料

1) 薄井和夫「新発見の大磯町高来神社の木造神像群」情報紙『有鄰』平成14年6月10日第415号P4(Web版:https://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/415_4.html
※特に興味深かった部分を引用する↓

 大磯高麗山・箱根山・伊豆山の三社の濃密な関係を示す縁起
(中略)
  しかし、高麗権現の縁起類として注目すべきは、当社と箱根権現、走湯(伊豆山)権現の三社に関わる深い結びつきである。現在も箱根神社に伝わる「箱根権現縁起絵巻」(重要文化財)は、鎌倉時代の成立で、高麗権現別当、高麗寺と箱根権現・伊豆山権現を一つの物語で結びつけたものである。その縁起の大略は以下のようなものである。
 昔、天竺の斯羅奈国の大臣源中将には、姫の常在御前と、その義妹、霊鷲御前の異母の二娘があったが、継母は性悪で常在を無きものにしようとした。そうした義姉を妹霊鷲が事あるごとに気遣っていたが、中将が不在中に危難に遭った二人は波羅奈国の王子、太郎と二郎に救われ、おのおのその妃となる。その後、帰宅した中将は、人生をはかなみ入道して二人を捜し、波羅奈国で二娘と再会、やがて後世の願いのため五人で日本に渡海することを決心、五人が海を渡り到着したのは相模国大磯の浜であった。 上陸した五人は高麗寺にいったん止まったが、箱根山という霊験あらたかな場所のあると聞き、そこに至った。父中将入道と霊鷲・二郎夫妻が箱根に永く止まることとなり、一方、常在・太郎夫妻は伊豆山に入ることとなった。中将ら三人が神となったのが箱根三社権現、常在・太郎夫妻が神となったのが伊豆山二所権現である、と。
 この縁起は、大磯高麗山・箱根山・伊豆山の三社の濃密な関係を示すものといえる。また、箱根権現・伊豆山権現を高麗権現の分霊とする説も生まれる。

2) 安倍美香「本地物語の変貌 ―箱根権現縁起絵巻をめぐって―」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/49/0/49_49_67/_article/-char/ja/

箱根神社所蔵『箱根権現縁起絵巻』(重文、鎌倉時代)、『神道集』「二所権現事」(南北朝)および神奈川県山北町の箱根正覚院由来『箱根権現縁起絵巻』(町指定文化財、1582)の相違点を比較した論文。


3) 仏像リンク慶覚院リポート https://butsuzolink.com/oisobura/
2019年10月のブラ参り。私も参加させていただいた。確か大きな台風の直後だった。

【世田谷区】御岳山古墳の上で蔵王権現を拝む

f:id:butsuzodiary:20210530191728j:plain
御岳山古墳の頂上にまつられる浮彫りの蔵王権現

 2021年5月28日は等々力不動尊(世田谷・満願寺奥院)の熱い一日だった。弘法大師・興教大師ご生誕青葉祭り大護摩供として、14時から護摩供養に加えて、茅の輪がオープン。さらに、近くの御岳山古墳(満願寺管理)がこの日だけ特別に公開された。

1) 蔵王権現に捧げる法螺貝の音色

 御岳山古墳は5世紀後半の築造で、近くの野毛大塚古墳(副葬品が国重文)と同じ帆立貝式前方後円墳だ。こんもりした墳丘はかつては自由に出入りできたようだが、近ごろは非公開となっている。古墳の名前からわかるように、かつてこの古墳のうえには御岳神社があったようで、今も墳丘の頂上に浮彫の蔵王権現像がまつられる。
 13:40頃に御岳山古墳に行くと、ちょうど蔵王権現の法要が始まるところだった。墳丘の上から等々力不動尊方面を見下ろすと、僧侶の一団が山門前の信号を渡るのが見えた。一列で練りながら古墳へ向かう。法螺貝を響かせ、古墳の入り口を通り、墳丘の参道を上って、頂上の蔵王権現の御前に到着した。
 東京世田谷に響く法螺貝の音色はエキゾチックだ。奈良の吉野の山を思い出す。そもそも等々力不動尊役行者ゆかりの地だ。国分寺崖線の端にあり、その崖の片隅に今も役行者像がまつられる。よって、蔵王権現がおられても、法螺貝が響いても、おかしくはないはずだ。しかし、それでも、21世紀の東京において、蔵王権現に法螺貝の音色が捧げられるというのは、エキゾチックと言わざるをえない。
 蔵王権現像の御前で、短く法要が執り行われた。南無御嶽権現、南無蔵王権現とおとなえし、般若心経が続く。関係者の焼香が済むと、僧侶の一団はまた法螺貝を鳴らしながら墳丘を下った。電気信号の点滅する交差点を渡って、等々力不動尊に戻られた。私はそのまま古墳に留まったので見ていないが、僧侶の方々は14時から本堂で護摩法要に臨まれたはずである。そして、夏越の祓のため、茅の輪くぐりも始まったはずだ。(茅の輪は数日間引き続き設置され、誰でもくぐれる)



2) 石仏〜5世紀の古墳の上に18世紀の人の生きた証が残る〜

 御岳山古墳でもう1点私が注目したいのは、墳丘の参道沿いに並ぶ数々の石仏である。人の名前と日付が書いてあるので、墓標のようだ。しかも、童子童女と書かれたものが多い。宝永、正徳、享保と18世紀初めのものが多いのだが、この頃この地域では災害か飢饉で子供が多く亡くなったのだろうか。5世紀に築造された普段非公開の古墳のうえに、江戸時代の人々の墓標。静かな異空間には、遠い過去に生きた人々の証があった。
 近くには多摩川が流れ、その恵みを受ける一方で、水害もあっただろう。思えば、2年前には近くで台風による水害も発生しているし、今はパンデミックの最中だ。昔も今も、生きていくのは大変だ。
 2021年5月、石仏の墓標は穏やかな日差しを浴びていた。よく見ると石仏様はそれぞれ個性的な表情であられる。静かに手を合わせた。
f:id:butsuzodiary:20210530192459j:plain
f:id:butsuzodiary:20210530192617j:plain
f:id:butsuzodiary:20210530192720j:plain
f:id:butsuzodiary:20210530192821j:plain

参考資料

f:id:butsuzodiary:20210530194002j:plain

【奈良】2021年3月末、奈良の仏像拝観リスト~拝観メモからふりかえる桜満開の奈良2日間~

 休日は仏像拝観で自律神経を整えたいのだが、今の感染状況を見ていると外出する気になれない。こういう時は、少し前の旅の記録を振り返ろう...。と、軽い気持ちで短くリストアップするだけのつもりだったのだが、自分の拝観メモを入力していたら、こんな感じになってしまった。
 コロナ禍のため予約拝観は避けたのだが、それでも感動の仏像めぐりができる。奈良とはそういう場所なのだと改めて思う次第。

2021.3.28(日)奈良市内のご開帳および奈良国立博物館

〇大安寺

・嘶堂の馬頭観音立像(重文) 毎年3月ご開帳 お姿はお寺のサイトから
・収蔵庫の諸仏 正面左から増長天広目天聖観音立像、不空羂索観音立像、楊柳観音立像、持国天多聞天。いずれも榧の一木。唐の様式を伝える、初期の密教仏。

十輪院

不動明王及び両脇侍像(重文、鎌倉)
・7,8,12月を除く28日の午後に不動明王の法要があり、護摩堂が開く。「ご参拝ありがとうございます。仏様の前でまず自信を見つめることが大切です。しばし瞑想なさるとよいと思います」と住職。私の拝観記録→【奈良】十輪院護摩堂の不動明王及び二童子像を拝む - ぶつぞうな日々 part III

奈良国立博物館

なら仏像館 展示リスト→https://www.narahaku.go.jp/exhibition/usual/202103_hotoke/ 
f:id:butsuzodiary:20210522142727j:plainf:id:butsuzodiary:20210522142746j:plain

第6室

・吉野金峯山寺仁王像特別展示(重文)撮影可!
薬師如来立像(奈良・元興寺)国宝。9世紀。
文殊菩薩騎獅像(奈良・東大寺)1337年

第1室

・128 十一面観音立像(奈良・松尾寺)10-11世紀。サクラ一木。内刳なし。奈良時代の乾漆像にならった、10世紀末頃の奈良地域の造像様式を示す。かわいいくて、私はとろけてしまう...
・074不動明王立像(和歌山・正智院)13世紀。頭髪は天台宗の不動十九観様。目や口歯は真言宗の大師様。正智院の毘沙門天と一具。

第2室

虚空蔵菩薩文化庁)大好き。額安寺旧蔵
・104 文殊菩薩坐像(薬師寺) 木心乾漆造。8世紀。福島・能満寺の虚空蔵菩薩坐像は本像と左右対称の姿勢で、像高も等しく、作風も一致。本像と一具か。(※ちなみに、福島の虚空蔵菩薩は毎年4月に公開日あり。今年は行けなかったけど、いつか必ず)

第3室

・120 阿弥陀三尊 個人像。室町。天文3年(1534)。奈良多武峰妙楽寺神仏分離後に談山神社と改称)に伝来。中尊の像底墨書により椿井仏師・次郎の作とわかる。妙楽寺講堂の本尊だった春慶作の阿弥陀三尊(現存せず)を手本にしたとみられる。(※説法印の阿弥陀さまって素敵。三尊とも眉が丸いお山を二つならべたような大きな弧でつながっていた。つり目も印象的)

第7室

・59 十一面観音立像(元興寺) 重文。13世紀。古像の復興像か。善円の作風に近い。(天平仏を見習った感じがとても好き)
・54 亀岡大宮神社伝来の観音菩薩立像(奈良博所蔵) 10世紀
・83 観音菩薩立像(奈良・勝林寺)11世紀。
・55 観音菩薩立像(奈良市法蓮町・瑞景寺) 重文。10世紀。自分の手帳に、髻の螺旋模様と耳にかかる髪のスケッチあり。
・124 十一面観音立像(奈良・地福寺) 重文。9世紀。インド風の表情。奈良法華寺や大阪観心寺の観音像と似る。翻波式衣文あり。
・ 123 千手観音立像(滋賀・園城寺)重文。9世紀
・11 十一面観音立像(奈良・勝林寺)重文。9世紀。榧一木。村の娘さんのようなかわいらしいお顔立ちでありながら、ぎゅっとくびれてから豊かに流れる腰まわり。つまり、キューティーセクシー。大好きを上回るこの気持ちを表す言葉を教えてください。最近は奈良国立博物館の外の看板にお写真が出ていて、館内に入る前からドキドキがとまらない。

f:id:butsuzodiary:20210522142818j:plain
奈良国立博物館常設の十一面観音立像(斑鳩町勝林寺)。なんて尊いのでしょう。キューティーセクシーでたまらない
f:id:butsuzodiary:20210522175338j:plain
白洲正子『十一面観音巡礼』にも写真付きで紹介
第9室

・龍猛菩薩立像(和歌山・泰雲院)重文。10世紀。襟を立てて、非常にやばい(語彙力...)
・明星菩薩立像(奈良・弘仁寺) 重文。9世紀。こちらも異様でやばい(語彙力...)
・69 地蔵菩薩立像(奈良・大福寺)重文 10~11世紀
・84 地蔵菩薩立像(奈良・法徳寺) 12世紀。未指定。定朝様。興福寺伝来。明治以降の所有者の変遷をたどれる。確か近年法徳寺に檀家様から寄贈されたもの。数年前に法徳寺で拝観したが、その後奈良博預かりとなっているのか。大きめの頭部と薄めの体部が私はとても好き。近く文化財指定もなされることだろう。

その他

興福寺不動堂

 南円堂の向かいに小さなお堂があり、法要中だった。これが不動堂のようで、28日だったので法要が行われていた模様。

氷室神社

 桜がきれいだった。何度も前は通っているのに、お参りしたのは初めて。

奈良充

・ほうせきばこ(事前予約)

 奈良古都香氷をどうしてもリピートしたかった。店内は氷好きな人しか来てない感じで、おしゃべりせずにただ氷を楽しむ方々ばかり。安心していただけた。

・さくらバーガー

 昨年お家に宅配してもらって2回ほどいただいた。やっぱりお店でいただくと最高。パンがパリパリだし、ハンバーグやベーコンもいい具合に焼けていた。泣けた。

2021.3.29(月)奈良市佐保路

〇不退寺

在原業平自作と伝わる白いリボン聖観音菩薩立像(重文、弘仁
五大明王 大威徳明王降三世明王軍荼利明王の三尊を拝観。かっこいい方々なのだが、平安後期の雅さが出ていて最高。不動明王金剛夜叉明王は住友財団助成による修復のためご不在。
地蔵菩薩立像 弘仁 前のめり

法華寺町墓地

地蔵菩薩立像
法華寺郵便局近くの共同墓地の入り口に、平安っぽい木彫仏がなにげなくまつられている。奈良ってすごい。
f:id:butsuzodiary:20210522172940j:plain

〇海龍王

f:id:butsuzodiary:20210522145307j:plain
中央須弥壇
・十一面観音立像ご開帳(重文、鎌倉)94cm
愛染明王(市指定、室町)45.5cm
不動明王
堂内正面左
文殊菩薩立像(重文、鎌倉)115cm、檜、伝運慶
堂内正面右
毘沙門天立像(平安後期~鎌倉前期)145cm
その他
隅寺心経、涅槃図の展示あり。境内は雪柳と桜が同時に咲いていた。平安京の端っこ、小さなこのお寺が好き。隅寺心経をお手本にした写経勧進がオススメ。

法華寺

・十一面観音立像(国宝)
 憧れがすぎて夢に何度も出てきしまう国宝の十一面観音さま。公開日にはできるだけ奈良にいたい...
「ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひみる ごとく あかき くちびる」(會津八一
その他、文殊菩薩騎獅像、宿院っぽい十一面観音、国宝維摩居士像など多数。

f:id:butsuzodiary:20210522181657j:plain
この美しさの前に私は全身でひれ伏すのです

2021.3.29(月) 長谷寺

f:id:butsuzodiary:20210522145129j:plain
 大和長谷寺は巨大な自己浄化装置だ。長谷寺さんの長い回廊の階段を上りながら、季節の花々を愛でる。山の中腹の本堂で巨大なご本尊十一面観音様をお参りし、また参道を下る。この一巡だけで、少なくとも一年間の自分の汚れは浄化される。そう私は感じているので、できれば年一で長谷詣をしたいと思っている。奈良市から距離があるとはいえ、お昼過ぎに大和西大寺駅を出ればのんびり長谷寺を堪能できる。この日は特別拝観が行われており、ご本尊の御足元に行って、御足をさすらせていただくことができた。何度行っても、そのたびに泣いていまう。カタルシスとはこのような状態を指すのだろうか。
 この日は長谷寺本坊(大講堂)の特別公開も行われていた。天井からかけられないほど巨大な観音様の仏画の公開がメインなのだが、大講堂のご本尊阿弥陀如来坐像が私にはたまらなく魅力的だった。文化財未指定のようだが、87.2cmで平安後期の優美なお像だった。1911年に大講堂火災の際、僧侶によって運び出されたのだそうだ。
 大講堂前の玄関を出ると、桜満開の壮観な長谷寺全域が目の中に飛び込んできた。世界中にありがとうと叫びたくなった。

【来迎会】One and Only! 弘法寺の踟供養が特別なわけ

f:id:butsuzodiary:20210505131338j:plain
f:id:butsuzodiary:20210505143728j:plain
f:id:butsuzodiary:20210505145436j:plain

 ここ数年、二十五菩薩来迎会の追っかけにいそしんできたが、コロナ禍のため2年連続で活動を停止せざるをえなくなった。今日5月5日といえば、岡山県弘法寺の踟(ねり)供養の日だが、去年に続き今年も中止だという。自宅にこもっていても、弘法寺踟供養の様子は鮮明に思い出される。瀬戸内市牛窓の温かく明るい日差しのもと、菩薩様と阿弥陀如来様がいきいきと目の前を歩かれた。2年前に弘法寺の来迎会を訪れたときに書いた文章に加筆し、写真と動画を加えたので、よろしければお目通しください。

f:id:butsuzodiary:20210505145602j:plain

千手山弘法寺の踟供養はなぜ特別なのか!

 二十五菩薩来迎会の追っかけ活動、2019年春の部の最後として、岡山県瀬戸内市牛窓へ向かった。千手山弘法寺(せんずさんこうぼうじ)である。
 弘法寺の踟供養(ねりくよう)は、當麻寺奈良県葛城市)および美作誕生寺(岡山県久米南町)と並ぶ日本三大練供養の一つ。(※弘法寺では、練供養ではなく、踟供養と表記する)
 練供養ファンの私は思う。今まで訪れた練供養はすべてストーリーや運営が異なり、どれも素晴らしい。しかし、あえて言うならば、弘法寺踟供養は、日本一、いや、世界一素晴らしい練供養ではないだろうか...
 その理由として、以下の3点を特筆したい。

1) 被仏が歩くのは弘法寺だけ!

 木彫仏の阿弥陀如来立像(迎講阿弥陀如来、いわゆる、被仏=かぶりぼとけ)の中に人が入るのは弘法寺のみ。古い形の来迎会を今に伝えている。この阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期の特徴を示し、彫刻的にも貴重。この鎌倉仏が今も現役で行事に使われている。胴体部分が空洞となっており、そこに人が入るのである。
f:id:butsuzodiary:20210505143635j:plain

2) 30年の中断を経て復活!

 昭和42年の火災で本堂などを焼失し、途絶えていた踟供養を關信子先生と関係者の皆様のご尽力により、平成9年に再興。常行堂に安置されていた迎講阿弥陀如来像を再発見・修復し、踟供養の再興に尽力された關先生のご功績はもっと注目されるべきだろう。踟供養の始まる前には、遍明院本堂で關先生自らがパワポで説明してくださった。弘法寺踟供養の歴史や式次第などを詳しく教えていただき、その日の踟供養がより一層楽しくなった。このありがたさをなんと言葉にできよう。
f:id:butsuzodiary:20210505143906j:plain

3) 静の弘法寺

 中将姫様を引接する際の菩薩様の所作が静かでエレガント弘法寺の踟供養は、いわゆる二十五菩薩の編成ではなく、天道2、地蔵菩薩2、観音6が登場する。このうち観音の一人が中将姫様の像に向かって、まずは3回膝を曲げる。次に、合掌した手を円を描くよう擦り合わせる所作を3回行う。さらに、3歩進んで2歩下がるこの所作を1セットとして3回行ってから、中将姫像に近づき、中将姫像を手にする。そして、もう一人の観音が手に持つ蓮台に中将姫像を載せる。この一連の動きが静かで、感動的である。"動の當麻寺、静の弘法寺"と呼ばれる所以である。
 この静かな動きを堪能していただきたく、6分間弱の映像をノーカットでインスタに上げた。瀬戸内の明るい陽射し。菩薩様のエレガントだが、少しぎこちない動き。静けさを引き立てる鳥の声。その辺りをぜひご覧ください(↓)。

www.instagram.com

最後にみんなで般若心経を。そして、なんと種明かしも...!

 なお、以前までは遍明院と東寿院という塔頭二つを結んで踟供養が行われていたが、今では、遍明院を出発し、下の広場で中将姫様を引接して、遍明院に戻るルートに変更されている。迎講阿弥陀さまは遍明院で菩薩様を迎えてくださるようになった。
 弘法寺の体制の変更によるルート変更なのかもしれないが、練供養のストーリーとしてはわかりやすいルートになったのではないだろうか阿弥陀様が遍明院の本堂で菩薩様にお辞儀して迎え入れ、遍照閣まで一緒に歩いてくださるのは、なんとも心温まる光景だ。
 最後にみんなで般若心経をお唱えする。種明かしとして、阿弥陀様の中から、中の人が出てきて終了となる。

 もうすべてがたまらなく愛おしい!

 弘法寺の踟供養は現在、岡山県無形文化財に指定されているが、国の重要文化財になるという話も聞こえている。當麻寺でもそういう話を聞いたので、練供養行事がいくつかまとめて重文指定になるのかもしれない。素晴らしいことだと思う。
 なにより望むのは「末長く続いてほしい」ということ。その一点につきる。

(↓ 遍明院本堂前で菩薩様を待ち受け、お辞儀をする阿弥陀如来様)

www.instagram.com
(↓ 菩薩様とともに、極楽浄土へ見立てた遍照閣へと歩き出す阿弥陀如来様)
www.instagram.com
(↓ 遍照閣の前に集合。見物客も声を揃えて般若心経をお唱えする。感動的)
www.instagram.com
(↓ 種明かし! 大役を務められた千手地区の男性の笑顔がまぶしい)
www.instagram.com

f:id:butsuzodiary:20210505150853j:plain
踟供養のルート。遍明院から階段を下りて、広場で中将姫様をお迎えし、また遍明院に戻るルート。以前のように東寿院は通らない。

【拝観案内】

千手山弘法寺(せんずさん こうぼうじ)
高野山真言宗
昭和42年の火災で本堂は焼失。現在は、遍明院と東寿院の塔頭二つが残る。
遍明院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
東寿院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手196
播州赤穂西大寺駅から神崎経由牛窓行きバスに乗り、「千手弘法寺下」下車。バス停からすぐだが、バスの本数が限られているので注意。1回目に行ったときは、帰りのバスの待ち時間が長く日が暮れてしまいそうだったので、タクシーを呼んだ。

踟供養の日時

 毎年5月5日14時から法要、15時から菩薩渡御。

弘法寺の仏像

 山号のとおり、本尊は千手観音立像だが、弘法寺本堂が焼失したため、今は遍明院本堂の裏手にある収蔵庫に安置される。厨子の中に収められており、非公開。この遍明院の収蔵庫は横長の建物で、平安後期の五智如来坐像を横一列に安置する。
 遍明院から少し山を登ったところに、かつての弘法寺本堂の跡地がある。かつてはそこで練供養が行われていた。本堂跡地の近くに、焼けずに残った常行堂があり、そのお堂いっぱいに丈六の阿弥陀如来坐像が現存する。八角裳懸座の立派なお像である。
 踟供養に登場する被仏(迎講阿弥陀如来像)は關先生が調査し、その存在を確認したお像である。調査に入った關先生が、常行堂で倒れるようにしていた像を発見。後補の塗装が剥がれかけており、そこを触るとぺりっとめくれ、運慶の無着世親像(奈良・興福寺)を想起する鎌倉彫刻の衣文が見えたそうだ。この被仏は關先生のご尽力で修理され、現在は遍明院の収蔵庫にまつられている。年に一度、踟供養でご活躍されるのは上記のとおりである。
 東寿院の本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。頭部に補修のあとがあるものの、快慶らしい三尺の阿弥陀立像である。胎内文書のみが奈良博の快慶展(2017年)に出展された。
f:id:butsuzodiary:20210505143432j:plain
(↑遍明院の五智如来の中尊、大日如来。優しく穏やかな印象がたまらない)
f:id:butsuzodiary:20210505143502j:plain
(↑常行堂に残された丈六阿弥陀如来坐像。写真はゆう1さん撮影)

※最後に、2015年に弘法寺練供養を訪れた際の記録はこちらです。この時とはルートが変更になっています。ご参考まで。
岡山県瀬戸内市 弘法寺の踟供養(阿弥陀来迎会) : ぶつぞうな日々 PARTII

【独り言】コロナ対策が進む美術館を閉めるなんて! 2年連続ステイホームのGWはつらいよぉ

f:id:butsuzodiary:20210429225652j:plain

ご開帳中止のうえ、美術館まで閉める? これ以上の自粛はつらいよー!

 コロナ禍で遠出はだいぶ控えてきた。2020年は9月と10月前半に出かけたが、10月後半からまた自粛していた。その当時は冬は空気が乾燥するから飛沫感染が増えるという説明だった。よって、冬さえ我慢すれば、翌2021年の春にはまた、たくさん出歩けると思い込んでいた。
 ところが、変異株とやらのせいで、さらに感染拡大が続いている。「マンボウって何?」と思っているうちに、4月に入って緊急事態宣言が発出。関西のご開帳が相次いで中止となり、私もゴールデンウィークの予定を変更せざるをえなくなった。まずは、紀三井寺を含め関西エリアを幅広く回るプランAから、奈良にしぼったプランBへと変更。しかし、奈良の興福院のご開帳が中止となったこともあり、結局関西行きは断念することに。首都圏内で美術館を中心にのんびり過ごすプランCに変更した。ところが、ところが...! 1月の緊急事態宣言時とは異なり、今回は美術館の多くも休館となってしまった!
 美術館は予約制導入や入場制限などにより、この1年間でコロナ対策が大きく進んでいる。入場者数を絞り、館内での私語を避ければ、何の問題もないではないか! 突然の休館の知らせに私はかなり落ち込んだ。予約キャンセルメールが実際に届き、呆然とした。私もつらいが、開催に関わられた方々はもっとつらいだろう。動く歩道まで設置して開催にこぎつけた鳥獣戯画展の努力をどうしてくれよう。京都で凡夫とまみえる機会を奪われた鑑真和上様をどうしてくれよう。
 命より大切なものはないし、ステイホームで感染機会が減らせることも理解できる。しかし、「仏像に会う」「美術館に行く」という行為は、生きていくうえで必要不可欠なのである。特に、不安と緊張の続くコロナ禍だからこそ、不要不急と切り捨てられないのではないか。オリンピックはやるのに、美術館閉めるとはどういうことか。
 そういうわけで、2年連続でGWに外出を自粛せざるをえないこの状況について、私は頭で理解できても、心と体が受け付けなくなってしまった。出かけたい。でも、出かけてはいけない。4月24日から数日間、私はそうしたアンビバレントな感情を抱え、気持ちが沈みがちとなった。自らの混乱を収める一つの方法として、美術館やご開帳の開催状況をまとめてみた。感情がもやもやするときは、まずは目の前の事実を整理してみるのが効果的だ。おかげでやっと少し落ち着いたので、これを書いている。これからGWのプランDを検討しなくては。遠出できなくても、きっと何か楽しいことができるはず。
 

美術館等の休館情報まとめ

 
(※2021.4.27現在の情報です)
(※個人調べのため間違いがあるかもしれませんし、今後また急な変更もあるかもしれません)

閉まっているのはつらい。だけど、紀三井寺石山寺のように、開いているのに、遠いから自粛しないといけないのもつらい。。。

1) 休み

・八王子夢美術館 4/26-5/11休(北斎展当初予定6/6まで)
東京富士美術館 4/25-5/11休
府中市美術館 4/25-5/11休(与謝蕪村展が5/9までだった)
五島美術館 4/25-5/14休
・八王子市郷土資料館 図書閲覧停止 4/26-(郷土資料館が3/31閉館後も同館内で続けられていたサービス)
・桑都日本遺産センター八王子博物館 4/29オープンが延期
・八王子市図書館 4/27-5/11閉館
多摩森林科学園 4/24-閉鎖
根津美術館 4/25-5/11閉館、5/11-16夜間開館中止(国宝燕子花図屏風は5/16まで)
新国立美術館 4/25-5/11閉館、佐藤可士和展中止
あべのハルカス グランマ・モーゼス展 4/25-当面閉館(当初予定6/27まで)
東京国立博物館4/24-当面の間休館、鳥獣戯画展の当初予定は5/30まで
京都国立博物館鑑真和上と戒律4/25-5/11閉館(当初予定5/16まで)
九品仏浄真寺 5/5お面かぶり延期/千部法要を僧侶のみで
・大念仏寺 5/1-5万部おねり お勤めのみ山内職員で厳修。二十五菩薩の練供養と伝供を自粛。来山参詣ご遠慮ください。
パナソニック汐留 クールベと海 4/28-当面休み(ただし解説動画配信4/26, 5/6, 5/9)
・Play! Museum 4/26-緊急事態宣言終了まで休み(酒井駒子展-7/4, ぐりとぐら-2022/3末)

2) まあやってる

高幡不動尊 不動堂と五重塔無料休憩所への入堂禁止(緊急事態宣言中)
・高尾山 4/25- ケーブルカーとリフトは営業。一部店舗で酒類提供休止。高尾さる園野草園は休園

3) 開いてる

紀三井寺よみがえりご開帳 5/29まで○(※「なるべく緊急事態宣言停止後にご来山ください」HPより)
奈良国立博物館 聖徳太子法隆寺 4/27-6-20 ○ 事前予約優先(国宝聖徳太子絵伝全十面一挙公開と国宝塔本塑像羅漢坐像は奈良会場のみ)
・塩船観音寺 5/1-3秘仏本尊ご開帳○(特に中止情報なし。入堂拝観可能かは不明)
山梨県立歴史博物館 武田信玄の生涯5/10まで○
金沢文庫 鶴見寺尾郷絵図の世界 5/23まで予約制
・鎌倉国宝館 鎌倉の至宝5/9まで○ 予約不要
・大磯町郷土資料館 「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」 6/20まで○
・大岩山毘沙門天 ご本尊出開帳 5/9まで○
石山寺光堂公開

【奈良】十輪院護摩堂の不動明王及び二童子像を拝む

f:id:butsuzodiary:20210404233847j:plain
護摩堂内部(※堂外から筆者撮影)

十輪院の石仏龕(重要文化財

f:id:butsuzodiary:20210404234852j:plain
 奈良市内ならまちエリアの十輪院といえば、本堂のご本尊の石仏龕(重文、平安中期から鎌倉前期)が有名だ。石仏の地蔵菩薩立像の両脇に釈迦如来弥勒菩薩が浮彫で表される。さらに、仁王、聖観音不動明王、十王、四天王、五輪塔、観音・勢至菩薩の種子などがめぐらされる。龕の上部、左右には北斗七星などの星座も。お参りするたびに、親切で詳しい説明をしていただける。元興寺の境内にあった石仏のお地蔵さんをまつるため、石のお厨子が造られ、さらにそれに合わせたお堂ができた。そのお堂、つまり今の十輪院の本堂は、石仏龕を拝むための礼堂として建立されたもので、国宝に指定されている。

十輪院護摩堂の不動三尊像(重要文化財

f:id:butsuzodiary:20210404234913j:plain
 今回初めて拝観させていただいたのは、本堂手前の護摩堂にまつられる不動明王及び二童子だ。護摩堂は普段は閉まっているのだが、7月、8月および12月をのぞく28日の午後2時から法要が行われ、不動三尊を拝むことができる。やっと28日に奈良に行ける機会が得られたので、迷わずお参りした。
 事前にお電話して時間を確認し、2時前に到着したのだが、すでにお堂は開いて法要が始まっていた。入堂し、法要を拝見する。導師は十輪院住職の橋本昌大様。不動三尊像の前で、護摩木を積んでどんどん燃やしていく。十輪院真言宗醍醐派に属すそうで、とても力強い護摩法要だった。
 護摩堂ご本尊の不動明王立像は智証大師円珍の作と伝わり、一願不動尊として信仰を集めてきた。弁髪で、右眼は天を見つめ、左眼は地をにらむ。右手に利剣を、左手に羂索を握る。顔は忿怒形でありながら、穏やかな感じもするのは、平安後期の造像だからだろうか。向かって右の矜羯羅童子、左の制吒迦童子は上半身をひねり、不動明王を見上げる。不動明王像は寄木造りで、それより小さい二童子像は一木造り。
 法要のあと、お札を申し込んだ人にはお札が配られる。これは当たり前なのだが、十輪院様では、お札を申し込みそびれた私のような一介の参拝者にまで、仏様のお下がりのお菓子を分けてくださった。温かいお茶が用意され、住職を中心に少しだけ歓談の時間が設けられた。これがまた穏やかで和やかで、とても感動した。また28日にお参りできたら、今度はお札をお願いしよう。28日に行けなくても、きっとまた十輪院さんをお参りするだろう。奈良は東大寺法隆寺といった大寺院が有名だが、実は、こういう小さなお寺もとてつもなくよいのだ。
(拝観日2021.3.28)

【拝観案内】

十輪院
奈良市十輪院町27
0742-26-6635
公式サイト www.jurin-in.com
石仏龕 南都 十輪院 (真言宗醍醐派)|拝観|石仏龕
不動明王および二童子南都 十輪院 (真言宗醍醐派)|拝観|不動明王および二童子立像
護摩堂の不動三尊の拝観は、7月、8月および12月を除く、毎月28日。14時頃に始まる法要の際に、お堂が開いて不動三尊を拝観できる。ただ、イレギュラーなこともあるでしょうから、事前にお電話でご確認ください。
※写真2枚目と3枚目はお寺のパンフより

【滋賀】石山寺で十一面観音立像の特別公開 ~石山寺の諸像をゆっくり拝む~

f:id:butsuzodiary:20210403223551j:plain

1) 石山寺で十一面観音立像の特別公開

 石山寺の本堂で特別公開中の十一面観音様を拝ませていただいた。勅封秘仏のご本尊様の真後ろに、穏やかな観音様が立っておられる。こちらが後退りしてしまうほど近かった。間近で静かに手を合わせた。像高約170cm。平安後期12世紀。湖北から来たと伝わるそうだが、それ以上の情報は聞こえてこない。石山寺にまだこれほどの仏像がおられたとは驚きである。文化財未指定なのだろうか。桜が満開で境内は賑やかだったが、本堂の内陣拝観は人が少なく、ゆっくりとお参りできた。
 石山寺のご本尊如意輪観音様は筆舌に尽くしがたい魅力があるが、この日は非公開。残念だが、その分、それ以外の素晴らしい仏像を拝む余裕ができた。以下で、石山寺の仏像を振り返ってみる。

2) 石山寺の創建に東大寺大仏との関わり

 「石山寺縁起絵巻」によると、石山寺天平19年(747)、聖武天皇の勅願により、東大寺の良弁僧正が創建。聖武天皇が大仏を荘厳する黄金の産出を祈願するよう良弁に命じた。良弁は最初吉野で祈願するが、蔵王権現の夢告により石山の地にたどり着く。石山の岩の上に観音像を置いて祈ったところ、陸奥の国で金が見つかった。その際、観音像は石山の岩から離れなくなったため、そこに草庵を建てたのが始まりとされる。

3) 石山寺本堂の仏像群

 本堂中央の宮殿に、勅封秘仏のご本尊如意輪観音様がまつられる。その前にお前立像。
 正面左側に不動明王坐像(重文)。像高86.7cm。平安10世紀後半。檜材の一木造り。お不動様の辺りはなぜか暗く、目をこらなさいとよく見えないのだが、大変立派なお像である。総髪で、目を見開いて、上歯で下唇をかむ、大師様。
 右側に薬師如来坐像。その周りに板彫十二神将興福寺の板彫像を思い出す、ユニークで生き生きした十二神将だ。その裏側に、良弁像吉祥天像、そして、塑像金剛蔵王権現の心木
 石山寺創建当初、ご本尊の脇侍として、金剛蔵王権現と執金剛神の二柱がまつられた。本堂に現在安置される蔵王権現の心木は創建当初のもので、右脚を上げる蔵王権現独特のポーズを取る。しかし、台座に右足を置く跡が残ることから、創建当初は右脚を下ろしていたと考えられている。良弁は吉野の蔵王権現から夢告を受け、また、東大寺には良弁の念持仏執金剛神像が残る。良弁にかかわる神像二柱が本尊の脇侍であることは興味深い。
 お堂の右奥に巨大な毘沙門天とそれより少し小さめな増長天持国天。何気なくまつられているが、いずれも平安時代の作で、この3像で一括して重要文化財に指定されている。毘沙門天は像高262.1cmの巨像。瀬田にあった毘沙門堂から移されたと伝わる。持国天(像高162.1cm)と増長天(158.8cm)は一具で、毘沙門天とは別に制作された。
 また、宮殿の両脇に14体ずつ並ぶのは二十八部衆だろうか。よいお像だと思うのだが、情報がない。

f:id:butsuzodiary:20210404174337j:plain
石山寺本堂の不動明王坐像(※写真は『大津の文化財』より)
f:id:butsuzodiary:20210404174424j:plain
石山寺本堂の毘沙門天持国天増長天(※写真は『大津の文化財』より)

4) 他のお堂にも重文のみほとけが

 それにしても、石山寺の美しさにはいつも息をのむ。琵琶湖から流れる瀬田川のほとり、硅灰石の上に堂宇がある。国宝の美しい多宝塔を覗き込むと、快慶さんの大日如来。なぜにあれほど美しいのか。像高101.7cm。像内頭部に墨書に「アン阿弥 陀(快慶)」ほか、快慶工房の仏師の名前がある。像表面に江戸時代の修理が残るそうだが、それでも快慶さん独特の美しさが満ちている。私は多宝塔を覗き込むたびに息が荒くなり、「惚れてまうやろ~」と心の中で叫んでいる。
 毘沙門堂を何の気なく覗くと、兜跋毘沙門天は平安の重要文化財だ。像高174.2cm。地天女の掌上に立ち、尼藍婆毘藍婆を足元のおく。この地天女と尼藍婆毘藍婆を含めて、一材から彫り出す。内刳りなし。

f:id:butsuzodiary:20210404174525j:plain
毘沙門堂を覗き込む(※筆者撮影)

 また、2021年4月29日〜5月17日にまた光堂の特別公開があるそうだ。困った。また行けるだろうか。ここの大日如来坐像は平安前期の重量感あるお姿で、私は一目拝して腰が砕けてしまった。多宝塔の旧本尊だったそうで、今の快慶さんの大日如来様も脳裏に浮かび、平静を保つことが難しくなってしまう。光堂本尊は阿弥陀如来坐像鎌倉時代の作。淀君寄進による如意輪観音半跏像(慶長年間1596-1615)も美しい。
滋賀県大津の古刹 石山寺・三井寺 あお若葉 もみじの競演 | 大本山 石山寺 公式ホームページ

5) ご本尊様にお会いしたい

 本堂にまつられるご本尊様は勅封秘仏の二臂の如意輪観音33年に一度、または、天皇陛下ご即位の翌年に、勅使によってのみ開扉される。令和2年の春にご開扉があったが、私を含め、自粛された方も少なくないのでは。私は2016年に拝観したが、あの感動は言葉に表せない。
 天平宝字6年(762)に造立された塑像が承暦2年(1078)に焼失したあと、木造で再興されたお像である。奈良時代に観音とされていたが、平安時代真言密教寺院となる過程で如意輪観音として礼拝されるようになったと考えられる。像高293.9cmと巨大ではあるが、愛くるしいご尊顔に打ちのめされる。岩の上の蓮華に座り、左脚を下げるさまは、やんちゃな感じがしてたまらない。高貴な像であるのに、親近感も覚えてしまうのだ。
 感染が落ち着いたら、特別に開けていだけないだろうか。
f:id:butsuzodiary:20210403223641j:plain
f:id:butsuzodiary:20210403223742j:plain

拝観日=2021.3.27

【拝観案内】

西国三十三所観音霊場第十三番札所
大本山石山寺
滋賀県大津市石山寺1-1-1
公式ホームページに縁起等が詳しく説明されているので、必読。
www.ishiyamadera.or.jp

参考資料

大津市制100周年記念 大津の文化財大津市教育委員会(平成10年)

【展覧会】鑑真和上と戒律のあゆみ@京都国立博物館~鑑真和上は生きている~


凝然国師没後700年 特別展
鑑真和上と戒律のあゆみ
京都国立博物館

前期展示:2021年3月27日(土)~4月18日(日)
後期展示:2021年4月20日(火)~5月16日(日)
f:id:butsuzodiary:20210329082428j:plain

鑑真和上は生きている!

 鑑真和上に久しぶりにお会いしたく、展覧会初日に出かけてきた。
 天平の乾漆像は生き生きとしたお像が多いが、この鑑真和上像は特別だ。穏やかに微笑み、まるで息をしているかのようだ。穏やかでお優しいお人柄が全身からあふれ出ている。おそばに行って、お話したくなってくる。あわよくば、悩みを聞いてもらいたい。私のようなダメ人間でも、きっと温かく話を聞いてくださるような気がする。
 静かに閉じた両眼は左右が若干アシンメトリーなところが魅力的だ。日本に到着した時には視力を失ったとされる鑑真和上だが、実は少しだけ見えていたのではないかとまで思ってしまう。今にも薄目を開けて、こちらを覗いてきそうだ。描かれたまつ毛が愛おしい。
 お腹の前で組んだ両手は正面より少し右側に寄っている。おそらくそれが鑑真和上の癖だったのだろう。高尚な人格がにじみ出るのに、親しみを覚えてしまうのは、こうした点にあるのだろう。
 教科書に載っていて、日本人なら誰もが見たことのあるお像だと思う。しかし、実際に間近でお会いしないと、お像の息遣いまでは聴こえてこない。
 唐招提寺では、和上の御命日を挟んだ6月の3日間のみ、ご開帳される秘仏である。京都国立博物館で2か月近く公開されるのは大変ありがたい。初日の夕方、館内はガラガラで、ゆっくり拝観できた。

眉間寺阿弥陀如来坐像

 展覧会は戒律に関する文書や絵画が多く、仏像の展示は少ない。しかし、眉間寺伝来の阿弥陀如来坐像がとてつもなく美しかった。安祥寺五智如来と対面する形で展示されている。眉間寺伝来の阿弥陀如来坐像は今は東大寺の所有なのだそうだ。東大寺で前に拝観したことがあっただろうか。

 個人的には、大山崎の大念寺の阿弥陀如来立像の胎内納入物が見られて嬉しかった。昨年阿弥陀如来様をお参りさせていただいた際、一部を写真で拝見していた。ご住職はお元気でおられるだろうか。

MJTシャツ売ってる

 ミュージアムショップで、みうらじゅんデザインのTシャツが売ってた。恐る恐る買ってしまったが、私似合うかな? きっと多くの仏友さんとお揃いになりそう。