ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【随想】3月11日、被災仏像に祈る(いわき市長福寺の地蔵菩薩坐像)(2014年3月11日付記事を再掲)

  2014年3月11日に掲載した記事を再掲します。変更箇所は、1) いつか貼っていたリンクが切れたので、それを削除し、2) 新しくできたサイト「文化遺産オンライン」(木造地蔵菩薩坐像院誉作 文化遺産オンライン)の写真を使用させていただいた、の2点です。
 2019年1月26日、山本勉先生の「院派仏師」という講座を受講した際、こちらのいわきの地蔵菩薩像を思い出しました。1334年、院派の仏師、院誉の作です。

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 去年、都内で、東日本大震災で被災した仏像を拝観する機会がありました。

 最初にお会いしたのは、4月、東京両国の回向院で行われた信濃善光寺の出開帳のときでした。震災復興を目的としたこの出開帳で、津波の被害を受けた仏像数躯もお祀りされたのです。
 土砂の中から救出され、修理を受けて、形と命を取り戻した仏様のお姿を見て、私ははからずも涙が止まらなくなりました。関わられた方々のご苦労を思うと同時に、このように形と命を取り戻せなかった方々がおられることに思いが及びました。


 被災を契機に新たな発見につながった仏像もいらっしゃいます。
 福島県いわき市、長福寺の地蔵菩薩坐像です。
 震災で破損し、修理を受けたところ、製作年や作者、願主などが明らかになったことから、昨年、国の重要文化財に指定されました。

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福島県いわき市、長福寺の地蔵菩薩坐像(院誉 作) 写真は文化遺産オンラインより)

 私は東京国立博物館で行われた「平成25年新指定文化財」展(25年5月)で、このお地蔵さまにお会いしました。

 彫刻としての注目点は、納衣が台座にかかり、土紋もあること。神奈川県鎌倉でよく見かける形式です。長福寺が鎌倉市極楽寺の末寺であったことから、鎌倉で製作された可能性が指摘されています。

 たまたま私は、極楽寺の釈迦如来ご開帳(同年4月)に行ってきたばかりで、親近感を覚えました。「被災→文化財指定」という流れに「転んでもただで起きない」雑草魂みたいなものも感じます。

 さらに、先月の報道によると、胎内納入品を解読した結果、法華経を記した用紙の裏に日常のやりとりを書き記した手紙が書かれていたことが分かったそうです。さらに、味噌の前身(醤=ひさお)のレシピも入っていたとのこと。

 震災を経て、タイムカプセルが開いたと言えるでしょう!
 悲しい事実からうれしい展開となりました。


 3月11日とその後の数か月間は私にとってかなり辛い記憶です。都内在住で大きな被害のなかった自分ですらそうなのですから、東北や関東北部にお住いの方々の痛みや苦しみはいかばかりか、想像もできないほどだと思います。

 震災記念日の今日、まずは亡くなられた方々を悼んで、黙祷したいと思います。

 それと同時に、残された命を喜び、慈しむ一日としたいと思います。

 被災仏像のお姿を思い出しながら、黙祷することにします。


[関連資料] 

〇 いわき市広報(25年8月)に重要文化財指定に関する説明が掲載されました(2019/1/27現在、該当のPDFはリンク切れで見つからず)。概要は以下のとおり

いわき市 長福寺
木造地藏菩薩坐像
院誉(作)
 納衣の裾が蓮華座にかかる形式や、着衣の土紋などに、関東地方の鎌倉彫刻の特色を示しています。
 また、東日本大震災で破損、修理中に銘記と納入品(印仏、法華経真言陀羅尼類、髪・爪ほか)が確認され、製作年(元亨4年、1324年)と作者院誉、願主尼慈仙ほかの名が判明しました。
 京都の主流仏師の一派である院派の東国における土着化した活動を示す遺品として注目され、また在地領主による鎌倉文化の受容形態をうかがわせる例としても重要です。