ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【群馬】日輪寺十一面観音立像〜丸山尚一が強い精神性を指摘する鉈彫仏〜

 丸山尚一さんが「像にこもる強い精神性」を指摘する日輪寺(群馬県前橋市)の鉈彫の十一面観音立像。憧れの鉈彫像にお会いした。神奈川県の日向薬師弘明寺の鉈彫仏との相違も含め、感想を書きたい。

1) 丸山尚一さん絶賛の日輪寺 十一面観音立像

日輪寺(群馬県前橋市
十一面観音立像(県指定重要文化財
毎年1月11日にご開帳
10時と14時に先代住職による解説あり
台座を含む総高は154cm 。像高128.5cm 。桂材の一木造
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1-1) 鉈彫仏の規則的な鑿目と不規則な鑿目

 鉈彫とは何か。簡単なようで難しい。素朴な技法のようで奥深い。鉈彫仏といえば、日向薬師秘仏薬師三尊(神奈川県伊勢原市)が好きで、ほぼ毎年ご開帳日に通っている。日向薬師三尊の傑出する点の一つとして、執拗なまでに規則正しく、横向きに鑿の跡を残すことを指摘したい。両脇侍像は、ご尊顔にも横向きの鑿目があり、強烈な印象を与えている。如来と菩薩で粗彫りの残し方が異なるところも興味深い。鉈彫仏の最高傑作だと私は思っている。

 一方、日輪寺の十一面観音立像は、鑿の跡は全身に及ぶものの、非常にランダムに、不規則に刻まれている。同じ鉈彫像であっても、日向薬師とは非常に対照的だ。この違いはなんなのだろうと思っていた。

 日輪寺に行って、すぐに謎は解けた。先代住職の解説によると、鉈彫りの第一期は規則的に鑿の跡を残すのに対し、第二期になると不規則になるのだという。日向薬師や横浜の弘明寺の鉈彫像は第一期で、日輪寺の像は第二期というお話だった。帰宅してから『仏像 一木にこめられた祈り』展(2006年)の図録を引っ張りだしてみると、一期や二期という言葉はないものの、確かに、鉈彫り初期の像は「横方向のノミ目をきれいに整えるなど形式美を意識する像も多い」とあった。

 ふむふむとうなづく一方で、私にはとても難しい話だと感じた。なぜだろう。規則的から不規則的へと進むというのは不思議だ。普通であれば、不規則的にいろいろ試してみて、その中から規則性を確立していくものではないか。日向薬師のような執拗なまだに規則的な鑿目を残す像が、突如として現れるのはなぜだろう。難しい。

1-2) 灯りの照らし方によって違うお顔に

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 先代住職は解説の途中で、お堂の扉を閉めて電気照明を切り、ろうそくの灯りだけで観音様を照らしてくださった。ろうそくを頭の上の方から照らすと、十一面観音様は瞳を閉じた穏やかな表情になった。次に、首の下から上に向かって灯りを当てると、今度は両眼を見開き、強いお顔になった。先代住職は光の当て方によって、定朝様のようにも密教仏のようにも見えるとおっしゃった。灯りを上から照らすのと下から照らすのを繰り返すと、観音様は目を閉じたり開けたりなさっているように見える。こうした仏像の見せ方は京都府京田辺市の寿宝寺の千手観音様以来で、感動してしまう。

2) 弘明寺(神奈川県横浜市)の十一面観音立像との相違

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 日輪寺をお参りした翌々日、その記憶の薄れないうちに、横浜の弘明寺で鉈彫りの十一面観音立像を拝観した。丸山尚一さんが、日輪寺の観音像と似ているようで対照的と書かれていた観音様だ。
 内陣奥でお姿が見えた瞬間、お首を少し左に傾けた感じが日輪寺の観音様とそっくりで、ゾクっとした。その一方で、弘明寺の観音像は鑿目を横向きに規則的に刻み、日輪寺のそれとはかなり異なる
 上の写真は丸山尚一さんの本に掲載された藤森武さんの写真。横目の鑿の跡がよくお分かりいただけるだろう(藤森さんの写真の威力を絶賛したい)(注1)
 思い出すのは、鉈彫像は時代がくだると規則的な鑿目から不規則になるという指摘だ。そうだとすると、日輪寺の観音像は弘明寺の像を思いながら、新しい鉈彫り像を作り上げたのだろうか…。
 どちらのお像からも強い精神性を感じることに変わりはない。鉈彫り像が好きだ!

3) 日向薬師(神奈川県伊勢原市)の鉈彫薬師三尊

 日向薬師の鉈彫仏がとにかく好きで、過去に何度もお参りしている。去年お参りした際、まとめ記事の一部に少しだけ書いたので貼っておく。クリックしスクロールダウンしてご覧いただければ。最後の方に日向薬師の三尊に言及している(お手間取らせて申し訳ありません)。
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4) 鉈彫は東国限定ではないらしいし、思いのほか難しい

 それにしても、鉈彫仏は思いのほか難しい。東国のものと言われていたが、最近では、西日本にも例があると指摘されている。私の拙い経験だけでも、福井や滋賀、愛知にもおられる。研究が進めば、まだまだ出てくるかもしれない。制作時期や地域によって違いはあるのだろうか。興味は尽きない。日本中から鉈彫仏を集めた展覧会が開催されることを願っている。

写真について

・写真1枚目は丸山尚一『地方仏を歩く 第三巻 東北・関東・中部編』NHK出版より
・写真2枚目は筆者撮影。日輪寺境内の看板。
・写真3枚目は丸山尚一著・藤森武写真『十一面観音紀行』平凡社1985年より

注1 なお、弘明寺の観音様はお厨子の中におられるので、この写真のように横向きから拝むことはできない。しかも、照明の関係で、頭上の一番上の化仏も影になってまったく見えない。今回お寺の方のご好意で、化仏を一瞬だけ拝ませていただくことができた。詳しいことは書けないが、頭頂の化仏は確かにおられたので、とても安心した。

【展覧会】出雲と大和展1回目感想(大寺薬師四天王立像と矢田寺十一面観音立像)

出雲と大和展 2018.1.15-3.8(東京国立博物館
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 出雲の某寺で、「うちの仏さん、オリンピックの年に東京に行くよ。もう予約入ってるから」と、大変な情報リークを受けたのが、2017年11月。

 あれから2年あまり。2020年1月15日にようやく展覧会が始まった。その名も「出雲と大和」展。

 さっそく最初の土曜日に行ってきた。これから何度か行くと思うが、まずは、1回目の感想として、大寺薬師の四天王立像と矢田寺の十一面観音立像がどれだけ好きかを書きたい。(※なお、一部の仏像に大きく偏った内容となるので、ご注意いただければ幸いです)

大寺薬師の四天王立像(島根県出雲市

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 2017年に島根県立古代出雲歴史博物館で、県内の平安仏ばかりを集めたとんでもない展覧会(「島根の仏像」展)が開催されたのだが、その際に、この四天王立像も本尊薬師如来坐像とともに出陳された。
 私はこの展覧会を観に行く際、大寺薬師さまをお参りした。展覧会に出陳された5躯以外にも、平安の菩薩立像が4躯もおられると知ったからだ。
 大寺薬師は今は無住となっており、地元の大寺薬師奉讃会が管理する。近くに住む管理者の方に事前にお電話でお願いし、鍵を開けていただいた。「メインの仏像が展覧会に出ているのにわざわざ東京から来てくれるなんて…」と、大変歓待してくださった。お寺や仏像の伝来など、たくさんお話させていただく中で、飛び出したのが「オリンピックイヤーに東京へ」という一言だった。
 帰ってから、しばらく悩んでしまった。ものすごい情報を得てしまった。地元では秘密ではないのだろうが、東京では公式情報が出ていない。つまり、私からSNS等で発信するのは控えるべきだと思った。そうすると、何が起こるか。外に発信できない分、自分の中で妄想が膨らむのである。
 「オリンピックイヤーに東京へ」というテキスト情報と四天王様のかっこいいビジュアル情報のみが私の脳内に残された結果、この四天王様がスポーツで激しく戦っているシーンが繰り返し夢想される事態となってしまったのである! 四天王初のオリンピック選手の登場である。
 脳内オリンピックを何度となく観戦したのち、ついに、「出雲と大和」展で四天王様に再会した。
 やはりとてつもなく躍動感がある! 
 これはオリンピックで大活躍するに違いない!! 
 実際には木彫仏なのであって、動くはずはないのだが、そのお姿を拝む私の頭の中では、すべての四天王様が激しく動き出すのだった。
 夢想する中では、四天王様の持つ戟がアイスホッケーのスティックに見えたこともあった。しかし、しかし…。久しぶりに再会した四天王様はやはり、衆生をお救いになるお姿だった。しかも、四人そろって嬉々として助けに来てくれそうな感じさえした。私はとても安心した。オリンピックに出たら、金メダル間違いないとは思うが…!
 今回の展示会場では、広いスクエアの空間の四隅に一尊ずつを配置した構成も素敵。大勢押しかけても、近くで拝観できる。
 大寺薬師の管理者の方にまたお電話したくなってきた。「四天王さん、東京でもカッコよいですよー」と、電話口で叫びたい私である。出陳ありがとうございます。

矢田寺の十一面観音立像(奈良県大和郡山市

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 大寺薬師の四天王立像とは対照的に、直前まで情報が入ってこなかったのが、矢田寺(金剛山寺)の旧本尊十一面観音様だった。
 矢田寺本堂の大きなお厨子の中、現本尊の地蔵菩薩立像の左隣りにお立ちの観音さま。基本的に毎年6月のみのご開帳である。数年前に地蔵菩薩さまにお会いしにいったのだが、お隣のこの十一面観音に心を奪われてしまった。かわいいのに上品で、上品なのにセクシー。8世紀後半のこの桐の木彫仏には、乾漆像のような瑞々しさと柔らかさがある。
 お寺では、お厨子の中におられるため、全身を拝むのは難しい。かがみ込んで、下から覗き込んだりして、”あやしい人”になってしまう。ところが、この展覧会では、すぐそばから全方向からお姿を拝むことができた。いわゆるサンロクマルである。

 この十一面観音様は「天平」展(1998年奈良国立博物館)にも出展されていた。この図録にも、今回の「出雲と大和」展覧会図録にも、条帛に木屎漆の盛り上げがうんぬんと書いてある。気になる。前から気になっていたが、さらに気になる。条帛部分はすべて木屎漆なのだろうか。目を凝らして観る。胸の下の条帛部分、少し波打ちながら盛り上がっている。細かいヒビも見える。これが木屎漆なのか!? 

 そして、初めて背面を見てびっくり! この焦げたようなあとはなんなのか。背面の条帛は焦げている? 後頭部も焦げてないか?? 暴悪大笑面はお顔の表面が削られていて、表情が伺えない。化仏は後補? 後ろから観るお姿は想定とかなり異なっていて、ドキドキしてしまった。

 矢田寺十一面観音の大ファンの一人として、照明の当て方は少し不満だった。斜め横から照らしてしまうと、のっぺり見える感もぬぐいきれず…。しかし、何時間でもその前にいたいと思える素晴らしい観音様であることに変わりない!! 

 私はこの日、2回に分けて合計2時間、十一面観音様の御前で過ごした。好きすぎるので、またお会いしに行きたい。繰り返しで恐縮だが、かわいいのに上品で、上品なのにセクシー。好きで好きでたまらない観音様なのであります!

写真について

・展覧会ポスターは2019年の年末に都内の駅で撮影。
・大寺薬師の四天王立像の写真は、「仏像 一木にこめられた祈り」展(2006年東京国立博物館)というマニアックな展覧会の図録より。
・矢田寺十一面観音立像の写真は、「天平」展(1998年、奈良国立博物館)の図録に掲載の写真を紙にプリントし、昨年6月に矢田寺本堂前にて撮影したもの。この写真をこうやって常時持ち運び、頻繁に引っ張り出して眺めていた。

【京都】嵯峨薬師寺〜地蔵盆8月24日に一般公開〜

京都市右京区・嵯峨薬師寺
地蔵菩薩半跏像
8月24日10-15時のみ一般公開
15時より法要(檀家のみ)、その後、送り火

 嵯峨薬師寺は京都嵯峨の清凉寺の境内にある。清凉寺のように一般に公開されていないが、地蔵盆の日のみ誰でも入堂して拝観できる。美しい仏像を間近で拝める貴重な機会だ。お参りに来られるお檀家様に配慮しつつ、美仏を堪能した。ありがとうございました。

1) 地蔵菩薩半跏像

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 京都市文化財サイトによると、「13世紀前半の保守的な仏師の手によると推定」される地蔵菩薩半跏像である。美しい!
 小野篁の言い伝えがある。篁は六道珍皇寺の井戸から冥界に行き、嵯峨の井戸から現世に戻ったと伝わる超人である。復路の井戸があった福生寺の本尊がこの地蔵菩薩なのだという。亡者に替わって地獄の業火を受ける地蔵菩薩の姿を篁が刻み安置したと伝わる。明治初めに福生寺は薬師寺と合併。地蔵菩薩像と小野篁像が薬師寺遷座された。f:id:butsuzodiary:20200106063706j:plain
 この地蔵菩薩像とその横の聖徳太子像が市の文化財
 写真左の立像が篁像。六道珍皇寺の篁像よりだいぶ小さいが、衣の袖が上に向いてる感じが似てるように思う。
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 地蔵盆のお供物はかぼちゃの舟に湯葉の帆。梅原猛は「お精霊さんを送る乗り物か」と書いた。事前にお寺に電話し、拝観の開始時間を伺ったところ、「地蔵様のお供えの準備が終わるのが10時過ぎ頃になるかと思うので、それ以降にどうぞ」とのこと。これだけ手がかかるものであれば、致し方ない。手作りのお供えは愛にあふれている。

2) 阿弥陀三尊

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 そして、堂内にまつられる阿弥陀三尊は、舟上弥陀三尊と呼ばれる。雲でなく、波に乗っているような台座が印象的。
 阿弥陀如来さまは精悍なご尊顔。それでいて、規則正しい衣文が上品! 正面左の菩薩像は舟を漕ぐようなお姿。どちらも京都市文化財
 左手の菩薩像は、かつて存在した丈六阿弥陀如来像の飛天光背周辺部に、供養菩薩12躯の一つとして取り付けられていたものとされる。平安後期の光背の残欠として貴重な違例(京都市文化財サイトより)

 このほか、ご本尊薬師如来坐像のほか、嵯峨天皇坐像(京都市文化財)もおられる。
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3) 送り火

 15時にお堂の扉を閉め、お檀家様だけが参加して法要が営まれた。30分ほどで法要は終了。扉が開いて人々は堂の前の広場へ。そこで、送り火が営まれた。祖先をお見送りする意味があるのだろう。参加者が次々に経木を火に投じ、炎と煙でお精霊様をお送りする。
 静かな京都の風習には、とてつもない重みがある。それに比してなんとも小さな自分だろう。小さな私もそっとご先祖様に想いをはせた。
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拝観案内

【寺院名】嵯峨薬師寺
【住所】京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
【公式サイト】
京都・嵯峨_薬師寺
【公開日時】毎年8月24日の10〜15時のみ

参考資料

京都市文化財サイト
ご参考までスクショを貼っておきます(このサイトから探すのは大変なので)
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※上記スクショを除き、写真はすべて筆者が撮影

付記 嵯峨薬師寺清凉寺の境内にあるので、清凉寺もお参りした。清凉寺式釈迦如来立像(国宝)は毎月8日など、開帳日が決まっているので、今日は開いてないだろうと思いつつ、拝観料を支払って堂内に入ると、なんと、お釈迦様のお厨子が開いていた。お坊さんに伺ったところ、「お檀家様のご都合など、開帳日以外でも、時々開けることはあります」とのこと。この私はスーパーラッキーだった。

【京都】【奈良】8月の地蔵盆に行って仏像を拝む

 夏休みをいただき関西に。
 唐招提寺地蔵堂地蔵菩薩立像が8月23日と24日のみご開帳。京都の智恵光院の六臂地蔵は8月23日17-18時のみ、同じく京都の嵯峨薬師寺は8月24日10-15時のみ、一般の人も拝観できる。いずれも地蔵盆の行事。
 この三つを主軸に、なんとなく計画を立て、よぼよぼしながら、京都と奈良(一部、滋賀)を駆けずり回った。

 地蔵盆は京都や関西では当たり前の行事らしいのだが、北海道生まれ埼玉育ちの私の人生には、これまでまったく縁のないもので、新しい発見の連続だった。というか、異文化体験とでも言うべきか。

 地蔵盆は主に地域や檀家さんの行事。それを探っていくと、文化財となっている仏像の公開も紛れ込んでいるので、それを見つけてお参りした。私が今回お参りした以外にも、そういう隠れたご開帳はたくさんあるのでは。

 京都の六地蔵めぐりは8月22日と23日。冥界と現世を行き来した小野篁さんのスーパースターっぷりに改めて感動する。篁さんを尊敬している。六地蔵は桂と鞍馬を除く4か寺を参拝した。

以下、備忘録。

2019.8.22
MIHO MUSEUM
山科地蔵徳林院(京都六地蔵
源光寺 常盤地蔵(京都六地蔵
仁和寺金堂経蔵・観音堂特別公開
堂本印象美術館 印象所蔵の仏像が初公開

2019.8.23
能化院(宇治市)予約拝観
法界寺(伏見区)国宝の丈六阿弥陀さま
大善寺伏見区)京都六地蔵
一念寺(伏見区) 丈六阿弥陀様を予約拝観
恋塚浄禅寺 鳥羽地蔵(南区)京都六地蔵地蔵盆の日に平安の十一面観音ご開帳)
智恵光院(上京区)六臂地蔵ご開帳(夕方のみご開帳)
元興寺奈良市地蔵盆で夜の曼荼羅堂に地蔵菩薩ツイントップ!
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2019.8.24
奈良国立博物館「法徳寺の仏像ー近代を旅した仏たちー」「いのりの世界の動物」展示
唐招提寺奈良市地蔵堂ご開帳(8/23-24ご開帳)
嵯峨薬師寺京都市右京区)15時まで地蔵盆ご開帳、送り火 (同じ堂内の阿弥陀三尊も美しい)
清涼寺(京都市右京区) 
京都国立博物館「京博寄託の名宝 ─美を守り、美を伝える─」展
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2019年7月の仏像拝観リスト

 2019年7月は、武蔵国分寺の銅造観音菩薩立像を拝観後に、法隆寺館で飛鳥仏を浴びるように拝観できたのが、大きな収穫だった。久しぶりに見直すと、その表現の新しさに目を奪われた。
 東京府中市の棟方志功展は連作と大作が多く、迫力ある作品に魅了された。
 護国寺では、修理した大自在天立像から桂昌院のものと思われる毛髪が発見されたという話を伺った。大発見だと思うのだが、世間的にまったく話題になってならないのはなぜだろう。
 私は毎年7月に体調を崩すのだが、今年は特に辛かった。山本先生の講演の時、かなり弱っていたため、いまだに内容をブログにあげられていないことが心残り。

7月5日
○「奈良大和四寺のみほとけ」展(東京国立博物館

7月6日
○「棟方志功展ー連作と大作で迫る板画の真髄ー」(府中市立美術館)

7月9日
護国寺(東京都)四万六千日法要とご本尊如意輪観音菩薩坐像ご開帳
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7月13日
東京都国分寺市
○「縄文シャワー展示室展ー恋ヶ窪遺跡と塩野半十郎ー」(丘の上APT兒嶋画廊)
武蔵国分寺資料館
・旧本多家住宅長屋門
・銅造観音菩薩立像(28.4cm 白鳳期後半7c末〜8c前半)

7月20日
東京
○山本勉先生講演「足利の運慶・快慶ー30年あまりの研究の軌跡ー」(清泉女子大学
○「奈良大和四寺のみほとけ」(東京国立博物館
法隆寺館(東京国立博物館
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2019年6月の仏像拝観リスト

 6月はまず高崎の展覧会へ。新田つながりで群馬県内外の仏像も展示された。群馬県の仏像は今後攻めたい。
 6月といえば、大和郡山市の矢田寺のご開帳。十一面観音立像のキューティセクシーなお姿が好きで好きでたまらない。矢田寺に合わせて、奈良某所の地蔵菩薩様を拝観させていただいた。西国勝尾寺総持寺秘仏ご本尊、さらに、大阪市文化財公開で九応寺の阿弥陀如来坐像もお参りでき、かなり充実した旅となった。

6月1日
大新田氏展(群馬県立歴史博物館
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6月11日
東京都台東区
○護国院(大黒天)
東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 研究報告発表展(茨城雨引山楽法寺金剛力士像吽形ほか)

6月16日
静岡県
○「伊豆半島 仏像めぐり」展(上原美術館
○稲田寺(下田市
○願成就院伊豆の国市
○成福寺(伊豆の国市

6月22日
大阪府
勝尾寺 6月の土日12:00-12:40に秘仏本尊ご開帳。お目当ては薬師三尊
○「西村公朝作仏のこころ」展 吹田市立博物館
総持寺茨木市) 天皇陛下ご即位記念 ご本尊特別開帳
※念願の鶴橋の大吉で参鶏湯
※奈良のことのまあかりで橘三千代かき氷
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(↑西村公朝展は撮影可)

6月23日
奈良県大阪府
談山神社桜井市) 如意輪観音坐像ご開帳
○矢田寺(大和郡山市) 十一面観音立像が大好き!
○九応寺(大阪市) 大阪市の特別公開 ご本尊阿弥陀如来坐像
地蔵菩薩立像ほか(奈良某所) 地蔵講の集まりにお邪魔させていただく
※ことのまあかりで炊屋姫かき氷
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6月29日
東京
○仁王写真展「Lomo DIANA × 阿吽2」(ギャラリー世田谷233)
日本中の仁王さんを訪ね歩き、ロモグラフィー社の中判カメラDianaで多重露光の不思議な作品を生み出す渡仁さん。その行動力だけでなく、ユーモアたっぷりなお人柄も尊敬!
びわ湖長浜KANNON HOUSE
大吉寺聖観音菩薩立像 前傾姿勢!
○「奈良大和四寺のみほとけ」展(東京国立博物館
○「平成30年度新収品」展(東京国立博物館)江戸の阿弥陀如来立像など
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6月30日
東京都稲城市
○常楽院 阿弥陀三尊像 閻魔 奪衣婆
○高勝寺 聖観音菩薩立像 釈迦涅槃像 

2019年5月の仏像拝観リスト

 2019年のゴールデンウィークは、天皇陛下ご即位のおかげで長いお休みとなり、4月30日から5月5日まで関西に滞在した。ご即位をお祝いしたご開帳がある一方で、いつものようにお練供養も続き、大変有意義なお休みを過ごすことができた。仏像と練供養にこれほど専念できる機会はそうそうあるまい。
 安祥寺十一面観音立像、平等寺ご本尊薬師如来立像、および大龍寺観音菩薩立像は、特に素晴らしかった。
 天平仏というテーマも自分の中にあり、葛井寺の国宝千手観音菩薩坐像と聖林寺の国宝十一面観音立像にもお会いしに行った。国宝の仏像はやはり別格。
 薬師寺東塔の修理現場で、解体直前の足場に登り、高い位置から東塔を眺められた。できれば子孫に末長く自慢したいものだ。
 2回目となる弘法寺の踟供養。被仏様が動くのは素晴らしすぎた。關信子先生のご尽力で、さらに素晴らしくなっていた。私も運営側に加わりたいぐらい。
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5月1日
京都市
○長楽寺
准胝観音立像ご開帳 双龍台座に乗る観音 天皇陛下ご即位記念ご開帳初日
一遍上人像など、七条仏師による上人像多い
阿弥陀三尊像
○積善院
不動明王立像 重文
準提観音坐像 龍王
弁財天女尊立像
○聖護院
不動明王立像 重文
随心院
如意輪観音坐像
金剛薩埵菩薩 快慶
○安祥寺
十一面観音立像
因幡平等寺展(龍谷ミュージアム
本尊薬師如来立像
○国宝一遍聖絵時宗の名宝(京都国立博物館)2回目

5月2日
大阪府藤井寺市
葛井寺
国宝千手観音菩薩坐像 天皇陛下ご即位ご開帳
阿弥陀二十五菩薩堂

大阪府大阪市
○大念仏寺 万部おねり
(5/1-5に行われる練供養。5/1のみ天皇陛下ご即位記念で特別に地蔵菩薩様がお出ましになった。私はそれを知らず、5/1が天候不順のため、2日に行ってしまった。しかし、5/2の練供養終了後、その場を立ち去り難くうろうろしていると、なんと地蔵菩薩様がお出ましになった。写真撮影のため、一瞬だけ特別にお出ましになったのだそうだ。)

5月3日
兵庫県神戸市
○大龍寺 観音菩薩立像
○兵庫大仏

兵庫県加古川市
○西方寺 まんだらさん 中将姫二十五菩薩練供養会式
鶴林寺 植髪の聖徳太子像 特別公開(思ったより怖くなく、むしろ感動)

5月4日
奈良県奈良市
喜光寺 
阿弥陀三尊
四天王の特別公開(現在奈良大学所有の四天王立像がお里帰り)
薬師寺
東塔の修理現場最終案内(ヘルメットをかぶって、足場を登った。感動)

奈良県桜井市
聖林寺
国宝十一面観音立像(収蔵庫改修に小額寄進。翌年東京に出展と伺う)

奈良県奈良市
○紀寺
観音菩薩立像
藤田美術館展(奈良国立博物館

5月5日
岡山県瀬戸内市
○千手山弘法寺 
踟供養!
關信子先生のお話
五智如来

5月12日
東京
円覚寺の至宝ー鎌倉禅林の美ー(三井記念美術館
茨城県常陸太田市・正宗寺の十一面観音坐像がよかった
○両国回向院
・鵜飼秀徳氏講演 廃仏毀釈150年目の「寺院消滅」
・「行誡と弁栄」展
・「二日間だけの両国橋ワンダーランド」展
日本橋神田祭の御神輿を見る

5月31日
東寺展(何度か目)

2019年4月の仏像拝観リスト

 2019年4月は二十五菩薩来迎の練供養を中心に予定を組んだ。まずは14日の當麻寺の聖衆来迎練供養会式。これまで5月14日開催だったが、温暖化で体調を崩す人が出たため、今年から14日に変更になった。あいにく当日は朝から曇天で、お昼過ぎに雨となった。菩薩様は持物を手にせず来迎橋を渡られた。雨が激しいと、曼陀羅堂の周りをまわるだけで終わることがあるのだが、この日は来迎橋を渡ってくださった。
 そして、21日は愛知県あま市・蜂須賀蓮華寺の練供養へ。菩薩様が持物で頭をなでなでしてくださる。菩薩様と衆生がこれほど近い練供養はない!
 この二つの練供養と合わせて、仏像をめぐった。岐阜県関市、暁堂寺のご開帳は素晴らしかった。蜂須賀蓮華寺の練供養と合わせて偶然お参りでき、ありがたい限りである。あま市の法蔵寺と甚目寺もお参りできた。當麻寺の前日の13日は、スケジュール的に無謀だった。朝早くに京都入りして、東寺に行き、京博で時宗の展覧会(素晴らしかった!)を観てから、なんと吉野へ。桜満開の吉野は多くの人で混み合っていた。
 30日、和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし、ー守り伝える人々のいとなみー」展は、仏像神像を守り伝えることをテーマにした展覧会で、県内の優れた仏像神像が並ぶ。学芸員さんの思いと叫びが聞こえてきた。ぜひ拙ブログをお読みいただければ。
 
2019年
4月12日
おてらおやつクラブ丸の内別院
快慶阿弥陀如来立像模刻像(吉水快聞さん作)

4月13日
東寺(京都市)東京の展覧会に出展中で講堂はガラガラ
京都国立博物館「国宝一遍聖絵時宗の名宝」
奈良の吉野へ移動。山ごと桜でした。
如意輪寺=源慶の蔵王権現
桜本坊=白鳳の釈迦如来像が公開中。平安の地蔵菩薩(写真はお寺のサイトより)。役行者像では、こちらの微笑んでいるお像が一番好き。
東南院大日如来坐像 県指定文化財
金峯山寺=巨大な蔵王権現さまご開帳。改修中の仁王門の仁王さんも大好き。数年前に重要文化財に指定。
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4月14日
當麻寺奈良県葛城市)
聖衆来迎練供養会式
護念院(菩薩面を被らせていただく)→中之坊(平成當麻曼荼羅で絵解き)→門前でにゅーめん→奥院(偶然一瞬だけ法然上人坐像を拝む)→練供養(雨の中お渡り)→曼荼羅堂→金堂→講堂
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4月21日
伊岐神社(岐阜県関市)
暁堂寺(岐阜県関市)=聖観音立像ご開帳
市指定文化財 平安中期から後期 両面宿儺の作との伝承あり
蓮華寺(愛知県あま市
蜂須賀弘法ご開帳
二十五菩薩練供養
法蔵寺(愛知県あま市)=鉄造地蔵菩薩立像(重文)
甚目寺(愛知県あま市)=仁王像(県指定)
三重塔が台風被害を受けたため、愛染明王(重文)は東京の博物館で保管されていると伺った
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4月27日
琵琶湖長浜観音ハウス=長浜市高月町井口 日吉神社の十一面観音坐像その他諸像
東京国立博物館「東寺」展

4月30日
紀三井寺和歌山県和歌山市) 本堂内陣と本堂奥の諸尊を拝観
和歌山城紀三井寺本堂奥の諸尊が素晴らしすぎて、テンション上がりすぎた。興奮冷めやらず、つい和歌山城を駆け足で登ってしまった)
和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし」展
butsuzodiary.hateblo.jp

【埼玉】高山不動尊〜修験者を鼓舞する軍荼利明王は乙女心も鷲掴みする〜

 埼玉県飯能市高山不動尊(高貴山常楽院)には、11世紀頃の一木造りの軍荼利明王立像(重要文化財)がおられる。山の修験者を鼓舞するようなかっこよさで、仏像好きの乙女心も鷲掴みにする。

 しかし、お寺はかなり山奥にあるし、いつでも拝めるわけではない。ご開帳日は年に一回、冬至の日のみ。しかも11:30〜13:00頃と決まっている。この日だけは吾野駅から無料のシャトルバスが出るが、1台のみのピストン移動。そして、バスを下車してもなお、山道をかなり歩かなければならない。 つまり、拝観のハードルは高い。

 しかし、それでも、どうしても拝観したくなるのが高山不動尊なのである。

 今年の冬至は12月22日。私にとって8年ぶり、3回目となるお参りができた。冬至の風物詩として毎年お参りしたいと思ってきたが、諸事情あり、8年も経ってしまった。今回は、埼玉県在住の優しい友人夫妻とご一緒させていただいた。車を出してくださり、高山不動尊に加えて、さらに二か寺(長念寺と等覚院)もお参りできた。

1. 高貴山常楽院(埼玉県飯能市

1-1) 軍荼利明王立像

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 檜一木造り。228.8cm。重要文化財。ギョロっとした両目。高くて大きな鼻。長い両脚は右膝が少し前に出る。膝の辺りの衣の裾が上に翻るのは、軍荼利様が山に舞い降りた瞬間だからという説を伺ったことがある。蛇が身体に絡みつくのもたまらない。かっこよい!
 八臂のうち、右手は三鈷杵を持ち、拳印と施無畏印を結ぶ。左手には鉾と宝輪を持つ。そして、軍荼利さまと言えば、胸の前で腕を交差する大瞋印(だいしんいん)。かっこよい!! 私のわずかな記憶の限りでは、左腕を上にすることが多いので、軍荼利さんは左利きなのだと思っている。誰か軍荼利明王の利き腕調査をしてくれないだろうか。
 今回初めて、軍荼利明王様の後ろに回って拝むことができた。横から見ると、思いのほか体部が薄かった。間近で見る木目は美しく、力強かった。
 おそらく地方仏師の手によるであろう11世紀の異形像。力強さと緊張感とともに、どこかのんびりとした大らかさを感じるのは私だけだろうか。修験者を厳しく、そして、優しく力づけたことだろう。
 思い出すのが、滋賀県栗東市・金勝寺の軍荼利明王立像である。金勝寺の軍荼利さまも、山道を登ったお寺に単体でまつられている。金勝寺の素晴らしさについては、話し出すと長くなるのでやめておくが、仏像が好きな方には全力でお勧めしたいお寺である。金勝寺の軍荼利明王は10世紀、360cmの巨像。大瞋印は右腕を前にして両腕をクロスする。こちらは右利きか…。

1-2) 薬師如来坐像f:id:butsuzodiary:20191227180933j:plain

 檜一木造り。69.8cm。県指定文化財
 肉髻と地髪部の境目がないところが大好き。本堂中央右手に安置。薄暗いお厨子の中、ろうそくのゆらめく光だけで拝む。同じお厨子の中に阿弥陀如来立像も。

 この軍荼利明王薬師如来については、桂木寺の伝釈迦如来坐像(埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館)との関係性が気になる。高山不動尊のある高山と、桂木寺のある桂木山は距離的に近く、山岳修験の盛んな地域だった。
 この2か寺の西には秩父がある。さらに、高山不動尊の西南には子の権現があり、そこからさらに南下すると青梅の安楽寺もある。そして、安楽寺にも単体の軍荼利明王立像が残ることを申し添えたい。このように地図を見ると、この辺りの山岳地帯がにわかに気になってくる。
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 特に、仏像史の観点から、高山不動尊軍荼利明王立像と薬師如来坐像と桂木寺の如来坐像との相似性は指摘されるところである。桂木寺に残る旧仏は、資料館の釈迦如来坐像をのぞき、基本的に非公開と聞いている。いつか拝観したいものだ。

1-3) 五大明王

 本堂の正面右手、雛壇上に安置される。尖った火炎光背が五大明王様のかっこよさをさらに増強させる。生駒の堪海さんの不動三尊を思い出した。

2. 長念寺(埼玉県飯能市聖観音坐像f:id:butsuzodiary:20191227181020j:plain

 58.2cm。檜の寄木造り。県指定文化財。お優しいお顔。法衣垂下のエレガントなお姿。堂外からの拝観だが、堂内に明かりがついているので、思った以上によく見える。双眼鏡で覗いて、優美さを堪能。

3. 等覚院(埼玉県東松山市阿弥陀如来坐像

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 檜の寄木造り。漆箔。彫眼。88cm。なんと重要文化財。平安末期の上品さに、鎌倉初期の生彩さを加味。
 東松山市文化財サイトによると、胸から腹部にかけての胎内に墨書銘があり、「鎌倉時代中期の建長5(1253)年4月に、大木壇那阿闍梨明秀が大佛子(師)僧定性をして修理させたものであることが明らかになって」いる。「本像を修理した定性は、翌年の建長6(1254)年に滑川町の泉福寺の木造阿弥陀三尊像を修復した佛師定生房と同一人物と考えられ、この地方で活動した地方佛師の一人と想定」されている。
 「修理」というのが本当なら、鎌倉初期の造立後さほど間をおかずに修理されたことになる。何があったのだろう。修理といいながら、この時期に新たに造り直したという可能性はないのだろうか。
 いつか滑川町・泉福寺の阿弥陀三尊を拝みにいきたい。

4. 参考

飯能市文化財サイト(高山不動尊軍荼利明王薬師如来および長念寺の聖観音坐像)
有形文化財(彫刻)|飯能市-Hanno city-
東松山市文化財サイト(等覚院の阿弥陀如来
http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/kyoikubu/bunkazai/menu/shitei_bunkazai/tokakuin_mokuzouamidanyoraizo.html
○青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年

※飯能2か寺の仏像写真は飯能市文化財サイトより
※等覚院の阿弥陀如来坐像の写真は境内の看板より

【京都】太秦西光寺 平安の阿弥陀如来と令和の両脇侍

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1) 太秦西光寺の一般公開!

【寺院】西光寺(京都市右京区太秦多藪町)
【仏像】阿弥陀如来坐像(平安 重文)、両脇侍像(令和)。阿弥陀三尊の両脇に法然上人像と善導上人像
【公開日】2019年10月25-27日

 毎秋静かに開催されている京都浄土宗寺院特別大公開。今年ついに、太秦西光寺が公開された。

 阿弥陀様と法然上人をお慕いし、平安前期〜中期の仏像が好きな私にとって、見逃せないご開帳だ。

 西光寺は、法然上人がお亡くなりになられた後、嘉禄の法難の際に、法然上人のご遺体を7か月間、密かにお守りした場所にある。

 今回公開されたのは、太秦西光寺のご本尊で、9世紀後半の作とされる阿弥陀如来坐像だ。阿弥陀如来像は平安後期以降のものが多く、平安前期に遡る木彫仏は貴重である。しかも、太秦西光寺の一般公開は今回が初めて。貴重✖️貴重(貴重の二乗)というべき機会なのである。

 西光寺のご住職がTwitterに上げてくださったご本尊様の写真(↑上に転載)。この美しい阿弥陀様を脳裏に浮かべながら、夜行バスに揺られて京都に向かった。2019年10月25日の雨の朝、茅葺の小さな門の前にたどり着くと、なんと私が一番乗りだった。

2) 阿弥陀如来坐像

 重要文化財。95.1cm。9世紀後半。ヒノキの一木造り。背面から地付まで長方形の内刳りあり。

 お堂に入って見上げるなり、胸が熱くなった。
 まずは、全体に比して大きめなお頭が目を引く。大きくふくよかなお顔で、目を細め、優しく微笑んでおられる。

 螺髪のつぶも大きめで、肉髻部も大きなお山のように盛り上がる。眉は両目のかなり上に優しく弧を描き、形の整った鼻へとつながる。唇は静かに閉じる。

 斜め横からお顔を覗き込むと、目尻がこめかみに向かって伸びている。豊かな頬とその下の三道から、阿弥陀様の包容力を感じる。胸を張り出し、凛として座す。

 通肩で、弥陀の定印を結ぶ。現地でいただいた資料によると、「膝上で定印を結び、右脚を上に結跏趺坐する阿弥陀如来真言曼荼羅の中で祀られることが多いが、その阿弥陀如来像が浄土信仰の中で単独で信仰される対象になったと推測される」
 「また、大衣を両肩に掛ける通肩で定印を結ぶ阿弥陀如来像では、安祥寺五智如来坐像に次ぐ古い仏像であると推測されている。定印の阿弥陀如来像は、その後定朝様式の阿弥陀如来像のように大衣を少し方側に掛けるお姿に移行定着していく」
 「時代的には脚元の整理された衣から判断して、広隆寺講堂の阿弥陀如来坐像の特徴を継承するところが認められ、広隆寺阿弥陀如来像から少し経過した9世紀後半までに造仏されたものであると推測できる」

 平安前期の仏像は怖くていかめしいお像が多いが、こちらの阿弥陀如来様は、前述のとおり、静かで穏やかなところがあり、そこがとても素敵だと感じた。左肩から背面にかかる衣は、奈良宮古薬師如来坐像室生寺釈迦如来坐像に比べると、さほど立体的ではなく、控えめである。

 平安前期の量感がありながら、穏やかで気品あるお姿。その御前にずっと座って、見上げていたい阿弥陀様だった。

 弥陀の定印を結ぶ両手は、他の部分と比べるとやや雑な印象。後補なのか気になる。
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(↑写真はお寺で授与いただいたクリアファイル。両脇侍は黒く色付けする前のお姿だ)

3) 観音菩薩勢至菩薩

観音68.3cm、勢至67.8cm
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(↑山門に掲示されていた京都新聞の記事)

 両脇侍の観音勢至菩薩様は令和に入って完成した。西光寺が隣地で経営する保育園に子供を通わせていた堂本寛恵さんが製作。堂本さんは東京藝大大学院の文化財保存学彫刻室を修了後、結婚を機に京都へ移られた。仏像の彫刻や文化財模刻、保存修理を行う専門家である。

 ご本尊阿弥陀様が造られた平安前期を意識して、臂釧や瓔珞は金具とせず、彫り出す。生漆の上に錆漆を塗り、古式仕上げとした。瓔珞と臂釧のみに金を施し、立体感を出した。とても美しい。

 東京藝大で学ばれた本格的な技で造り上げた両脇侍は、平安の阿弥陀様と見事にマッチしていた。

4) 優しい住職による和やかなご開帳

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(↑今回のご開帳記念の特別ご朱印。右下に阿弥陀三尊、左上に嘉禄の法難の場面)

 西光寺様は、嘉禄の法難という厳しい歴史の場所に立つお寺。しかし、令和元年の一般公開を取り仕切った住職様は、こちらが腑抜けてしまうほどお優しかった。

 観音菩薩勢至菩薩を製作された仏師さんが当日お寺に来られ、製作の過程や裏話をスライドでお話しくださった。朝10時から始まった仏師さんの解説は、保育園に通う園児さんも一緒に聴講。住職様が「この人のお子さんも数年前まで太秦保育園に通ってたんですよ。みんなと同じや。みんなのお母さんと同じ、この人もお母さんなんやで」と園児さんに語りかけておられた。和やかな雰囲気に包まれた。住職様は、平安のご本尊もさることながら、新しい観音勢至菩薩と堂本さんを世に紹介したかったのだと思う。

 あたたかく和やかなご開帳。心より感謝申し上げたい。いつかまた拝観の機会に恵まれるよう願っている。

5) 参考資料

○西光寺ホームページ
西光寺公式ページ 京都市右京区太秦 西光寺 永代供養墓のご相談なら浄土宗 来迎山 西光寺(さいこうじ)
○西光寺について(浄土宗サイト)
西光寺 - 新纂浄土宗大辞典
○嘉禄の法難(浄土宗サイト)
嘉禄の法難 - 新纂浄土宗大辞典
○公開時配布資料
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【来迎会】美作誕生寺〜法然上人への敬意の満ちる練供養〜

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 日本各地に誕生寺という名の寺はいくつあるのだろう。法然上人をお慕いする私にとって、誕生寺といえば、上人ご誕生の地、岡山県の美作誕生寺である。毎年4月第3日曜日には、法然上人のご両親を供養する二十五菩薩練供養が盛大に執り行われる。誕生寺ではこれを略して「お会式(えしき)」と呼ぶ。とても優しい響きだ。そして、この儀式がとても感動的なのである。
 お会式を中心に、誕生寺について書いてみたい。
 2016年に初めてお会式をお参りしたときの様子はこちら。
hiyodori-art2.cocolog-nifty.com

1) 誕生寺とは

  岡山県久米南町、誕生寺は、浄土宗開祖法然上人がお生まれになった場所に建つ。建久4年(1193)、法然上人が弟子の熊谷法力房蓮生(熊谷直実)をこの地に遣わし、父漆間時国(うるまのときくに)の旧邸を寺院に改めたのが始まりと伝わる。
 現在は浄土宗特別寺院として位置付けられ、法然上人二十五霊場の第一番札所にもなっている。
 本堂(御影堂)の内陣中央には、ご本尊法然上人坐像がまつられる。必ず最初にお参りしたい。4月のお会式の列は、この法然様の御前が発着点となる。

2) 阿弥陀如来立像

84.5cm 鎌倉時代 県指定文化財
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 お会式の話をする前に、誕生寺の旧本尊と見られる阿弥陀如来立像に触れておきたい。
 桧材の寄木造り。体軀は前後二材を矧ぎ、肩口より両脇を寄せ、手先を挿し矧ぎ、両足先も矧ぎ寄せる。玉眼。納衣の衣皺は複雑。来迎印を結び、裳裾は後方にた なびき、あたかも礼拝者のいる場所へ到来したかにみえる。螺髪や衣文 の表現は洗練されており、鎌倉時代の様式をよく伝えている。
 特筆すべきは、胎内から約1000枚の摺仏(しゅうぶつ)が発見されたという点である。このうち約40枚に墨書があった。大小二種類あり、大きい方には、「法然上人御誕生所本尊」と記載される。このことから、本像は誕生寺の旧本尊だったと見られる。
 また、小さい方の摺仏は、阿弥陀如来像10体を一単位としており、「ちちのため」「うばのため」などの願文や交名が記載される。多くの人の祈りが集結した阿弥陀如来立像なのである。
 法然上人ご誕生地の阿弥陀様とご結縁できた当時の皆様はなんと幸運なことだろう。

3) 練供養(お会式)

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 美作誕生寺の二十五菩薩来迎会は、日本三大練供養の一つに数えられる。この練供養とは、阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて臨終者をお迎えするさまを演じるもの。人が菩薩さまに扮装し、ご来迎の場面を表現する。
 もともと練供養は、平安時代、浄土信仰の高まりとともに教化のために始められた。その頃は来迎会(らいごうえ)と呼ばれていたのだが、江戸時代に庶民の間に広まるにつれ娯楽性が加味され、練供養と呼ばれるようになった。今では、この二つの呼び名がどちらも使われている。
 最も有名なのが、中将姫ゆかりの奈良県葛城市・當麻寺の練供養で、1000年以上絶えることなく続けられている。當麻寺岡山県瀬戸内市弘法寺(こうぼうじ)の練供養とあわせて、三大練供養と呼ばれる。どれも年に一回、春の決まった日に行われている。三つとも拝見したが、それぞれ歴史も儀式の内容も違う。どれも素晴らしい!

3-1) お会式ポイント1 法然上人のご両親が極楽浄土にお迎えされます

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(↑ お会式に登場するご両親の像。お父様とお母様が隔年で供養される)
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(↑2016年のお会式の際、娑婆に見立てた地蔵堂で待機中のお母様像。もうすぐ二十五菩薩様がお迎えにくる。そして、極楽に見立てた本堂まで運ばれる)
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(↑2017年のお会式ではお父様が来迎された。左が娑婆堂のお父様像。右が本堂に運ばれるところ)
 誕生寺の練供養は、室町時代に始まったとされ、岡山県無形文化財に指定されている。正式には「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」と称する。
 この正式名称が示すように、ここ誕生寺の一番の特徴は、来迎される対象(臨終者)が法然上人のご両親だという点だ。當麻寺弘法寺では、中将姫様が阿弥陀様に来迎されるのに対し、誕生寺では、法然上人のお父上、漆間時国 公と、お母上、秦氏(はたうじ)様が毎年交代で来迎される。
 お迎えを受けるのがご両親というのは、法然上人誕生の地に立つこのお寺にふさわしく、感動する。
 境内奥の勢至堂には、ご両親の墓所もある。片目川を渡った先の聖地であり、空気が変わるのを感じる。法然上人産湯の井戸もある。この辺りは、厳粛にお参りしたい場所だ。
 さらに、誕生寺の近くには、出家する勢至丸を母が見送った場所があり、古い石碑(仰叡の碑) が立つ。また、境内には、母上様の銅像も2010年に建立されている。息子のことを祈るようなお姿のお像で、私も一人の母として感動せずにいられない。
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 誕生寺には、法然上人のご両親への敬意がある。お練りの列を眺めながら、自分の親子のつながりを思い返していた。

3-2) お会式ポイント2 練供養ルートが長く、菩薩様が近い!

 誕生寺では、二十五菩薩様の練り歩くルートが片道300メートルと長い。しかも、菩薩様の列をすぐそばから拝むことができる。
 練供養の列はまず、法然上人の御影をおまつりした本堂(重要文化財)を出発し、大きないちょうの枝の下をくぐり、さらに山門(重文)からお寺の外に出る。
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 大木の枝も立派だし、菩薩様の光背も立派なので、枝の下をくぐるのが大変そうだ。しかし、そこは伝統ある誕生寺。菩薩の皆様は問題なく通過する。
 山門を出ると、正面の直線の参道を歩く。300メートル離れた娑婆堂(地蔵堂)まで行き、そこで臨終者をお迎えして、また本堂に戻ってくるというルートである。
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 誕生寺では、六地蔵をおまつりした飛び地境内の地蔵堂を娑婆堂に見立てる。扉も窓もない吹きさらしの小さなお堂だ。この娑婆堂の敷地内に、南無阿弥陀仏と書かれた高い塔のような門があり、二十五菩薩様はここを通られる。大きな門から菩薩様が続々と、湧き出るかのようにお出ましになる光景は忘れられない。この場面は友人の動画でぜひ。


 日本各地の練供養の中でも、往復600mというのはかなり長い。この長い距離を、二十五菩薩だけではなく、大勢の僧侶やご詠歌隊、お稚児さんなど、総勢200名が練り歩く。列を見守る人も大勢いる。境内や参道に屋台も並ぶ。その規模は他に例がないのではないだろうか。
 また、境内に来迎橋をかけて練供養を行う寺院がほとんどだが、誕生寺では橋をかけないので、特に見上げなくても菩薩様をすぐそばで拝める。菩薩様の列の後ろをついて歩けるのは幸せだ。参道に立って、菩薩様が次々と通過されるのを見守るのも幸せである。まさに極楽。

3-3) お会式ポイント3 華やかで賑やか!

 私が誕生寺を訪れたのは、2016年と2017年の2回。どちらも4月第3日曜日、お会式の日だった。最初にお参りする際、お寺のホームページを拝見し、地図で場所も確認したのだが、その限りではとても遠いし、とても地味なイメージだった。岡山駅からローカル線でかなり先だし(最寄駅付近はもちろん単線)、周りは畑に囲まれ、ほとんども何もない。
 しかし、ここまで記してきたように、誕生寺のお会式はとても華やかで、賑やかだった!
 練供養のお渡りだけではない。練供養が出発するのは午後3時だが、堂内では朝から始終法要が営まれ、百万遍大念珠繰りを行われる。さらに、境内では、太鼓や舞なども奉納されていた。
 煌びやかさを引き立てるのが、菩薩様のお面や装束だろう。お面が小顔でかわいらしい。安室奈美恵さんが似合いそうだ。そして、装束も色がきれいで、華やかだ。特に、練供養の先頭を行く地蔵菩薩様は、赤いお帽子がかなりおしゃれだと思う。菩薩様の放射光背も素敵すぎる。
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 こんなに煌びやかで賑やかな練供養はそうないだろう。極楽浄土を目の当たりにできる。関係者の皆様に心からの敬意と感謝を申し上げたい。

4) 誕生寺にも被仏が!?

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 練供養の歴史を振り返ると、木造で中身が空洞の阿弥陀如来像の中に人が入ることがあった。迎講阿弥陀如来像、いわゆる、被仏と呼ばれるものである。あえてわかりやすく言うと、ゆるキャラの着ぐるみのようなものとも言える。
 大きな動く阿弥陀様に会いたいという気持ちが、こうした仕掛けを生んだのだろう。練供養に詳しい關信子先生によると、鎌倉時代に遡る古い形式で、現在もその伝統が残るのは岡山県瀬戸内市弘法寺のみである。時代が下るにつれ、迎講は先祖供養の趣が強くなり、阿弥陀如来様は本堂におられ、お練りの列には参加されなくなっていく。
 奈良の當麻寺にも被仏が残るが、人が入れないように変更されており、今では、阿弥陀立像として當麻寺本堂に安置される。毎年4月14日の練供養に阿弥陀如来立像が登場することはない。關信子先生は、被仏の他の例として、大阪の大念仏寺と広島の米山寺、そして、美作誕生寺の阿弥陀如来立像を挙げる。数例が残るのみである。
 美作誕生寺の阿弥陀如来立像も、人が入れる形ではなくなっている。關先生によると、もともと「供養所用の半身仏」があり、それに下半身を付け足して、弥陀堂本尊としていた。この弥陀堂本尊を1648年に再興したとされるのが、誕生寺に現存する210cmの大きな阿弥陀如来立像である。詳しくは、かつての特別展図録『極楽へのいざない』(2013年)より、關先生の解説を貼っておく。
 誕生寺の練供養は室町時代に始まったというのが通説だが、關先生は、もし本当に被仏があったのであれば、鎌倉時代に遡るのでは書かれている。難しいが、興味深く拝見した。
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【追記】2019年11月16日、誕生寺様をお参りし、被仏だった可能性のあるこの阿弥陀如来立像を特別に拝ませていただいた。
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 像高2.1mという高さもさることながら、体部が異常に大きく作られている。關先生のおっしゃるように、再興前の元の像が被仏だった可能性は充分にあるように思われた。高さは阿弥陀様を大きく見せるため、太さは中に人が入れるようにするためだったのではないか。
 また、私は胸元の卍にも注目する。卍部分が、中に入る人のための覗き穴になっている例もあるからだ。
 住職様は被仏様にしては大きすぎるとおっしゃった。専門家が調べにきたが、結局、結論は出なかったと伺った。しかし、私は上記の点から、「被仏の再興像」という学説を支持したくなった。練供養好きのバイアスもあるかもしれないが。

5) 誕生寺お会式のご朱印

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 誕生寺で頒布される、このご朱印帳のデザインがたまらない。写真のような角度から表紙を眺めると、菩薩様が練り歩く様子が蘇る。私は誕生寺から郵送していただいた。いつかこのご朱印帳に誕生寺のご朱印をいただかねばと思っている。

6) 地域の誇り法然上人

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 練供養の日、近くの小学校の校庭が駐車場になる。その名も誕生寺小学校。よく見ると、二宮金次郎像の隣に、なんと法然上人様が座しておられた。宗教分離が原則の公立学校で、地域出身の偉人として、法然様が尊敬されることが素晴らしいと思った。

7) 最後に: 練供養は今を生きるためにある

 練供養の時に誕生寺をお参りした経験をもとに、ここまで書いてきた。しかし、美作誕生寺にはもっとたくさんの見どころがある。見どころというより、祈りと感動のポイントと言ったほうが正しいだろう。お会式の賑わいの時以外でも、ゆっくり時間をかけてお参りしたい。
 最後に大切なことを。私は時々、二十五菩薩来迎会の何が楽しいのかと聞かれる。私はこう思う。
 ーー臨終のとき阿弥陀さまが雲に乗ってお迎えに来てくださるーー。そう信じるための手段が練供養なのだと。そして、そう信じることで、日々を強く生きていけるのだと。

8) 参考資料

美作誕生寺ホームページ
岡山県文化財ホームページ
特別展「極楽へのいざないー練り供養をめぐる美術ー」図録(2013年 岡山県立博物館と京都・龍谷ミュージアム

※ 写真について

ここに掲載した写真の中に、上記図録掲載のものと、練供養友達である桃太郎のもとさんのツイッター掲載写真が含まれています。それ以外は私が撮影したものです。また、練供養の模様の写真は2016年と2017年の時のものです。

【埼玉】毛呂山町と越生町の仏像が熱い!

 ディープ埼玉には、かなり古仏が残っている。入間郡越生町如意輪観音様と毛呂山町の仏像をお参りしてきた。

1) 毛呂山町歴史民俗資料館

1-1) 桂木寺木造伝釈迦如来坐像

75.0cm 10世紀前半 県指定文化財
※写真はこちらのサイトで→ 貞観の息吹き28

 色々な写真が出回っていたので、お会いするまでどんな感じか不安もあったが、実際にお会いすると、一目で圧倒された。まず、この頭部がたまらない。地髪と肉髻の境目が希薄で、ニット帽を被ったようになっている。10世紀の仏像に見られるらしい。そして、頭頂辺りが尖っている。大好き!
 さらに、螺髪の一つ一つが渦巻いてる。一つ一つ手をかけて作ったのだろう。残念ながら、すべては残っておらず、現状では、現存するものだけ前方に配置している。つまり、今は螺髪は前面だけで、後頭部には付いていない。長い年月の中で、螺髪はまばらに抜け落ちのだろうか。そして、後の修復者が、残った螺髪を前面に集めたのだろうか。このグルグル巻きの螺髪に強く惹かれる。当初の制作者と後世の修復者に敬意を払いたい。
 そして、この脚の組み方もかっこよい。平安でも古い時代の感じがして、鼻血が出そう。

 毛呂山町歴史民俗資料館では、このお像のすぐそばに、最近の修復前の写真を展示している。これが大変興味深い。
 金箔はかなり上手に貼ってあるように思うのだが、後補ということで剥がしたのだろう。どうしても注目してしまうのが、このつぶらな両目である。上手に描けてるとは思うのだが、全身の尖った感じとは相いれない。やはり現状がしっくりくるように感じた。

 この桂木寺の如来像と飯能の常楽院の軍荼利明王像は、越谷市の浄山寺の9世紀の地蔵菩薩立像(重文)が発見されるまで、埼玉最古の仏像と考えられていた。しかし、仏像の価値は年代の古さだけで判断されるものでもないと思う。
 浄山寺の像は当時の都付近で造立されたと考えられるのに対し、桂木の如来像はその作風から東国の在地仏師によると考えられるのだとか。桂木寺の像が地方仏師の活動を知るメルクマールとなると私は嬉しいのだが...。東国地方での造仏について、今後さらに研究が進むことを願っている。
(浄山寺の地蔵菩薩立像が素晴らしいことについてはまったく異議なしなので、念のためその旨書き添える)

1-2) 妙玄寺 十一面観音菩薩坐像

11.7cm 17世紀 町指定文化財
 像内の内刳り部分に金箔が施され、室町時代の4cmほどの金銅仏が納められていた。江戸時代の仏像は侮れない。胎内仏も展示されていた。
 胎内の金箔は写真パネルで拝見。金色が眩しい。

2) 高福寺(埼玉県毛呂山町

 高福寺は、越生町にある曹洞宗関東三大寺の一つ、龍隠寺の末寺。慶長(1596-1615年)中期、龍隠寺十四世大鐘良賀が、近くの高福寺と行庵寺を合併して行庵山高福寺と号し、その開山となった。
 今回の拝観にあたっては、事前にお電話で拝観をお願いし、ご快諾いただいた。当日ご住職にご案内いただき、大変ありがたく、心より感謝申し上げたい。

2-1) 木造阿弥陀如来坐像

87.0cm 鎌倉時代 県指定文化財
桧の寄木造 玉眼
 高福寺と合併した行庵寺の本尊だった。今は高福寺本堂奥の位牌堂にまつられる。
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 埼玉県加須市・保寧寺の宗慶の阿弥陀三尊と同様、鎌倉時代御家人と慶派が結びついた例と見られるが、高福寺の阿弥陀様は保寧寺ほどムチムチしていない。胸や腕、頬の張りが若々しく、全体的に堂々とした佇まいが印象的。脚部は慶派にしてはおとなしく感じるものの、膝は大きく左右に張り出し、全体に安定感がある。目尻の上がった理知的な表情。肉髻は低め。
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 お堂の屋根が低く、光背を本来の位置より低く置いているのだそうだ。確かに、光背の先端が阿弥陀様の頭部近くに接近している。光背の件はよく聞かれるそうで、住職は気にされておられるようだったが、そんなことで阿弥陀様の美しさや凛々しさが失われると思えない。慶派ファンにはぜひ拝観いただきたい阿弥陀様である。
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 阿弥陀様のオッケーは絶対大丈夫のサイン! この厚みのある右手は造立当初のものだろうか。そして、大好きが過ぎると、このように写真はピンボケしてしまう。

 なお、昨年度、毛呂山町歴史民俗資料館で開催された特別展「山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜」の図録(以下「毛呂山仏教展図録」)によると、秩父郡小鹿野町真福寺にも慶派の阿弥陀如来坐像が伝わり、その作風が高福寺と似ているのだそうだ。f:id:butsuzodiary:20191104205602j:plain
(↑写真は同図録より)
 そして、小鹿野町文化財サイトを覗きにいったところ、毛呂山よりもっと奥深いこの地域に、かなりの鎌倉仏がおられることを知った。これはもっと勉強しなければ。
※以下の画像をクリックすると、小鹿野町文化財サイト(PDF)に飛びます
https://www.town.ogano.lg.jp/cms/wp-content/uploads/2018/03/2007bunkazai.pdf

2-2) 聖観音坐像

南北朝時代 町指定文化財
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 高福寺のご本尊様。本堂の内陣、高い位置に安置される。法衣垂下が美しい。
 他の法衣垂下坐像の例として、飯能市の法光寺の地蔵菩薩坐像、同じく飯能市の長念寺の聖観音菩薩坐像(ともに県指定文化財)がある。14世紀後半に鎌倉に在住した詫間派の造立か。この高福寺と同様、上記の2か寺も曹洞宗寺院であり、曹洞宗龍隠寺(越生町)を中心とした文化の受容があったと考えられる。
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(上の聖観音様と法衣垂下2像の写真は同上の毛呂山仏教展図録より)

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 聖観音様は本堂の高い位置に、この写真のようにおまつりされている。聖観音様の近くには、不動明王像に加えて、狐に乗る天狗さんのような像もおられた。私は飯綱権現かと思ったのだが、住職はお稲荷さんだとおっしゃっていた。今は曹洞宗だが、近くの桂木山など修験道が盛んな地域なので、その影響もあるのではとのことだった。

3) 如意輪観音堂(埼玉県越生町

如意輪観音半跏像

104.2cm 県指定文化財
応保2年(1162)、僧良仁の発願により造像
毎年11月3日にご開帳(13:30-16:00頃)
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 頭部と胴部をカヤの一材から彫り出す。前後割りはぎし、内刳り。胎内背部に「応保二年大歳壬午/十一月十二日甲辰/檀越長春/僧良仁」の墨書銘。関東最古の在銘彫刻として知られる。
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 この可愛らしさ。女子校に通ったら、人気者になるタイプだ。半跏像、つまり、右脚を組んで、左脚を下ろす。そんな姿勢を上品にこなす。横に広がった鼻に親しみも感じる。
 この観音様には「とっかえ餅」という風習があったそうだ。旧暦9月21日の夕方、女子が新米で作った大福餅を持ち寄り観音様に供え、月の出を待つ。月が昇ると、餅を交換しあって食べたという。そんな楽しげな風習に私は納得してしまう。女子のアイドル的存在になりうる、かわいらしくて凛々しい観音様なのだ!
 写真をよくご覧いただくと、この如意輪観音様が座す蓮台が岩の上にあるのがわかるだろうか。岩の上の半跏像ということで、私は石山寺滋賀県大津市)の秘仏ご本尊様を思い出した。仏師は石山寺のご本尊様を意識していたのだろうか。

4) 拝観は難しいのか

 越生町如意輪観音様のご開帳に合わせて、近くの仏像を調べてみたところ、文化財指定のある仏像が博物館に寄託されていることがわかった。越生町の下ヶ戸薬師堂薬師如来立像と黒岩区五大尊五大明王像(いずれも県指定) 、そして、高蔵寺地蔵菩薩立像と中村薬師堂の薬師如来坐像(いずれも町指定)は、大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託されている。地域は異なるが、宮代町の西光院の阿弥陀三尊(重文)は東京国立博物館寄託で、時々11室にお出ましである(現在、阿弥陀如来坐像のみ常設展示中)。
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(↑写真は毛呂山仏教展図録より)
 また、越生町法恩寺のご本尊大日如来坐像(金剛界、平安後期)は基本的に秘仏であり、お檀家様以外には公開していないとのことだった。毛呂山町の桂木観音堂も基本的には拝観不可。
 そうした拝観の難しさを考えると、如意輪観音堂の如意輪観音様は年に1日だけとはいえ、一般に公開されるのがありがたい。信仰の残る場所で、誰もがご縁を結べる機会は貴重だと感じた。

5) 仏友さんありがとう

 埼玉在住の仏友さんに連絡したところ、前日の連絡にもかかわらず、車を出してくださった。隠れ家的なお蕎麦屋さんとカフェにも連れて行っていただき、贅沢な一日を過ごすことができた。優しいご夫妻に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
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6) 参考資料

6-1) 青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年
6-2) 毛呂山歴史民俗資料館第20回特別展『山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜』解説図録2018年

【展覧会】真教と時衆-遊行寺宝物館と神奈川歴博

 目次

 時宗二祖上人七百年御遠忌記念「真教と時衆」展がとても楽しかったので、ご紹介したい。

1. 神奈川県の二か所で開催

 神奈川県藤沢市遊行寺の宝物館(第1会場)と横浜・神奈川県立歴史博物館(第2会場)の二か所で開催。国宝一遍聖絵や遊行上人縁起絵、個性的な上人像が楽しく、阿弥陀様のお像に癒される展覧会だった。どちらも11月10日まで。遊行寺会場は開館日が金土日月祝日のみなのでご注意を。
f:id:butsuzodiary:20191007092950g:plain ↑遊行寺会場
f:id:butsuzodiary:20191007093054j:plain ↑歴博会場

2. 京都の展覧会も良かったけど!

 時宗二祖他阿真教上人の御遠忌を記念した展覧会は、今年の春に京都国立博物館でも、「国宝一遍聖絵時宗の名宝」として開催されている。一遍聖絵はもちろん、遊行の道具や衣、上人像のほか、時宗寺院ゆかりの仏像があまりに興味深く、京都開催ながら東京から二回も行ってしまった。一遍聖絵一遍上人の信仰と布教の記録であると同時に、熊野や奈良の當麻など日本各地をめぐった紀行の記録でもある。これを円伊作の国宝の原本と後世の写しを並べることで、すべてを通しで見ることができた。さらに、関西の時宗寺院に伝わる9世紀の仏像や、この展示のための調査で行快の銘が見つかった阿弥陀三尊像(京都・聞名寺)など、仏像もかなりハイレベルだった。京都の展示は本当に楽しかった!

 しかし、京都の展示によだれを垂らす一方で、時宗の総本山は神奈川県の藤沢ではないか、という思いもあった。京都にいながら、心の片隅には藤沢の遊行寺があった。

 それゆえに、今回、時宗の名宝を遊行寺で拝見できることのありがたみを感じざるをえない。遊行寺宝物館は小さいし、開館日は限られているが、それでも遊行寺で開催することに大きな意味があると思う。

3. 神奈川の展示も負けてない!

 京博の規模に劣るものの、神奈川2会場の展示も決して負けてはいない。遊行寺など神奈川県内のほか、千葉や埼玉、静岡など関東周辺からの出展も多く、京都とはまた違った良さがあった! 阿弥陀如来像も並んでいた!!

4. お気に入りをご紹介!

 一遍聖絵や遊行上人縁起絵の展示が素晴らしい展覧会ではあるが、そちらの解説は仏画の専門家やブロガーさんにお任せするとして、ここでは、仏像を中心に、私のお気に入りをいくつかご紹介したい。

遊行寺宝物館】

遊1) 真教上人坐像(神奈川県小田原市蓮台寺 重文 87cm 1318年)

 京博の展示のとき、「おそらく病気をされた後なのか、お顔が歪んでいるが、お人柄が偲ばれる」という趣旨の解説が添えられており、仏友Mさんを感動させた尊像である。小田原市蓮台寺に伝わり、神奈川開催の本展のメインビジュアルとなった。左右歪んだ両目の奥から、優しさが伝わる。
 胎内墨書により、真教上人82歳の寿像であることがわかっており、同じく胎内に残る南無阿弥陀仏の文字は真教上人の自筆ではないかと指摘もあるとのこと。

遊2) 阿弥陀如来立像(77.5cm 13世紀 文化財未指定)

 遊行寺阿弥陀如来立像。初公開なのだそうだ! 穏やかで可愛いご尊顔。親指と人差し指で来迎印を結ぶ。ヒノキ材で、前後割り矧ぎし、内刳りを施してから、頭部と両足部を割りはなす構造。玉眼。細かく分かれた部材を固定するため、全身の表面に布貼りし、漆で固める。衣には金箔が残る。顔や胸や手足には金泥が施されていたと考えられる。
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遊3) 鉦鼓(千葉県松戸市本福寺

 1303年 松戸市文化財 青銅製 外径21.0cm 高5.0cm
 昭和35年本福寺の檀家の屋根裏から発見。口縁裏に、嘉元元年という年号と「本福寺開祖他阿弥陀佛」と刻印がある。この鉦鼓(しょうこ)は、本福寺が他阿すなわち真教上人の創建だったことの証拠(しょうこ)である。決してダジャレではない!
 鉦鼓を鳴らしながら念仏を唱える行は空也上人が始めたとされ、一遍の踊り念仏に引き継がれた。
 私も自分の鉦鼓がほしい。鉦鼓を打ち鳴らして、お念仏申したい!

【神奈川県立歴史博物館】

歴博1) 神奈川県鎌倉市・教恩寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊98.8 左脇侍70.8 右脇侍70.3 13世紀 県指定文化財
 前に鎌倉国宝館と金沢文庫でお会いしているが、その時より美しく見えるのはなぜだろう。
 私が注目したのは、阿弥陀様の胸元の衣がU字型に開いて、左右にたるみのないこと。快慶さんの無位時代の特徴だ。そして、観音勢至の膝のかがめ方や前傾加減がおとなしめなこと。つまりは、来迎像として、比較的早めの時期の造像ではないかと...。
 阿弥陀様の若々しくお優しいご尊顔。観音勢至両菩薩の膝にかかるリボンのような結び目。細身で繊細な立ち姿。もう、もう、大好きです!
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歴博2) 神奈川鎌倉市材木座・来迎寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊66.0 左脇侍40.0 右脇侍38.0 13世紀 鎌倉市文化財
 材木座の来迎寺のご本尊様。お堂の外から双眼鏡で覗き込み、うっとりしたことがある。今回間近で拝すると、金泥に截金が美しかった! そして、観音勢至菩薩の激しい前傾姿勢。腰の衣が風に翻る。腰下の衣、くんが長目で、蓮台にかかることも特徴なのだとか。法衣垂下の坐像が流行ったので、その影響なのかもしれないが、立像では珍しいとこと。
 ちなみに、鎌倉の西御門にも来迎寺があることは仏像ファンの間では有名だが、どちらの来迎寺も時宗寺院であることは今回初めて知った。
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歴博3) 神奈川県小田原市蓮台寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊97.2 左脇侍60.5 右脇侍60.5 1239年 文化財未指定)
 修理後、寺外初公開。図録に掲載の写真とはまったく違う。おそらく修理前の写真のようだ。図録写真ではお顔や胸のなどに金箔が残るが、展覧会場の三尊は真っ黒く光っていた。金箔を剥がして、黒く塗ったのだろう。
 冒頭の写真の真教上人坐像はこの蓮台寺の所蔵。

歴博4) 静岡県沼津市・西光寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊78.9 左脇侍49.8 右脇侍52.0 13世紀 沼津市文化財
 西光寺本堂の須弥壇にまつられるご本尊様。左胸前の渦文はこの時代としては珍しい。割り矧ぎ、内刳りして、玉眼嵌入。金泥塗りの上に、胡粉で盛り上げた紋様が美しい。時宗寺院に伝わる鎌倉後期から南北朝阿弥陀如来像には、このような表面仕上げがまま見られる。
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歴博5) 京都・金蓮寺 阿弥陀如来立像

 (78.6cm 13世紀 文化財未指定)
 割り矧ぎして玉眼嵌入。左胸前、膝下、袖下方の各部に渦文。行快の滋賀・阿弥陀寺阿弥陀如来立像等に類似する。写真、鉛筆で矢印つけたところ(左胸と膝下)に、小さなかわいい渦文見えるだろうか。なお、滋賀の阿弥陀寺の行快の阿弥陀如来立像は京博の時宗展にお出ましだったが、さすがに神奈川では展示なし。
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持蓮華がほしい

 遊行寺歴博の両会場で展示されていた持蓮華(じれんげ)というものが大変気になった。
 持蓮華とは、真教上人が別字念仏の時に手にしたという、木造の未敷蓮華である。花開く前の蓮華の花のつぼみだ。上述の真教上人像も、これを手にしている。観音様が手にするのはよく見るが、法要の仏具として使用するのは、時宗独特なのだそう。
 私も持蓮華が欲しい! そして、しつこいようだが、鉦鼓もほしい。

十二光筥に感動

 その他、歴博会場では、十二光筥や阿弥衣など、京博で観て感動した遊行の道具も、一部同じものが展示されていた。 十二光筥 は遊行上人が所持を許された身の回りの十二の持ち物を運ぶ箱である。箱の上は黒と白と赤が塗られていて、中央の白で二河白道を表すのだそうだ。
 持ち物が十二のみとは。こういうシンプルな生き方に憧れる自分がいる。仏像の図録で溢れかえる我が部屋を振り返り、自分にはない潔さを感じるのかもしれない。十二光筥を欲しがる前に、まずはせめて、もっと自分の部屋を片付けよう。

5.「時衆」と「時宗」はどう違うのか

 展覧会を夢中で見るうち、ふと気になったことがあった。京博の展覧会とは違って、神奈川では「時宗」ではなく、「時衆」という言葉が多様されている点である。この二つの言葉の違いについては、以下の時宗のサイトが分かりやすいので、そのまま引用したい。展覧会図録にも同じような説明があった。

時衆と時宗
 一遍上人も真教上人も教団に所属している僧尼を「時衆」と呼んでいます。この言葉は唐の善導大師の著書『観無量寿経疏』に記される「十四行偈」の一節「道俗時衆等 各発無上心(どうぞくじしゅうとう かくほつむじょうしん)」に由来します。
 一日24時間を4時間ごとに分割した勤行(六時礼讃)や不断念仏などの法要を一定期間行う時には、時間で僧尼を交代させる必要があり、交代要員の人数と時間は定められていました。その法要の次第書を「結番(けちばん)」あるいは「番帳」といい、その要員が時衆です。
 「時衆」は本来個々の僧尼を示す言葉ですが、他教団が使わなくなり、一遍上人の時衆だけが使用するようになって、教団の名称として通用するようになりました。
 江戸時代に入ると「衆」が「宗」に代わり、「時宗」が宗派の名として確定されます。そのため、一遍上人を祖とする僧尼衆を表すときに、江戸時代より前の場合は「時衆」、江戸時代以降は「時宗」と呼びます

時衆と時宗 - 時宗総本山 遊行寺

6. スケールが大きい!

 決して詳しい訳ではないが、鎌倉新興仏教の中でも、時宗は特におもしろいのではないかと思う。
 念仏札を配る活動(賦算)を始めた一遍上人は、ある時、信心がないという理由で札の受け取りを断られてしまう。一遍がこの先も賦算を続けるべきか悩んでいると、熊野権現が現れて、賦算を続けなさいと諭された。この神勅を受けたが時宗の始まりとされる。このエピソードがとても不思議で、おもしろいと思う。熊野権現阿弥陀様の化身なのだという。
 一遍上人は奈良の當麻寺で中将姫の写した称賛浄土教を譲り受けたり、長野跡部で踊り念仏を始めたりするのだが、その一部始終が一遍聖絵に残されていることが、さらにおもしろい。
 各地を歩き通した一遍の死後、各地に道場を作り、教団として組織をまとめたのが真教上人。カリスマ性ある開祖と組織力のある二祖。その組み合わせ自体も奇跡なのかもしれない。

【参考資料】
「真教と時衆」展図録

【写真】
仏像と鉦鼓の写真はすべて図録より。冒頭の遊行寺宝物館のチラシは同館のサイトより。神奈川県博の入り口写真は筆者撮影。

【東京都豊島区】駒込の勝林寺で田沼意次侯 生誕300年宝物展

【参拝日】2019年9月23日(秋分の日)
【お寺】万年山勝林寺(東京都豊島区)
【拝観】
田沼意次侯 生誕300年宝物展
○御本尊釈迦如来坐像(9世紀の一木造り、区文化財
(今回はいつもとは違って、江戸時代の歴史と絵画のお話がメインです)

 お彼岸のお参りで賑わう染井霊園を抜けて、東京駒込の勝林寺様をお参りした。
 江戸中期の老中・田沼意次(1719-88年)の菩提寺である勝林寺様で、9月23日、田沼家ゆかりの絵画や書が公開されたので、拝見させていただく。
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 かつては賄賂政治家として知られた意次。しかし、貨幣の統一や長崎貿易の拡大など、商業政策を進めた手腕と功績が再評価されていると聞く。
 今年は意次生誕300年。意次の領地だった静岡県牧之原市から貴重な文化財16点が東京の勝林寺様に運ばれ、一日限りの出張展示が行われた。しかも、牧之原市資料館の学芸員さんの解説付きというありがたさ。

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 展示はまず、上(↑)の牧之原市の広告に掲載の絵から始まる。鈴木白華写「田沼意次肖像」である。複製画ではなく、もちろん原本がお出ましであった。若き意次が姿勢を正して、前を見据える姿。その眼差しから頭脳明晰であったことが伺える。歴史の教科書などで、よく使われる画像だそうだ。

 狩野典信(かのう みちのぶ)「田沼意次侯領内遠望図」は大きな横長の画面構成で、おそらく遠州相良城内に掲げられたものではないか、とのこと。

 上記2点とも牧之原市資料館では普段はレプリカ展示されているそうで、都内で原画を拝めるとは申し訳ないくらいだ。

 さらに、江戸幕府第10代将軍徳川家治が自ら描き、田沼意次に贈った絵画も展示されていた。現在個人蔵となっており、まだほとんど世間に知られていないものだそうだ。

 牧之原市からバスツアーを組んで来られたご一行様もおられ、田沼意次が結ぶご縁に感服せざるを得ない。一つのお寺で、これだけの文化財がたった一日だけ公開されるという前代未聞の貴重な機会だった。田沼意次のさらなる研究と名誉回復が一段と進むことを願ってやまない。

 最後に、御本尊様に言及せずに筆を置くことはできまい。勝林寺のご本尊様は9世紀に遡る貴重な釈迦如来様である。お寺様とのありがたいご縁により、何度となくお参りさせていただいている。
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 今回お参りしていると、牧之原市のツアーの皆様がちょうど入ってこられ、住職のご指名によって急きょ仏像解説をさせていただくことに。彫刻史の観点から貴重なことだけでなく、先々代の住職が命がけで空襲から守られたことをお話した。
 平安前期、おそらく近畿の都に近いところで制作されたであろう御本尊様。それがなぜ江戸に創建されたお寺に伝わるのかはわかっていない。田沼家の力が動いたのかどうか検証できる日は来るのだろうか。

【東京都大田区】平安の如来坐像が三躯〜安養寺の薬師堂は濃密な仏像空間!

【拝観日】2019年9月22日
【寺院名】安養寺 古川薬師さま(東京都大田区六郷)
【拝観した仏像】

薬師堂の如来坐像

薬師如来坐像 167cm
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○釈迦如来坐像 155.1cm
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阿弥陀如来坐像 158.4cm(現在、修理のためご不在)
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※撮影不可だったため、上記の仏像写真は東京都の文化財のサイトより

 東京都のサイトによると、いずれも藤原末期と考えられ、1612年に修理されたことがわかっている。いずれも東京都指定文化財
 前に某仏像修理所を見学させていただいた際、偶然お目にかかったのがこちらの阿弥陀様だった。都内にこれだけの大きさの立派な定朝様の阿弥陀様がおられるとは知らず、とにかく驚いた。しかも、薬師様お釈迦様を加えた三尊で残っておられるのだから、仰天である!

 厳重秘仏だと思っていたのだが、仏像好きの知人に相談したところ、お彼岸に開いていると教えていただき、参拝した次第である。

 訪問すると、薬師堂の二階のドアが開いており、大きなお像の影が見えた! 階段をのぼり、中に入ると、すぐ間近で拝観できる。残念ながら、阿弥陀様はご不在だった。お寺の方に伺ったところ、まだ修理中なのだという。それでも、150cmを超す平安の薬師、釈迦如来さまを間近で拝めるのはありがたい。

 薬師堂内には、如来坐像の他にも、
○元気いっぱいの十二神将が8体
○右手の親指と薬指を捻り、左手に薬壺を持つ不思議な薬師如来坐像(江戸仏かなー?)
○二天像(私は年代をはかりかねず)
もおられ、かなり濃密な仏像空間であった。



 また、本堂は堂外からの拝観であったが、五智如来と十王像のお姿を拝むことかできた。こちらは堂外から撮影。遠目から拝する限りだが、かなり魅力的な布陣である。
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【拝観案内】
医王山世尊院安養寺(真言宗智山派
通称 古川薬師
住所 大田区六郷2-33-10
2月8日、4月8日、7月13〜15日、春秋彼岸の10時〜16時に拝めるとのこと(基本的には檀家寺様なので、お墓参りの皆様へのご配慮をお願いします)