ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【来迎会】美作誕生寺〜法然上人への敬意の満ちる練供養〜

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 日本各地に誕生寺という名の寺はいくつあるのだろう。法然上人をお慕いする私にとって、誕生寺といえば、上人ご誕生の地、岡山県の美作誕生寺である。毎年4月第3日曜日には、法然上人のご両親を供養する二十五菩薩練供養が盛大に執り行われる。誕生寺ではこれを略して「お会式(えしき)」と呼ぶ。とても優しい響きだ。そして、この儀式がとても感動的なのである。
 お会式を中心に、誕生寺について書いてみたい。
 2016年に初めてお会式をお参りしたときの様子はこちら。
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1) 誕生寺とは

  岡山県久米南町、誕生寺は、浄土宗開祖法然上人がお生まれになった場所に建つ。建久4年(1193)、法然上人が弟子の熊谷法力房蓮生(熊谷直実)をこの地に遣わし、父漆間時国(うるまのときくに)の旧邸を寺院に改めたのが始まりと伝わる。
 現在は浄土宗特別寺院として位置付けられ、法然上人二十五霊場の第一番札所にもなっている。
 本堂(御影堂)の内陣中央には、ご本尊法然上人坐像がまつられる。必ず最初にお参りしたい。4月のお会式の列は、この法然様の御前が発着点となる。

2) 阿弥陀如来立像

84.5cm 鎌倉時代 県指定文化財
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 お会式の話をする前に、誕生寺の旧本尊と見られる阿弥陀如来立像に触れておきたい。
 桧材の寄木造り。体軀は前後二材を矧ぎ、肩口より両脇を寄せ、手先を挿し矧ぎ、両足先も矧ぎ寄せる。玉眼。納衣の衣皺は複雑。来迎印を結び、裳裾は後方にた なびき、あたかも礼拝者のいる場所へ到来したかにみえる。螺髪や衣文 の表現は洗練されており、鎌倉時代の様式をよく伝えている。
 特筆すべきは、胎内から約1000枚の摺仏(しゅうぶつ)が発見されたという点である。このうち約40枚に墨書があった。大小二種類あり、大きい方には、「法然上人御誕生所本尊」と記載される。このことから、本像は誕生寺の旧本尊だったと見られる。
 また、小さい方の摺仏は、阿弥陀如来像10体を一単位としており、「ちちのため」「うばのため」などの願文や交名が記載される。多くの人の祈りが集結した阿弥陀如来立像なのである。
 法然上人ご誕生地の阿弥陀様とご結縁できた当時の皆様はなんと幸運なことだろう。

3) 練供養(お会式)

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 美作誕生寺の二十五菩薩来迎会は、日本三大練供養の一つに数えられる。この練供養とは、阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて臨終者をお迎えするさまを演じるもの。人が菩薩さまに扮装し、ご来迎の場面を表現する。
 もともと練供養は、平安時代、浄土信仰の高まりとともに教化のために始められた。その頃は来迎会(らいごうえ)と呼ばれていたのだが、江戸時代に庶民の間に広まるにつれ娯楽性が加味され、練供養と呼ばれるようになった。今では、この二つの呼び名がどちらも使われている。
 最も有名なのが、中将姫ゆかりの奈良県葛城市・當麻寺の練供養で、1000年以上絶えることなく続けられている。當麻寺岡山県瀬戸内市弘法寺(こうぼうじ)の練供養とあわせて、三大練供養と呼ばれる。どれも年に一回、春の決まった日に行われている。三つとも拝見したが、それぞれ歴史も儀式の内容も違う。どれも素晴らしい!

3-1) お会式ポイント1 法然上人のご両親が極楽浄土にお迎えされます

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(↑ お会式に登場するご両親の像。お父様とお母様が隔年で供養される)
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(↑2016年のお会式の際、娑婆に見立てた地蔵堂で待機中のお母様像。もうすぐ二十五菩薩様がお迎えにくる。そして、極楽に見立てた本堂まで運ばれる)
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(↑2017年のお会式ではお父様が来迎された。左が娑婆堂のお父様像。右が本堂に運ばれるところ)
 誕生寺の練供養は、室町時代に始まったとされ、岡山県無形文化財に指定されている。正式には「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」と称する。
 この正式名称が示すように、ここ誕生寺の一番の特徴は、来迎される対象(臨終者)が法然上人のご両親だという点だ。當麻寺弘法寺では、中将姫様が阿弥陀様に来迎されるのに対し、誕生寺では、法然上人のお父上、漆間時国 公と、お母上、秦氏(はたうじ)様が毎年交代で来迎される。
 お迎えを受けるのがご両親というのは、法然上人誕生の地に立つこのお寺にふさわしく、感動する。
 境内奥の勢至堂には、ご両親の墓所もある。片目川を渡った先の聖地であり、空気が変わるのを感じる。法然上人産湯の井戸もある。この辺りは、厳粛にお参りしたい場所だ。
 さらに、誕生寺の近くには、出家する勢至丸を母が見送った場所があり、古い石碑(仰叡の碑) が立つ。また、境内には、母上様の銅像も2010年に建立されている。息子のことを祈るようなお姿のお像で、私も一人の母として感動せずにいられない。
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 誕生寺には、法然上人のご両親への敬意がある。お練りの列を眺めながら、自分の親子のつながりを思い返していた。

3-2) お会式ポイント2 練供養ルートが長く、菩薩様が近い!

 誕生寺では、二十五菩薩様の練り歩くルートが片道300メートルと長い。しかも、菩薩様の列をすぐそばから拝むことができる。
 練供養の列はまず、法然上人の御影をおまつりした本堂(重要文化財)を出発し、大きないちょうの枝の下をくぐり、さらに山門(重文)からお寺の外に出る。
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 大木の枝も立派だし、菩薩様の光背も立派なので、枝の下をくぐるのが大変そうだ。しかし、そこは伝統ある誕生寺。菩薩の皆様は問題なく通過する。
 山門を出ると、正面の直線の参道を歩く。300メートル離れた娑婆堂(地蔵堂)まで行き、そこで臨終者をお迎えして、また本堂に戻ってくるというルートである。
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 誕生寺では、六地蔵をおまつりした飛び地境内の地蔵堂を娑婆堂に見立てる。扉も窓もない吹きさらしの小さなお堂だ。この娑婆堂の敷地内に、南無阿弥陀仏と書かれた高い塔のような門があり、二十五菩薩様はここを通られる。大きな門から菩薩様が続々と、湧き出るかのようにお出ましになる光景は忘れられない。この場面は友人の動画でぜひ。


 日本各地の練供養の中でも、往復600mというのはかなり長い。この長い距離を、二十五菩薩だけではなく、大勢の僧侶やご詠歌隊、お稚児さんなど、総勢200名が練り歩く。列を見守る人も大勢いる。境内や参道に屋台も並ぶ。その規模は他に例がないのではないだろうか。
 また、境内に来迎橋をかけて練供養を行う寺院がほとんどだが、誕生寺では橋をかけないので、特に見上げなくても菩薩様をすぐそばで拝める。菩薩様の列の後ろをついて歩けるのは幸せだ。参道に立って、菩薩様が次々と通過されるのを見守るのも幸せである。まさに極楽。

3-3) お会式ポイント3 華やかで賑やか!

 私が誕生寺を訪れたのは、2016年と2017年の2回。どちらも4月第3日曜日、お会式の日だった。最初にお参りする際、お寺のホームページを拝見し、地図で場所も確認したのだが、その限りではとても遠いし、とても地味なイメージだった。岡山駅からローカル線でかなり先だし(最寄駅付近はもちろん単線)、周りは畑に囲まれ、ほとんども何もない。
 しかし、ここまで記してきたように、誕生寺のお会式はとても華やかで、賑やかだった!
 練供養のお渡りだけではない。練供養が出発するのは午後3時だが、堂内では朝から始終法要が営まれ、百万遍大念珠繰りを行われる。さらに、境内では、太鼓や舞なども奉納されていた。
 煌びやかさを引き立てるのが、菩薩様のお面や装束だろう。お面が小顔でかわいらしい。安室奈美恵さんが似合いそうだ。そして、装束も色がきれいで、華やかだ。特に、練供養の先頭を行く地蔵菩薩様は、赤いお帽子がかなりおしゃれだと思う。菩薩様の放射光背も素敵すぎる。
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 こんなに煌びやかで賑やかな練供養はそうないだろう。極楽浄土を目の当たりにできる。関係者の皆様に心からの敬意と感謝を申し上げたい。

4) 誕生寺にも被仏が!?

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 練供養の歴史を振り返ると、木造で中身が空洞の阿弥陀如来像の中に人が入ることがあった。迎講阿弥陀如来像、いわゆる、被仏と呼ばれるものである。あえてわかりやすく言うと、ゆるキャラの着ぐるみのようなものとも言える。
 大きな動く阿弥陀様に会いたいという気持ちが、こうした仕掛けを生んだのだろう。練供養に詳しい關信子先生によると、鎌倉時代に遡る古い形式で、現在もその伝統が残るのは岡山県瀬戸内市弘法寺のみである。時代が下るにつれ、迎講は先祖供養の趣が強くなり、阿弥陀如来様は本堂におられ、お練りの列には参加されなくなっていく。
 奈良の當麻寺にも被仏が残るが、人が入れないように変更されており、今では、阿弥陀立像として當麻寺本堂に安置される。毎年4月14日の練供養に阿弥陀如来立像が登場することはない。關信子先生は、被仏の他の例として、大阪の大念仏寺と広島の米山寺、そして、美作誕生寺の阿弥陀如来立像を挙げる。数例が残るのみである。
 美作誕生寺の阿弥陀如来立像も、人が入れる形ではなくなっている。關先生によると、もともと「供養所用の半身仏」があり、それに下半身を付け足して、弥陀堂本尊としていた。この弥陀堂本尊を1648年に再興したとされるのが、誕生寺に現存する210cmの大きな阿弥陀如来立像である。詳しくは、かつての特別展図録『極楽へのいざない』(2013年)より、關先生の解説を貼っておく。
 誕生寺の練供養は室町時代に始まったというのが通説だが、關先生は、もし本当に被仏があったのであれば、鎌倉時代に遡るのでは書かれている。難しいが、興味深く拝見した。
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【追記】2019年11月16日、誕生寺様をお参りし、被仏だった可能性のあるこの阿弥陀如来立像を特別に拝ませていただいた。
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 像高2.1mという高さもさることながら、体部が異常に大きく作られている。關先生のおっしゃるように、再興前の元の像が被仏だった可能性は充分にあるように思われた。高さは阿弥陀様を大きく見せるため、太さは中に人が入れるようにするためだったのではないか。
 また、私は胸元の卍にも注目する。卍部分が、中に入る人のための覗き穴になっている例もあるからだ。
 住職様は被仏様にしては大きすぎるとおっしゃった。専門家が調べにきたが、結局、結論は出なかったと伺った。しかし、私は上記の点から、「被仏の再興像」という学説を支持したくなった。練供養好きのバイアスもあるかもしれないが。

5) 誕生寺お会式のご朱印

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 誕生寺で頒布される、このご朱印帳のデザインがたまらない。写真のような角度から表紙を眺めると、菩薩様が練り歩く様子が蘇る。私は誕生寺から郵送していただいた。いつかこのご朱印帳に誕生寺のご朱印をいただかねばと思っている。

6) 地域の誇り法然上人

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 練供養の日、近くの小学校の校庭が駐車場になる。その名も誕生寺小学校。よく見ると、二宮金次郎像の隣に、なんと法然上人様が座しておられた。宗教分離が原則の公立学校で、地域出身の偉人として、法然様が尊敬されることが素晴らしいと思った。

7) 最後に: 練供養は今を生きるためにある

 練供養の時に誕生寺をお参りした経験をもとに、ここまで書いてきた。しかし、美作誕生寺にはもっとたくさんの見どころがある。見どころというより、祈りと感動のポイントと言ったほうが正しいだろう。お会式の賑わいの時以外でも、ゆっくり時間をかけてお参りしたい。
 最後に大切なことを。私は時々、二十五菩薩来迎会の何が楽しいのかと聞かれる。私はこう思う。
 ーー臨終のとき阿弥陀さまが雲に乗ってお迎えに来てくださるーー。そう信じるための手段が練供養なのだと。そして、そう信じることで、日々を強く生きていけるのだと。

8) 参考資料

美作誕生寺ホームページ
岡山県文化財ホームページ
特別展「極楽へのいざないー練り供養をめぐる美術ー」図録(2013年 岡山県立博物館と京都・龍谷ミュージアム

※ 写真について

ここに掲載した写真の中に、上記図録掲載のものと、練供養友達である桃太郎のもとさんのツイッター掲載写真が含まれています。それ以外は私が撮影したものです。また、練供養の模様の写真は2016年と2017年の時のものです。