ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【千葉】【来迎会】鴨川市・心巌寺の行道面~二十五菩薩練供養の証~

鴨川市郷土資料館 「鴨川のたからもの~指定文化財集合~」展にて
鴨川市・心巌寺の行道面6面(県指定文化財)を拝観
拝観日=2019年3月9日
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行道面を見て練供養を想像する幸せ!

 二十五菩薩来迎会を訪ね歩くうちに、菩薩様が被る行道面も好きになった。愛知県岡崎市滝山寺兵庫県太子町の斑鳩寺、大分県豊後高田市の富貴寺では、今は練供養は行われていないものの、菩薩面だけは残っている。現地でお面を拝し、練供養の様子を妄想すると、頬が緩み、興奮すら覚えるようになってしまった。

 梅干しを見たら唾液が出てくるように、菩薩面を見たら幸せを感じてしまうー。そのように体質が変化したのが、このワタクシである。パブロフの犬も仰天である。

 そんな中、尊敬する仏友さんから、千葉県の鴨川市郷土資料館で行道面が展示されてると伺った。千葉は遠い。しかも、鴨川は果てしなく遠い。千葉県南西部、外房と呼ばれる地域だ。行くべきかどうか一瞬ひるんだ。しかし、電車にのんびり揺られさえすれば日帰りできるので、思いきって出かけることにした。情報を得てから一週間後のことだった。

心巌寺とは

 心巌寺(しんがんじ)は鴨川市貝渚にある浄土宗寺院である。文永2年(1265)に鴨川市北風原(ならいはら)に創建。天正5年(1577)里見氏の一族・正木石見守道俊とその妻(里見義弘の女)が、禅師の髙風に帰依し、磯村に移転。寛政11年の火災や、大正の関東大震災等により、本堂内陣から月が見えるほど荒廃した。昭和5年(1930)、第二四世の達穏上人が、現在地に移転し、今日に至る。
 本題の行道面(県指定文化財)のほかにも、浄土三曼荼羅(市指定文化財)が伝わる。
 この浄土三曼荼羅は次の3枚で構成される。本企画展では、行道面と合わせて展示されている。
○當麻曼荼羅當麻寺の文亀本の模写)185 x 199 cm
清海曼荼羅(京都聖光寺や奈良浄土寺と同系、室町時代の模写)95 x 72 cm
智光曼荼羅(奈良元興寺の模写、享保5年(1720)頃)72 x 49 cm

心巌寺の行道面とは

 心巌寺には行道面23面が伝わる。心巌寺は複数に及ぶ火災被害や二度の移転があり、記録は残っていないものの、これらの行道面は二十五菩薩来迎の練供養で使用されたものと推測される。
 23面のうち、21面が菩薩面で、2面が比丘面。縦22~25cm、幅13~19cmで、大きさはほぼ同じ。 すべて檜に錆地漆箔仕上げで、裏地は布貼り漆塗り。目は全体をくり抜いて、鼻孔を貫通させる作りも共通する。
 行道面はその特徴などから4つのグループに分けられる。最も古いAグループは室町と考えられ、7面が現存する。C、Dグループは江戸時代か。欠けた面が順次補充されたと考えられる。
 この展覧会では、A1、A5、B6、B7、C2およびD5 の合計6面が展示される。B7は比丘面で、地蔵菩薩または龍樹菩薩と考えられる。

 私が拝見したところ、A1、A5、B6およびB7は、C2 とD5と比べると、鼻幅が大きく、お顔も丸みを帯びていた。最も古いAグループの造りを踏襲しつつ、C、Dグループにはこのように別の特徴も見えるのが興味深い。

 千葉県教育委員会のウェブサイトに行道面すべての写真が掲載されている。
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寺外初公開!

 資料館の方に伺ったところ、行道面23面は普段は心巌寺さまが保管されており、一般公開はされていないとのこと。時々お檀家さまが拝する機会があるだけで、今回が寺外初公開だそうだ。
 6面だけの展示とはいえ、貴重な機会をいただけた。
 二十五菩薩来迎会が好きすぎて、菩薩面を目の前にしただけで、練供養の興奮が蘇る。頬が緩んだまま(つまりは、顔がにやけた状態で)、「すごい、すごい」とつぶやきながら拝観した。他に来館者もおらず、狭い展示コーナーを独占させていただいた。
 浄土三曼荼羅と合わせての展示で、まさに極楽浄土が展開されていた。

心巌寺の行道面はなぜ素晴らしいのか!

 心巌寺の行道面が素晴らしいのは、室町から江戸にかけて、二十五菩薩のお面を順次作り直していった形跡があることではないだろうか。
 これだけ長い期間、練供養の伝統が続いたことを行道面は無言で示している。
 心巌寺の練供養については、文書による記録が残っておらず、菩薩役が身にまとう装束や持ち物も残っていない。この行道面のみが心巌寺の歴史の一端を今に伝えている。
 前述のとおり、心巌寺には三種類の浄土曼荼羅も残る。阿弥陀信仰が盛んだったことの表れであり、二十五菩薩来迎の練供養もそうした流れの中で挙行されていたのだろう。
 鴨川と言えば、波の伊八の生誕地。しかし、伊八だけではないことを心巌寺の行道面は教えてくれる。

 寺外公開という貴重な機会をいただけたこと、関係者の皆様に心からお礼申し上げたい。

参考資料

○『鴨川市の指定文化財』(鴨川市教育委員会、平成22年)
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○千葉県教育委員会ウェブサイト
www.pref.chiba.lg.jp
○浄土宗千葉教区ウェブサイト(心巌寺の説明)
www.jodo-chiba.jp

【埼玉県】霊樹寺に唐招提寺伝来の古仏あり

 唐招提寺の古仏が江戸時代に埼玉に迎えられ、廃仏毀釈を乗り越えて現存します。量感があり、像高以上に大きく感じられました。威厳あるお釈迦さまを間近で拝ませていただきました。
(拝観日=2019年2月11日 )
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霊樹寺の釈迦如来坐像

ケヤキの一木造り(内ぐり)
彫眼
像高87.2cm
平安時代
県指定文化財
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明治初めに鷲宮神社別当寺から買い受けた

 霊樹寺の釈迦如来坐像は、近くの鷲宮神社別当寺、大乗院の本尊でした。明治初めに大乗院が取り壊しになり、売りに出されたところを霊樹寺の当時の住職(二十七世高峰宦道)が購入。これほどの仏様さまがよそに渡るのは忍びないと、代金30両のうち15両は、寺の田畑を売却するなどして工面したそうです。残りは琴寄村(現加須市大利根地区)の大地主小林官吉氏から借り受けました。
 大変なご苦労をなさって、お仏像を守られたこと、頭の下がる思いです。

もとは唐招提寺

 さらに、注目すべきは、もとは奈良の唐招提寺におられたとされる点です。大乗院の再興に際し、隆光僧正によって唐招提寺の古仏が寄付された旨が、『大乗院由緒書』(宝永5年=1708)に記されています。隆光は徳川綱吉桂昌院に仕えた、奈良出身の高僧。当時の鷲宮神社の力具合が伺えます。
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(↑両サイドからの写真。ボケボケですみません)

後補は?

 両腕と膝前が後補で、表面の金箔も後補のようです。住職は、金をはがしたいのだが、文化財指定があるので、勝手なことはできないのだとおっしゃっていました。
 確かに、金をはがしたら、平安時代らしい尊顔が現れる可能性もあるように思えます。制作年代ももっとはっきりするかもしれません。

ついにお会いできました

 手元にある青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』(幹書房2011年)を開くと、ポストイットが貼ってあり、「お会いしたい!!」と自分のメモ書きがありました。
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 今回、仏像リンクのオフ会に参加し、拝顔の機会が得られました。大変ありがたくお礼申し上げます。本の写真もなかなかですが、間近でお会いすると格段に立派でした! 奈良の空気を感じました!!
 

毘沙門天さま

 本堂には毘沙門天さまも。江戸時代のものだと伺いました。住職が購入されたものだそうです。
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 なお、当初予定になかったのですが、霊樹寺のあとに鷲宮神社もお参りしました。霊樹寺の住職がおっしゃったように、やはり両方お参りしないといけません! 
 また拝観の機会があればと思います。ありがとうございました。

拝観案内

霊樹寺(曹洞宗
埼玉県久喜市鷲宮3-6-1 
東武伊勢崎線鷲宮駅から 1 km弱
※事前に連絡が必要かと思います

参考サイト

久喜市のサイト
www.city.kuki.lg.jp

今回の仏像リンクオフ会のガイド役、桃さんのブログ
momococks0505.blog106.fc2.com

【読書メモ】鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 』が教えてくれること

 鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 』(文春新書、2018年)を読みました。仏像好きの人間にはつらい内容です。簡単ですが、感想を書きました。

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廃仏毀釈とは狂気の産物

 明治の初め、神仏分離令の発令により、日本各地で行われた廃仏毀釈。寺院や仏像、仏具が破壊された。
 その記録をまとめた本書を読み進めるうちに、ある思いがこみ上げてきた。

 「人は時々真面目に狂う」

 この思いは読了時に確信へと変わった。


1) 権力者の忖度
2) 富国策のための寺院利用
3) 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
4) 僧侶の堕落

 筆者は廃仏毀釈の要因をこの4点にまとめる。しかし、理由はどうあれ、信仰の対象である仏像を叩き壊し、寺院をつぶし、薪にしたり、校舎や橋の建材に転用したりというのは、どこかで何かが狂っていないとできないことだと思う。

 木の仏像を燃やして湯を沸かし、仏僧に湯につからせたという記録もあるそうだ。拷問ではないか。真面目な狂気によらず、どうしてそんなことができるだろう。物だけでなく、精神まで破壊しようとしたのだろう。

 著者は要因3) として、熱しやすく冷めやすい日本人の民族性を上げているが、それは日本人特有のものとは思えない。日本人というより、人間の特徴なのではないか。

 まるで戦争の記録を読んでいるようだった。

 人間は迷うし、時々真面目に狂う。だからこそ、祈りが必要なのだと思う。祈りの対象が狂気の対象となり、破壊された事実は重い。

生き延びた仏像

 廃仏毀釈によりたくさんの仏像が失われた。梅原猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数は三倍はあったと指摘する。
 だが、廃仏毀釈を生き延びた仏像ももちろん現存する。本書を読んで、そうした仏様のお像にお会いしに行きたくなった。
 生き延びてくださったお礼を申し上げに参りたい。失われた他の無数の仏像をしのびつつ、お参りしたい。

 本書の中から、廃仏毀釈を生き延びた仏像をいくつかリストアップした。(拝観に制限のある場合もあるかと思いますので、お参りされる場合は事前にご確認ください)

○鹿児島県日置郡日吉町・清浄寺 阿弥陀如来像 
(元は鹿児島市の不断光院にまつられていた。小松帯刀の妻お千賀が守った)

○長野県松本市・西善寺 阿弥陀三尊(江戸、市指定。市のサイトのよると公開日が決まっているようです)

○愛知県碧南市・海徳寺 阿弥陀如来坐像、通称、大濱大仏(元は伊勢の神宮寺、海路で運ばれた)

○愛知県西尾市・浄名寺 円空観音菩薩(270cm) (伊勢より移ったと言われている)

三重県菰野町・明福寺 円空両面仏(片面が阿弥陀で、もう片面が薬師。元は伊勢の常明寺にあった。横浜の円空展にお出ましだった)

京都市下京区因幡薬師=平等寺観音堂の十一面観音(元は北野天満宮。東寺観智院を経て平等寺へ。今年4月から龍谷ミュージアム因幡薬師展があるので、そこでお会いできないかと期待)

京都市誓願寺 阿弥陀如来坐像 (元は石清水八幡宮本地仏として別当寺の安楽寺に。こちらは基本的にいつでも拝観可能かと。丈六の阿弥陀さまです)

【埼玉】宝乗院愛染堂(熊谷市)の愛染明王さま

(2017年2月の拝観記録です)

 埼玉県熊谷市で、修理が終わった愛染堂の縁日にお参りしてきました。温かなコミュニティに支えられた、とても素敵な空間でした。
 江戸時代の150センチの大きな愛染明王さま。お堂の修復が終わり、お堂にお戻りの際には、地元の方々に引っ張られて遷座されたそうです。愛されるお仏像は素敵です!
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愛染明王坐像>

 愛染堂のご本尊、愛染明王さまは像高150センチ、台座を含めると240センチ。かなり大きさがありながら、三目六臂の異形がうまくまとまっており、仏師の力量が伺えます。
 赤い六本の腕は、さわると温かくて弾力を感じるのではないか…と、思えるほど…。基本的に恐ろしいお姿なのに、温かさを感じました。
 また、あの細い線で描かれた髪の毛を見ると、仏師は慶派好きなのかな…と思ったりします。
 江戸初期の作と推定されていますが、調査したらもっと遡る可能性もあると伺いました。
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<仏像の保存とは>

 お堂の隣に、畳敷きの小さな自治会館があり、仏像修理の牧野隆夫先生の講演会が開かれました。仏像を"文化財" として保存することはもちろん大切です。しかし、保存が唯一の目的になってしまって、衆生から切り離すようなやり方は本末転倒なのでは…と考えさせる内容でした。

 地方の古仏を訪ね歩いていると、今後の保存が心配になることがあります。少子高齢化や地方の衰退など、個人の力ではどうにもできない問題を感じます。コミュニティが力を合わせ、地元の大学生や小学生まで巻き込んで愛染堂を復活させたこちらの事例は、他の地域の参考になるのではないでしょうか。修理を終えたお堂に愛染明王像を遷座する際、地元の人々がお練りで引っぱって移動したという話にはほろりとしました。
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 熊谷といえば、利根川の向こう側(群馬)の光恩寺さま(鎌倉時代阿弥陀三尊)をお参りするために先月立ち寄ったばかりです。利根川のこちら側(つまり熊谷市)には、妻沼の国宝聖天堂もあり、昨日、初めてお参りできました。熊谷というか、利根川を挟んだ両地域の歴史的文化の高さを感じました。

拝観案内

【寺院名】宝乗院愛染堂
【住所】熊谷市下川上32付近
交通機関】熊谷駅北口から国際十王バス犬塚行き「下上川」下車徒歩8分

※写真はすべて筆者撮影(愛染様がボケボケですみません…)

【埼玉】保寧寺(加須市)宗慶の阿弥陀三尊像

 埼玉県加須市・保寧寺(臨済宗妙心寺派)。仏師宗慶による阿弥陀三尊を間近で拝観しました。阿弥陀三尊は、美しい境内の奥、阿弥陀堂にまつられていました。金沢文庫の運慶展(2018年)でお会いしたのですが、お堂でお会いするのは格別です。堂内の壁のタイルと静かな照明が三尊をさらに引き立てていました。

阿弥陀三尊(1196年、重要文化財

 阿弥陀如来坐像 87.4cm
 観音菩薩立像 105.5cm
 勢至菩薩立像 93.6cm
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宗慶とは

 阿弥陀三尊を手がけたのは仏師宗慶。宗慶は、康慶の地蔵菩薩坐像(1177年、静岡県富士市・瑞林寺)の小仏師として参加したことがわかっています。康慶の弟子であり、運慶とは兄弟弟子の関係だったと考えられます。

阿弥陀如来坐像

 お顔や体に張りがあり、むちっとしています。阿弥陀の上印を結んでいます。
 この阿弥陀さまの特徴は、まるでリクライニングシートに座っているかのように、上半身が後ろに傾いていること。こういう態勢でいたら、きっと腰が痛くなるだろうなと心配になります。
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(↑金沢文庫2018年運慶展の図録より)

観音勢至菩薩立像

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 こちらもむちむちしてるように思いますが、衣文は穏やかかつ上品にまとまっています。肥後定慶のような極端にヒラヒラしたのも好きですが、この日の私には、このくらいの保守的な感じがしっくりきました。

不動三尊が脇仏だった?

 保寧寺のこの阿弥陀三尊は、2018年の金沢文庫の運慶展に出展されていたのですが、この展覧会では、保寧寺に元々あったとされる不動明王と両脇侍像も出展されていました。この不動三尊は現在は個人蔵となっています。
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(↑金沢文庫2018年運慶展の図録より)
 図録の説明によると、宗慶の阿弥陀三尊の脇仏として制作されたのではないか、とのこと。しかも、毘沙門天もおられたのではないかと。
 阿弥陀三尊を見上げながら、神奈川県横須賀市の浄楽寺の阿弥陀三尊(運慶)を思い出していたのですが、こちらも阿弥陀三尊と不動明王立像と毘沙門天立像が伝わっています。お姿が似ているだけでなく、尊像の組み合わせも似ていた可能性があるようです。浄楽寺の不動明王は単体の立像ですし、中尊の阿弥陀さまも来迎印なので、まったく同じとは言えませんが、大変興味深く思いました。こういう話に興奮してしまいます!

拝観情報

 保寧寺は東武伊勢崎線加須駅から2キロほど。時々ですがバスも出ています。
 阿弥陀三尊は境内の奥の阿弥陀堂にまつられています。この阿弥陀堂の正面の扉の上部がガラス張りになっており、扉の外にあるスイッチを付けると、堂内に温かな照明がともり、阿弥陀三尊のお姿がほんのりと浮かび上がります。今回は仏像リンクさんのオフ会で出かけたので、阿弥陀堂内に入らせていただくことができました。また機会があれば、お参りしたいです。

2018年の仏像拝観リスト

 2018年は各地に旅して、多くのみほとけの尊像に出会えました。大変幸せなことだと思っています。
 お会いすればするほど、またお会いしたくなる...。知れば知るほど、知らないことがあることに気づく...。仏像の世界は奥が深いです。
 大変恥ずかしくはありますが、2018年の拝観の記録をまとめました。記録をつけるのは好きなのですが、なにせ時間がなく、記事のほとんどは移動中にスマートフォンでまとめたものです。
 ここ数年、「法然上人」「阿弥陀如来」というテーマで旅をしてきましたが、2018年は平安中期や天平の仏像に特に惹かれる一年だったように思います。2017年の秋に法然上人霊場を成満したこともあり、少しフリーな感じで仏像めぐりをした結果かもしれません。
 特に印象に残っているのが、
京都・遍照寺の十一面観音、若狭・明通寺の深沙大将大阪府葛井寺の千手観音(いずれも1月の仁和寺展)、
豊橋市・普門寺の阿弥陀(2月)
滋賀県・金勝寺の軍茶利明王、大津・石山寺光堂の大日如来、高槻・慶瑞寺の菩薩坐像、泉大津・千原大師堂の十一面観音、桜井市笠区の薬師如来(4月)、
神戸・太山寺阿弥陀如来如意寺の仁王(5月)、
長野県青木村・覚音寺の千手観音、上田市・智識寺の十一面観音(6月)、
大分県宇佐市・龍岩寺奥の院、岩屋の木彫仏、天念寺の塑像、大楽寺の弥勒(8月)
愛知県稲沢市安楽寺船橋町)の阿弥陀如来・釈迦如来坐像(9月)、
滋賀県大津市・盛安寺の十一面観音、滋賀県米原市・西圓寺の聖観音(10月)、
品川区・海蔵寺の菩薩坐像、岡山県瀬戸内市弘法寺の丈六阿弥陀坐像、瀬戸内市宝光寺薬師如来坐像静岡県河津町・善光庵の十一面観音(11月)、
奈良県川西町・旧白米寺の地蔵菩薩立像、京都府木津川市・神童寺の日光菩薩立像、そして、二度目だけど東大寺法華堂の執金剛神像(12月)などです。

 書きたいのに書けていない参拝記録もあります。六郷満山や長野県の妙海の十一面観音、神戸の太山寺や宇陀の慶恩寺の練供養などです。下書きやメモ書きはあるので、いつか掲載できば…。

 またまた前置きが長くなってしまいました…。2018年は以下のように拝観させていただきました。ご縁をいただきましたこと誠にありがとうございました。合掌

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以上

2018年12月仏像拝観リスト

 2018年12月はまず、埼玉県熊谷市、平戸の大仏(源宗寺)の戦後初の一般公開へ。これからお堂を修復するにあたり、市民の機運を高めるために一般公開に踏み切ったとのこと。2019年に浄財の募集が始まる予定らしいので、微力ながら協力したい。近くの泰蔵院の阿弥陀如来坐像は写真で見る以上に美しく、生き生きとしたお姿だった。午後は熊谷から利根川を渡し舟で渡り、群馬県千代田村の光恩寺で阿弥陀三尊を参拝。またまた感動。
 12月16日の東大寺良弁忌のご開帳は諦めていたのだが、12月に入ると去年初めて行ったときの感動がよみがえってきてしまい、今年も急きょ行くことにした。念のためホテルを押さえておいてよかった。無計画で出かけた割には、充実した仏像めぐりができた。やっぱり奈良は素晴らしい。
 15日に仏友さんと偶然会い、16日に同行させていただいたこと感謝に堪えない。中墓寺と神童寺は初拝で特に印象に残っている。
 そして、、、東大寺法華堂のご開帳は今年も泣けた。天平仏! こんなにみずみずしい彫刻群は他にあるだろうか! 今年は閉帳に立ち会うと決め、執金剛神像の前で待機していたら、若いお坊さんが現われた。お坊さんはまずは般若心経を唱えられ、お厨子の扉を閉めて施錠された。きゃしゃな若いお坊さんだったが、読経のお声が妙にダミ声だった。見た目からは想像できないダミ声につい笑ってしまい、あまり泣かずにすんだ。とにかくありがたいことである。合掌


12月2日
東京ディズニーランドミッキーマウスの練供養(つまり、俗に言う、クリスマスパレード。阿弥陀如来の化身であるミッキーが二十五菩薩を伴って影向し、幸せを分かちあう…。そのように私には見えました)。ショーとパレードを全制覇しました!

12月8日
埼玉県
熊谷市・源宗寺(平戸の大仏)
観音菩薩坐像と薬師如来坐像(ともに約350センチ、江戸時代、市指定文化財
【埼玉】熊谷・源宗寺の木彫大仏坐像(地方仏最高と叫びたくなる平戸の大ぼとけさま) - ぶつぞうな日々 part III
熊谷市・泰蔵院(105センチ、鎌倉時代、市指定文化財
鎌倉時代と市のサイトにあったが、平安後期の感じもする穏やかなお姿
群馬県千代田村・光恩寺
阿弥陀如来坐像と観音菩薩勢至菩薩立像(鎌倉時代、県指定文化財
熊谷市側から赤岩の渡し船でお参り。あまりに好きすぎて二度目のお参り
群馬県・光恩寺阿弥陀三尊(県指定)~だって、定朝様なのに玉眼なんですもの~: ぶつぞうな日々 PARTII
光恩寺阿弥陀さまへは赤岩の渡し船で! 川を渡ると極楽浄土です!: ぶつぞうな日々 PARTII
東京国立博物館
大報恩寺展(二度目) 
行快と肥後定慶は好きだったのだが、最近は平安中期の仏像にものすごく惹かれてしまうようで、展覧会の最初の観音立像の前にずっと立っていた。

12月15日
奈良市・唐招大寺
 金堂諸仏のお身拭い、講堂、身代わり鑑真和尚像、鑑真和尚ご廟お参り
奈良県川西町・旧白米寺収蔵庫
 かっこよすぎる地蔵菩薩立像(重文)
 その横におられる阿弥陀如来坐像(重文)にも惹かれてしまう
 不動明王三尊(確か、県指定文化財矜羯羅童子がやばい)


奈良県桜井市長谷寺(何度でもお参りしたい)
奈良県大和郡山市・西岳院
 千手観音立像(県指定文化財、305センチ)

12月16日
奈良県奈良市下狭川町・中墓寺
 収蔵庫に薬師如来坐像阿弥陀如来坐像2躯(いずれも平安、重文)
京都府木津川市・大智寺
文殊菩薩騎獅像(重文)、十一面観音立像(重文)
ハルカスの西大寺展で、安倍文殊院文殊像との近似性を指摘されていた文殊さまに再会。台風の被害でお堂が修理中のところ押しかけてしまい、申し訳なかった。早く復旧がかないますように。
木津川市・神童寺
本堂=蔵王権現(270センチ、室町)、観音菩薩立像、不動明王
収蔵庫=
不動明王立像(160センチ、重文)
阿弥陀如来坐像(137センチ、重文)
天弓愛染明王坐像(64.5センチ、重文)
日光菩薩立像(162.4センチ、平安、重文)

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日光菩薩立像 この平安中期な感じに惹かれました 写真は神童寺で販売の図録より
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この天弓愛染さまが写真より素晴らしかった 動きがあり上品 写真は神童寺の図録より
京田辺市・寿宝寺
千手観音立像
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寿宝寺(写真は『南山城の古寺』平成28年飛鳥園より)
奈良市東大寺
俊乗堂=快慶阿弥陀如来立像、重源像、愛染明王坐像(平安)
開山堂=良弁像(12/16良弁忌のみのご開帳)
法華堂=執金剛神像(12/16のみご開帳)、不空羂索観音立像、四天王立像
※おちゃのこさんでクリスマスのかき氷(ラムレーズンが最高!)

12月22日
〇東京都八王子市・長安寺、薬師如来坐像
〇東京都八王子市・龍見寺、大日如来坐像
優美な大日如来さま、八王子にあり!@龍見寺: ぶつぞうな日々 PARTII

12月30日
東京都日野市 高幡不動尊(今年も一年ありがとうございました)

以上

【随想】3月11日、被災仏像に祈る(いわき市長福寺の地蔵菩薩坐像)(2014年3月11日付記事を再掲)

  2014年3月11日に掲載した記事を再掲します。変更箇所は、1) いつか貼っていたリンクが切れたので、それを削除し、2) 新しくできたサイト「文化遺産オンライン」(木造地蔵菩薩坐像院誉作 文化遺産オンライン)の写真を使用させていただいた、の2点です。
 2019年1月26日、山本勉先生の「院派仏師」という講座を受講した際、こちらのいわきの地蔵菩薩像を思い出しました。1334年、院派の仏師、院誉の作です。

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 去年、都内で、東日本大震災で被災した仏像を拝観する機会がありました。

 最初にお会いしたのは、4月、東京両国の回向院で行われた信濃善光寺の出開帳のときでした。震災復興を目的としたこの出開帳で、津波の被害を受けた仏像数躯もお祀りされたのです。
 土砂の中から救出され、修理を受けて、形と命を取り戻した仏様のお姿を見て、私ははからずも涙が止まらなくなりました。関わられた方々のご苦労を思うと同時に、このように形と命を取り戻せなかった方々がおられることに思いが及びました。


 被災を契機に新たな発見につながった仏像もいらっしゃいます。
 福島県いわき市、長福寺の地蔵菩薩坐像です。
 震災で破損し、修理を受けたところ、製作年や作者、願主などが明らかになったことから、昨年、国の重要文化財に指定されました。

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福島県いわき市、長福寺の地蔵菩薩坐像(院誉 作) 写真は文化遺産オンラインより)

 私は東京国立博物館で行われた「平成25年新指定文化財」展(25年5月)で、このお地蔵さまにお会いしました。

 彫刻としての注目点は、納衣が台座にかかり、土紋もあること。神奈川県鎌倉でよく見かける形式です。長福寺が鎌倉市極楽寺の末寺であったことから、鎌倉で製作された可能性が指摘されています。

 たまたま私は、極楽寺の釈迦如来ご開帳(同年4月)に行ってきたばかりで、親近感を覚えました。「被災→文化財指定」という流れに「転んでもただで起きない」雑草魂みたいなものも感じます。

 さらに、先月の報道によると、胎内納入品を解読した結果、法華経を記した用紙の裏に日常のやりとりを書き記した手紙が書かれていたことが分かったそうです。さらに、味噌の前身(醤=ひさお)のレシピも入っていたとのこと。

 震災を経て、タイムカプセルが開いたと言えるでしょう!
 悲しい事実からうれしい展開となりました。


 3月11日とその後の数か月間は私にとってかなり辛い記憶です。都内在住で大きな被害のなかった自分ですらそうなのですから、東北や関東北部にお住いの方々の痛みや苦しみはいかばかりか、想像もできないほどだと思います。

 震災記念日の今日、まずは亡くなられた方々を悼んで、黙祷したいと思います。

 それと同時に、残された命を喜び、慈しむ一日としたいと思います。

 被災仏像のお姿を思い出しながら、黙祷することにします。


[関連資料] 

〇 いわき市広報(25年8月)に重要文化財指定に関する説明が掲載されました(2019/1/27現在、該当のPDFはリンク切れで見つからず)。概要は以下のとおり

いわき市 長福寺
木造地藏菩薩坐像
院誉(作)
 納衣の裾が蓮華座にかかる形式や、着衣の土紋などに、関東地方の鎌倉彫刻の特色を示しています。
 また、東日本大震災で破損、修理中に銘記と納入品(印仏、法華経真言陀羅尼類、髪・爪ほか)が確認され、製作年(元亨4年、1324年)と作者院誉、願主尼慈仙ほかの名が判明しました。
 京都の主流仏師の一派である院派の東国における土着化した活動を示す遺品として注目され、また在地領主による鎌倉文化の受容形態をうかがわせる例としても重要です。

【受講】山本勉氏「院派仏師~近世まで生きのびたもうひとつの老舗ブランド~」2019年1月26日

 2019年1月26日、清泉女子大学の一般向け一日講座で山本勉先生の講義を受講しました。タイトルは「院派仏師~近世まで生きのびたもうひとつの老舗ブランド~」。
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 「もうひとつの老舗ブランド」という言葉の裏に、運慶や快慶の活躍した慶派だけではなく、院派も注目すべき仏師の系譜だという思いを感じます。私のわずかな仏像めぐりの経験の中でも、院派仏師の名前は近畿(京都の法金剛院や蓮華王院、六道珍皇寺など)のみならず、関東(横浜称名寺や浜松方広寺など)でも耳にしました。しかも、その時代も平安末から江戸まで長期間に及びます。
 とはいえ、これまで院派についてまとめて学ぶ機会がなかったので、この講座を聴講することにしました。濃密な2時間でした!
 復習を兼ねて、受講内容を以下のとおりまとめした。※注意!)私の理解不足や聞き間違いなどにより、大小問わず間違いがあるかと思うので、その旨申し添えます。間違いがありましたら、お知らせいただけますとうれしいです。

山本勉氏「院派仏師」受講メモ

1 仏師と定朝流

 講義ではまず、「仏師」という言葉の変遷について説明があった。
 奈良時代までは、「司馬鞍作首止利仏師」(法隆寺金堂釈迦三尊像銘記、623年)、興福寺西金堂を手がけた「仏師将軍万福」(造仏所作物帳、734年)など、「仏師」とは、工人組織の長を指す言葉だったと考えられ、官僚組織に属していた。両者は渡来系一族の出身だったことも特徴である。奈良時代末頃には「仏師武蔵村主多利丸」(日本霊異記)など、民間にも「仏師」の使用例が見られるが、いずれも俗名に過ぎなかった。
 平安時代前期に入ると、仏師は僧名となり、僧籍を持つ者に限られるようになる。「仏師明定」(830年、叡岳要記)、「仏師妙広」(833年、知恩院本瑜伽師地論 奥書)、「仏師仁算」(863年、叡岳要記)などの例があり、当初は寺院に属したと見られる。
 平安中期10世紀に至って、康尚(こうじょう)が初めて独立した仏師工房を立ち上げる。康尚は998年、土佐講師(講師とは地方の僧官。必ずしもその地方に在住したわけではない)に任命されたあと、藤原道長のために浄妙寺三昧堂普賢菩薩像(1005年)のほか、法性寺五大堂五大明王像(1006年)を造立した。法性寺の不動明王坐像は京都の同聚院に現存する。
 康尚を引き継いた定朝(?~1057年)は、藤原道長、頼道親子のために法成寺や平等院の造仏を行うなかで、法橋、法眼という僧綱(そうごう)を得た。僧綱とは、仏教行政を統括するために国家が任命する僧官を指し、学識や年臈(受戒してからの年数)を積んだ僧の高い位として貞観6年(864年)に制定されたもの。上から法印(ほういん)、法眼(ほうげん)、法橋(ほっきょう)がある。仏師に僧綱が付与されたのは前例のない破格のことだった。
 定朝は、法橋として法成寺の諸仏を造り(法成寺の金堂大日如来、五大堂五大明王、薬師堂七仏薬師。1022~1023年)、法眼となってから平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(1053年)を造った。天皇家の出身ではない道長にとって、法成寺には摂関家の神聖化を強調する役割があった。仏師である定朝に僧綱を与えた背景として、摂関家が仏像と寺の権威強化を狙ったと考えられる。

2 院派の創始

 康尚と定朝のあと、仏師の系図は覚助と長勢を経て三つに分かれ、奈良仏師、院派、円派の三派が成立する。

       | ーー頼助ー康助(奈良仏師)
定朝ーー覚助ー
   |    | ーーー院助ー院覚(院派)
   |    
   |
   | ー長勢ーーー円勢ー長円(円派)

 定朝の子、覚助は法橋(1067年)、法眼(1070年)となり、1077年に没した後、そのグループは奈良仏師と院派とに分かれた。
 一方、定朝の弟子だった長勢は法橋(1065年)、法眼(1070年)、法印(1077年)と進み、1091年に没した後、その派閥は円勢、長円へと引き継がれ、円派となる。長勢の遺作に京都・広隆寺の日光月光菩薩十二神将がある(※スライドで写真が提示されたのだが、広隆寺宝物館の入り口付近におられる像だったように思う...薬師如来秘仏のはず)。
 なお、これまでは奈良仏師が定朝の直系とされ、院派と円派は傍系とされることが多かったが、院助の系統(院派)を定朝嫡流(直系)とした武笠朗の研究(『週刊朝日百科国宝の美』25彫刻9所収2010年)は注目に値する。

 定朝の仕事はこれら三派にどのように引き継がれたのか。院派は摂関家藤原氏)に関係する平安京と周辺の寺院の造仏を引き継ぎ、奈良仏師は摂関家の氏寺である興福寺を担った。円派は、院政政権の樹立(白河上皇1086年~)によって大きな権力を持ち始めた宮廷関係の仕事を手掛けた。初期の円派(円勢、長円)の隆盛にはそうした背景がある。(ちなみに、円勢と長円の作として仁和寺の国宝薬師如来坐像がある)

 平安後期の院派の系譜は次のとおり。

院助ーー院覚ーーー院朝
       |
       | ー院尊

院助(1077法橋、1105法眼)
院覚(1130法橋、1132法眼)
院朝(1161以前に法印、桓武平氏の一党、院覚の猶子?)
院尊(1178以前に法印、1198没)

 この時期にどのような仏像が造られたのか。
醍醐寺閻魔天像(待賢門院御仏、93.9センチ)は院覚周辺の作と推定される(※サントリー美術館醍醐寺展で感動したお像だ!)。
〇確実なところでは、京都・法金剛院の阿弥陀如来坐像(待賢門院発願、1130年に供養、224センチ)が院覚の作。
〇また、後白河上皇の時代、1164年に供養された京都・妙法院蓮華王院(三十三間堂)の千手観音菩薩像は、奈良仏師康助の主宰のもと、三派仏師が参加したと考えられる。

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法金剛院の阿弥陀如来坐像(写真は法金剛院さま公式サイトより)

3 南都復興と院派

 1180年、南都炎上により、大仏を始め東大寺興福寺の堂宇が焼失する。南都の復興が開始される時点で優位に立っていたのが院派だと考えられる。興福寺の講堂と金堂(中金堂)の造像を院尊が独占しようとしたところ、1181年6月、円派の明円と奈良仏師嫡流成朝が訴え出て、同年7月、以下のような分担により造像が開始された。
興福寺 金堂=明円(円派)、講堂=院尊(院派)、食堂=成朝(奈良仏師)、南円堂=康慶
 院尊が南都で優位だった背景として、造興福寺長官である藤原兼光が院派仏師と姻戚関係にあったことが関係するのではないか。東大寺大仏の復興において、鋳造を手掛けたのは宋出身の陳和卿だが、頭部の原型を手掛けたのは院尊ではなかったか。この頃までは院尊が南都復興の中心だったのではないか。
 また、院尊が手掛けたと考えられる像に以下がある。
〇京都・長講堂の阿弥陀如来と両脇侍像(1183~1185頃。阿弥陀174.2cm、左脇侍96.9cm、右脇侍95.1cm)
後白河院の六条洞院の仏堂にあったが、文治4年(1188年)に六条殿焼亡。再興時に院尊が安置した。

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長講堂の阿弥陀三尊(写真はhitabutsuさんのブログより)

4 鎌倉時代の院派

鎌倉前期
1198 院尊没
1199 院実が法印に(※運慶が法印になったのは1203年)
1207 最勝四天王院供養。院賢の舞楽面(現存する=東大寺最勝四天王院遺物)
1215 後鳥羽院逆修(本尊仏師は院実、湛慶、院賢、快慶。つまりは、院派仏師の中に慶派仏師が紛れ込んで仕事をしていた...)
1221 承久の乱

鎌倉中期
1223 院範(いんぱん) 宝積寺(京都府大山崎町)十一面観音立像(182.2cm)※やさしく眠っているような表情。保守的な表現
1252 院智(いんち) 仁和寺京都市)悉達太子坐像(53.6cm)※昨年の仁和寺展に出展
1266 院恵・院承・院継ら 蓮華王院本堂供養 ※1249年の焼亡による再建(中尊は1254年、湛慶による)
 蓮華王院千体仏の造像においては、以下のように院派が最も人数が多い。作風の観点からは、慶派は新様式をとりいれ、院派は保守的。円派はその中間の作風である。
 慶派=仏師4人、像数22
 院派=仏師12人、像数104
 円派=仏師4人、増数43 

鎌倉後期 1(地方や奈良へ)
1268 院快 釈迦・阿弥陀(山口 二尊院
1269 院快・院静・院禅 阿弥陀如来(滋賀 来迎寺)
1270 院豪・院快・院静・院禅 阿弥陀如来(島根 清泰寺)など
1277 院恵・院道 聖徳太子(奈良 達磨寺)
1289 院湛 奈良秋篠寺の仏像4躯(伎芸天など、頭部は乾漆のもの)

鎌倉後期 2(真言律宗とのかかわり)(東国へ)
1308 院保・院吉・院興 釈迦如来立像(横浜・称名寺)※金沢文庫で時々展示される清涼寺式のもの
1319 院えん(「えん」はさんずい+宛)・院吉・院教など 十一面観音(京都の法金剛院)

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法金剛院の十一面観音坐像(写真はお寺のサイトより)
1332 院誉 十一面観音(慶珊寺 神奈川)

5 南北朝時代の院派

足利将軍家の仏師、院吉・院広

1352 院吉・院広・院遵 釈迦如来および両脇侍像(浜松 方広寺

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方広寺の釈迦三尊(写真は方広寺のサイトより)

6 その他の院派

別系統の「覚」字をもつ院派の仏師
1451 覚伝 愛染明王像(京都・西正寺)
1543 覚継・覚吉 足利義殖像(冬持院昭堂)など

江戸時代の「院吉末裔」院達
1653~1673の事績の知られる藤原種次(=吉野右京)と1677~1696の事績の知られる院達は同一人物らしい。湛海(1629~1716)の助作もつとめる。
1689年の小野篁・冥官・獄卒像(京都・六道珍皇寺)が代表作。篁像が220センチ、冥官・獄卒像は140センチ。

以上

【多摩仏】深大寺の毘沙門天立像と元三大師坐像

拝観日=2019年1月19日
お寺=深大寺(東京都調布市
仏像=毘沙門天立像(平安、市指定文化財
その他=元三大師坐像のポスター

平安の毘沙門天立像

 調布の深大寺で、1月に公開される毘沙門天立像にお会いしてきました。
 深大寺といえば、国宝の白鳳仏、釈迦如来椅像が有名ですが、他にも調布市指定文化財の仏像が3躯おられます。本堂におられる本尊の宝冠阿弥陀如来坐像、元三大師坐像(秘仏)、そして、毘沙門天立像です。

 毘沙門天さまは、1月の間に限り、釈迦堂で、国宝の釈迦如来さまと並んで公開されています。調布の七福神としてのご開帳のようです。ガラス越しでしたが、よく拝めました。

 毘沙門天さまは40センチ強の小像ながら、大変素晴らしいお像でした!
 ずんぐりむっくりでありながら、動きのある立ち姿。お顔の表情も、くしゃっとして独特です。目つきも最高。深く窪んだ目から、遠くを睨みつけていました。
 堂内の説明に平安後期と書いてありましたが、胴回りの厚みからもう少し古風な感じもします。

 実は、この毘沙門天さまにお会いするのは初めてではありません。ずいぶん前に、釈迦堂の内部に入れる機会があり、その時にお会いしてるはずなのです。しかし、その際には、この毘沙門天さまの素晴らしさが分からなかったのだと思います。

 今回改めてお姿を拝し、白鳳仏とはまた別の素晴らしさがあると感じました!

 毘沙門天さまの画像を探したところ、こちらが見つかりました。調布市郷土博物館による資料です。少し見づらいですが、現地では撮影禁止でしたので、この写真でどうかご勘弁ください...(2019.01.21追記)
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 この資料にあるように、2011年に東京藝術大学大学院保存修復研究室(藪内佐斗司教授)で修復されたそうです。資料の左の写真が修復前、右手が修復後です。後世の修理で損なわれていた尊容の回復を目的に修復したと記載されていますが、見比べると確かに、勢いのあるお姿となったと思います! そして、私が以前お会いしたのは修復前だったこともわかりました。(2019.01.21追記)

 修復された貴重な平安仏です。1月以外にもご開帳の機会があればと思いました。



元三大師坐像

 今回、深大寺をお参りして、とても驚いたことがありました。それは、境内に貼られていたこのポスターです!
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 えええっー、と声を上げそうになりました。厳重なる秘仏であり、写真でさえ出回っていないと思っていたからです。
 この元三大師坐像は、比叡山から移された自刻像と伝わり、像高はなんと2メートル。上人の坐像としては異例な大きさです。
 元三大師さまの50年ごとのご遠忌に開帳されており、25年の半開帳が2009年に行われました。その時のポスターがこちらです。
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 2009年のポスターでは、お顔が完全に隠されています。これでは表情が分かりません。開帳期間も一週間のみ。つまりは、厳しいご開帳です。私は多忙にかまけて行けなかったのですが、後日、お参りした人の話を聞くと、皆さん口をそろえて「とんでもないお像だった。大きくてびっくりした」とおっしゃいました。
 こういう経緯から、よっぽど霊力の強い秘仏なのだろうと思っていた訳です。それゆえに、お顔やお姿をたやすく人目にさらさないというのが深大寺さまの方針なのだと思っていました。
 ですので、今回のポスターには驚きました。斜め後方からのショットながら、元三大師さまのお顔の表情が伺える写真が、境内に堂々と掲示されていたのですから! この方針変更は何なのでしょう。深大寺さまに何があったのでしょう。誰がいつ写真を撮られたのでしょう。
 そして、次のご開帳はいつなのでしょう!? 25年ごとだとすると、次は2034年…。かなり先です。その前に特別開帳があることを願うばかりです。

2018年11月の仏像拝観リスト

 2018年11月はまず、3日の文化の日に、東京都品川区と神奈川県秦野市のお寺へ。品川の海蔵寺の菩薩形坐像の特別公開は、都内で平安仏を拝める貴重な機会だった。秦野の東光寺の薬師如来さまは12年に一度、寅年のみのご開帳仏だが、山門と仁王さんの修復が終わったこともあり、秦野市文化財公開期間中に特別に公開された。
 16日は奈良の當麻寺で導き観音さまの法要に参加した後、岡山へ。17日朝から仏像リンクさんの岡山オフ会に参加し、瀬戸内市の諸仏をめぐる。
 大賀島寺のご開帳がメインだが、二十五菩薩練供養のファンとしては、弘法寺の再訪に興奮しすぎた。日本三大練供養のうちの2か寺、當麻寺弘法寺に二日続けて参拝できたことが嬉しすぎた。練供養が素晴らしいお寺は、練供養が行われない時にお参りしても素晴らしいのであった! 弘法寺阿弥陀さまの写真は、オフ会に参加されたゆう1さん撮影。被仏さまは薄暗い堂内で、踟供養のときとは違う表情をされていた。
 また、瀬戸内市宝光寺の薬師さまはまったくノーマークだったのだが、その静謐な不思議さにかなり惹かれた。
 23日には伊豆半島の南部へ。9月に行く予定だったのが台風で延期となり、ようやく行くことができた。手配してくれた仏友さんに感謝することしきりである。ありがとうございました。

2018年
11月3日
東京都品川区
海蔵寺・菩薩形坐像の特別公開

東京都品川区
行慶寺・阿弥陀如来坐像(17世紀、区文化財
浄土宗。隣地に八幡神社

神奈川県秦野市
東光寺
薬師如来立像(建長8年、1256年の銘あり。一日造立仏と考えられる。128センチ 市指定文化財
聖観音立像(平安。85.5センチ 市指定文化財

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秦野市文化財特別公開。山門と仁王像も修復されました。薬師様は12年に一度の秘仏です

11月16日
奈良県
奈良市・大安寺
十一面観音さまご開帳(初)と収蔵庫の仏像群(2回目)

奈良市興福寺中金堂(落慶おめでとうございます)
※おちゃのこ干しいもかき氷

葛城市・當麻寺
中之坊の導き観音さま(十一面観音護摩祈祷のため参拝)
曼荼羅堂のご本尊當麻曼荼羅、織姫観音、元被仏だった阿弥陀如来立像
金堂、講堂

11月17日
岡山県
仏像リンク岡山仏オフ会1日目
岡山県瀬戸内市

〇真光院西寺
 胎蔵界大日如来坐像(市指定、鎌倉時代
 千手観音立像(市指定、鎌倉時代)(鎌倉)

弘法寺・遍明院
 五智如来(平安12世紀、重要文化財
 被仏の阿弥陀如来立像(鎌倉時代、県指定)

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中が空洞になっており、練供養のとき、この中に地元の男性が入ります。その動きは実にチャーミング。練供養は毎年5月5日です!(写真はゆう1さん)

弘法寺常行堂
 阿弥陀如来坐像(市指定、282センチ、八角裳懸坐)

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ついに会えました! 写真はゆう1さんの力作です

弘法寺・東寿院
 阿弥陀如来立像(快慶、重文)

※2015年に練供養(弘法寺では「踟供養」と表記)を訪れたときのブログはこちらから
岡山県瀬戸内市 弘法寺の踟供養(阿弥陀来迎会) : ぶつぞうな日々 PARTII


宝光寺
 薬師如来坐像(市指定、11世紀?)

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平安中期の感じが漂っていて、ものすごく惹かれました(筆者撮影)

〇餘慶寺薬師堂
 薬師如来坐像
 聖観音立像(平安前期、重文)
 十一面観音立像(県指定、平安後期12世紀)

〇大賀島寺
千手観音立像(平安前期、重文、122.7センチ)

11月18日
東京
〇勝林寺落慶法要、ご本尊開眼法要
〇池袋大仏

11月23日
静岡県

河津町・善光庵(十一面観音立像)
【静岡】河津町・善光庵の十一面観音立像 - ぶつぞうな日々 part III

河津町・伊豆ならんだの里 平安の仏像展示館

下田市長谷寺阿弥陀如来坐像)

南伊豆町・正善寺(大日如来坐像)

下田市・稲田寺(阿弥陀三尊)

下田市・天神神社(大日如来坐像 美しすぎた)
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下田市上原美術館「伊豆の平安仏~半島に花ひらいた仏教文化~」
学芸員の田島さんにご説明いただく。裏話など伺え、勉強になった。南禅寺から流出した仏像の展覧会をお願いしたいと思った)

伊豆市修禅寺(日没後に到着。山門ライトアップで、藤原時代の仁王さんにお会いできた!)
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11月27日
東京・九品仏浄真寺

2018年10月の仏像拝観リスト

 2018年10月はまずは山梨県大善寺のご開帳へ。この薬師三尊が大好きです。13日には仏像リンクのブラ参りで埼玉県川口市安楽寺へ。近くに住んでいたことがあるのですが、このお寺のことはまったく知りませんでした。20日龍見寺はお寺様から法要があると伺い、お参りしました。何度でもお参りしても、大好きな大日如来さまです。
 27~28日には滋賀県米原市で西円寺のご開帳と大津の展覧会を第一目的に計画しました。京都の浄土宗寺院公開のあと、のんびりと滋賀県内の仏像をめぐる予定だったのですが、26日の夜行バスに乗った瞬間に「奈良県宇陀市で菩薩さまとお散歩」という記事がTwitterのTLに流れてきてしまいまして、急きょ、滋賀と宇陀を往復することになりました。だって、菩薩さまとお散歩したいではないですか…。
 平成生まれのこの練供養は、手作りのお面や装束を使った低予算のものながら、真面目で感動的な練供養でした。拝観するご縁がいただけたこと大変ありがたく存じます。そして、現地で確認したところ、正式名称は「菩薩さまとお散歩」ではなく、「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」でした。この文字の幟を見たとき、胸がじーんとしました。

2018年
10月7日
山梨県
大善寺 薬師三尊ご開帳
放光寺
恵林寺
【山梨】大善寺ぶどう薬師さまのご開帳(2018年) - ぶつぞうな日々 part III


10月8日(体育の日)
大報恩寺展@東京国立博物館(前半。一回目)
琵琶湖長浜観音ハウス(宝厳寺の十一面観音)

10月13日
埼玉県川口市
安楽寺 大日如来坐像(平安後期)

10月18日
秘密

10月20日
八王子・龍見寺 大日如来坐像
日吉八王子神

10月27日
京都市
三十三間堂(国宝指定を機に二十八部衆のお並びが変更に。私の推し、大弁功徳天さまが湛慶の中尊の横に...!)

京都浄土宗寺院特別大公開
蓮光寺(伝快慶の負別如来さま、二度目の拝観。ご住職のお話いつも楽しい)
○上徳寺(市指定の阿弥陀如来立像。唇に水晶を貼るなど平安末期から鎌倉時代の生身信仰に基づく表現や、中国・宋代の美術の影響がみられる。滋賀の鞭崎八幡宮から移されたと伝わる。この阿弥陀様にお会いしたかった!!!)
○徳林院(阿弥陀如来立像)
本覚寺阿弥陀如来立像)
○道地院(阿弥陀如来立像)
極楽寺阿弥陀如来。住職の法話
○新善光寺善光寺阿弥陀三尊)

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上徳寺の阿弥陀如来立像。遠目ではあったがやっとお会いできた。生身信仰の阿弥陀さま

比叡山国宝館
(初公開の仏像が多く見ごたえがあったが、図録がないのが残念。手書きのメモをいつかまとめなければ)
盛安寺
大津歴史博物館「神仏のかたち~湖都大津の仏像と神像~」展
比叡山国宝館で前にお会いした四天王像が国宝館におられないなと思っていたら、なんとこちらにお出ましだった。初見の仏像のなかでは、岩間山正法寺の十一面観音立像、地蔵菩薩立像、聖衆来迎寺の吉祥天立像などが印象に残った。法楽寺の薬師如来は寅年開帳仏。特筆すべきは図録である。写真の中に文字を入れて、仏像の細かな表現の違いを説明。持ち歩けるサイズで、値段も控えめ。こういう図録がほしかった! この図録で勉強します!)

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盛安寺の観音さま

10月28日
奈良県宇陀市・慶恩寺「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」 二十五菩薩の練供養を拝観 

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和やかな練供養でした(慶恩寺にて)
滋賀県米原市・西圓寺ご本尊十一面観音ご開帳
【滋賀】米原市・西圓寺(西円寺)の秘仏聖観音さまご開帳 - ぶつぞうな日々 part III

10月31日
五島美術館「東西数寄者の審美眼 ―阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション―」
運慶っぽい愛染明王(常設。鎌倉の鶴岡八幡宮伝来)

2018年9月の仏像拝観リスト

 2018年9月は遠出の予定はなかったのだが、2日に愛知県愛西市で二十菩薩の練供養があると聞き、出かけることにした。
 午後からの練供養の前に、かねてより懸案だった稲沢市の仏像も少しだけめぐることができ、感動に満ちた一日となった。安楽寺阿弥陀・釈迦の二尊並びはまるで二河白道のようで、感動することしきり。ご住職さまありがとうございました。稲沢方面は仏像の宝庫のようなので、また訪ねたい。
 そして、愛西市の二十五菩薩練供養は幸せ満載の練供養だった。ブログにまとめたので、お時間があればぜひ下記リンクよりお読みください。
 そして、そして、9月と言えば、多摩美の仏像展! 兵庫県加東市から貴重な仏像などが東京の多摩までおいでくださったことがありがたい。朝光寺の東本尊さまにお会いでき、その御前で至福のときを過ごすことができた。鬼まつりの映像は何ループも見返し、文字データはすべてメモに取った。現地の鬼まつりにいつか行ける日が来るだろうか(弘法寺の練供養と同じ日...)。

2018年
9月1日
多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」
朝光寺の東本尊千手観音立像に心打たれる。法道仙人の笑顔。鬼まつりの映像展示とお面

9月2日
愛知県稲沢市
安楽寺船橋町)
阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、毘沙門天立像(いずれも藤原)
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(↑写真は椙山女子大制作の動画より)

○矢合観音

尾張国分寺
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(↑筆者撮影)

一宮市博物館(鎌倉の阿弥陀三尊など。半丈六の阿弥陀三尊がガラス越しながら、間近で拝める!)

愛知県愛西市
○勝軍延命地蔵菩薩さまご開帳
○二十五菩薩練供養
butsuzodiary.hateblo.jp



9月16日
○八王子市 大塚御手観音(清鏡寺)
【多摩の仏像】大塚の御手観音と都文化財の十一面観音(八王子市・清鏡寺) - ぶつぞうな日々 part III

多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」二度目
※講演会聴講
加東市の仏像と文化財保護の試み」
 講師 櫻庭 裕介 氏(仏像修復家)
修復した阿弥陀如来が焼失したという話に衝撃を隠せず。乾漆造りのお面を触らせていただく
 その後、朝光寺の鬼まつりの映像に見入る。朝光寺はいつかお参りしたい

9月23日
八王子市
○長房町・龍泉寺 ぽっくり観音ご開帳と伝・康慶の阿弥陀さま
伝康慶という事実と地域の信仰のはざまで@龍泉寺(八王子市長房町): ぶつぞうな日々 PARTII

○日吉八王子神社の木造地蔵菩薩立像
○大横町・極楽寺 阿弥陀如来立像(生身信仰の阿弥陀さま!)

9月24日
○「醍醐寺」展(サントリー美術館
平安の閻魔天像に惹かれる
○「仏像の姿」展(三井記念美術館
岐阜県関市・臨川寺の菩薩像、大阪・四天王寺阿弥陀三尊など。音声ガイドが秀逸

【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~

臼杵石仏
訪問日=2018年8月8日

 30年ぶりに大分県臼杵の磨崖仏を訪ねました。30年前はまだ、大日如来さまの頭部が地面に置かれていました。あの当時はそういうものだと思っていたのに、修理後のお姿を拝すると、やはりこれこそが本来のお姿なのだと思えるから不思議です。

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臼杵を代表する大日如来坐像。頭部が本来の位置に戻され、麗しいお姿に。
 覆屋もでき、保存のための整備がなされたこともわかりました。
 石に彫った像でありながら、諸仏はみな穏やか。覆屋の下、静かに諸仏と向き合う時間がもてたこと、大変ありがたいです。
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覆屋ができ、保存と拝観の両観点から理想的な環境になったのでは。
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修復前の写真が現地に展示されていた。頭部は下に置かれている

 変わったのは磨崖仏の環境だけではないようです。私もだいぶ変わりました。30年前と違う感動がありました。
 平安後期から鎌倉時代にかけて造像された石仏群。どれも限りなく優しいと感じました。その優しい佇まいにただただ癒されました。30年の疲労がたまっていたためでしょうか、本当に本当に静かに深く癒されました。30年前の若い身では、ここまでの癒しは得られなかったでしょう。
 これだから仏像めぐりがやめられません。

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臼杵の最初の石仏はこのようなラインアップ。好きでたまらない漢字が並びます

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阿弥陀如来さまが並びます。30年前には素通りしましたが、今は無理です…

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こういうラインアップ、たまりません

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この大きさと優しさ。また現地で拝める日が来るのでしょうか...

2018年8月の仏像拝観リスト

 2018年8月は夏休みに大分に行ってきました。2018年は六郷満山の開山1200年の特別開帳などの行事が行われると聞き、出かけたのですが、私が訪れた8月はそうした行事はお休み期間のようでした。それでも事前にお電話でお願いしたお寺から拝観を断られることは一度もなく、平安仏を中心にお参りすることができました。長安寺の太郎天三尊は独特で、清らかなお姿が胸を打ちました。無動寺と真木大堂の仏像群は圧巻で言葉になりません。富貴寺は有名な国宝の阿弥陀堂だけでなく、本堂の阿弥陀三尊と菩薩面に感動しました。
 宇佐市内にも古仏が残っています。院内の龍岩寺は山の中の岩屋に清らかな木彫仏が坐しており、特に感動しました。大楽寺の弥勒三尊も心に残っています。天福寺奥院の塑像は県立博物館でお会いできました。
 また、臼杵は30年ぶりの再訪でした。30年前には、臼杵を代表する大日如来さまはまだ修復されておらず、その頭部が地面に置かれていました。昔は臼杵といえば、この仏頭というイメージでしたが、修復後の大日如来さまを見ると、とてもしっくりきました。また、昔は普通の山道に磨崖仏が点在するという印象でしたが、今では覆屋が設けられ、磨崖仏の維持管理のための整備がなされていました。生まれ変わった臼杵磨崖仏を再訪でき、嬉しく存じます。

2018年
8月2日
半蔵門ミュージアム
会津美里町・法用寺の梵王像(三十三応現身)
【展覧会】ついに半蔵門ミュージアムに行ってきました! - ぶつぞうな日々 part III


8月5日
○奈良・興福寺東金堂(中金堂落慶まであと2か月)
大阪市和光寺 特別公開
・ご本尊 善光寺阿弥陀三尊
 中尊は鎌倉時代、脇侍は江戸時代、市指定文化財
・木造釈迦涅槃像 江戸時代、市指定文化財
地蔵菩薩立像 10世紀 一木造り 市指定文化財 通称あごなし地蔵
【大阪】特別公開・和光寺の仏像群~あみだが行けと言いました~ - ぶつぞうな日々 part III
奈良国立博物館「糸のみほとけ」展

8月6日
宇佐市院内 龍岩寺(曹洞宗
 奥院=岩山の崖に建つ岩屋に薬師、阿弥陀、不動の三尊(クスノキ一木、12世紀前半、重文)
 本堂=十二神将(県指定文化財
※石橋(鳥居橋、富士見橋、御沓橋)
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8月7日
大分県立歴史博物館
・天福寺奥院の
 塑像三尊(奈良時代、8世紀後半、重文)
 木彫像十数体(平安時代

宇佐市・大楽寺(高野山真言宗
弥勒仏(137.9センチ、左手が降魔印)および両脇侍立像
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・四天王立像
いずれも平安後期、桧一木で、重文
しびれました!

宇佐市極楽寺(浄土宗)
・本尊阿弥陀如来立像(元 宇佐宮第弐堂)(文化財は未指定?)
弥勒仏坐像(元 宇佐宮弥勒寺講堂本尊、丈六、室町)(県指定文化財
・髪繍浄土曼荼羅(延宝年間=1673~1681年)(宇佐市指定文化財)すべて髪で刺繍したという當麻曼荼羅に大興奮

宇佐市大善寺曹洞宗
元 宇佐宮弥勒寺金堂仏像群
薬師如来坐像=宇佐宮弥勒寺金堂本尊(1311年、重文)
・日光月光菩薩立像(県指定文化財
愛染明王坐像(県指定文化財
不動明王坐像(県指定文化財


8月8日
六郷満山
豊後高田市・都甲八幡社 仁王像(電話してるみたいな仁王さん)

豊後高田市長安寺(天台宗
 ・太郎天像(榧の一木造り、1.6m)(1130年)と二童子立像(重文)=清らかな三尊でした
 ・銅板経(重文)
 ・鬼面
 長安寺は屋山の中腹にある。本堂の千手観音立像は金ぴか。観音様の左側に古びた阿弥陀如来坐像。像高1mほどで、お顔の感じから江戸時代か。住職が天念寺も兼任。

豊後高田市・天念寺
 天念寺は長安寺の住職が兼任しており、ご朱印長安寺でいただける。お坊様はおられないが、仏像群は拝観可能。

天念寺歴史資料館「鬼会の里」
・本尊阿弥陀如来立像(12世紀前半)(198センチ、榧の一木造り、内ぐり)(重文)
勢至菩薩立像(県指定)
・千手観音立像(県指定)
※鬼会の映像が迫力あり、鬼会の様子が想像できた

天念寺講堂

・川中不動
 
豊後高田市・無道寺
薬師如来坐像(平安後期、11世紀後半、県指定文化財)(155 cm 樟一木造り 彫眼)
・日光月光菩薩立像(市指定)
十二神将鎌倉時代、県指定)
不動明王坐像(平安後期、県指定)(115.8cm 桧一木造り 内ぐり)
胎蔵界大日如来坐像(平安後期、県指定)
弥勒仏坐像(平安後期、県文化財指定では薬師如来坐像
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臼杵市臼杵石仏
 頭部が下に落ちていた大日如来の修復後、初めてお参り。覆屋など全体に整備されて、拝観しやすくなっていた。平安後期の優しい磨崖仏の数々にひたすら癒された。
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【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~ - ぶつぞうな日々 part III


臼杵市・満月寺(臼杵石仏のすぐ横。石仏の仁王さん)

臼杵市・龍源寺(三重塔が県指定文化財

8月9日
宇佐神宮
 本宮→外宮→宝物館(木造仁王像、孔雀文磬)

○富貴寺
国宝阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像(重文)
本堂
阿弥陀坐像と両脇侍立像(県指定)
・菩薩面

○真木大堂
不動明王立像と両脇侍立像
阿弥陀如来坐像
大威徳明王
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○元宮磨崖仏(熊野磨崖佛の附として重文に指定)

○熊野磨崖仏
不動明王
大日如来
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○両子寺
護摩堂 不動明王
・講堂 阿弥陀三尊
・奥院 千手観音

8月11日
金沢文庫
 勝林寺 釈迦如来坐像
 安達一族展

8月26日
東京国立博物館
○11室
地蔵菩薩立像 鎌倉 善円の作風に近い
帝釈天立像 10世紀 一木造り 量感あり
・十一面観音菩薩立像 9世紀 体幹部が一木造り 両腕は後補 面部は彫り直し 後補の頭飾や天衣を取り外し面目を一新 
不空羂索観音菩薩立像 法隆寺 鎌倉 13世紀 善派系仏師による壇像風の作例
・菩薩立像 13世紀 肥後定慶の作例に近い
・十一面観音菩薩立像 9世紀 秋篠寺
聖観音菩薩立像 9-10世紀 大阪観心寺 密教の仏に多い円筒形の宝冠を付ける
毘沙門天立像 9世紀 和歌山・道成寺
・十一面観音菩薩立像 10 -11 世紀 奈良薬師寺 ヒノキの一木造り 見事としか言えない
横から観たときの動きある感じがたまらない(サモトラケのニケのよう)。
・十一面観音菩薩立像 9世紀 奈良小嶋寺 やばいとしか言えない
不動明王立像 12世紀
阿弥陀如来坐像 12世紀前半 奈良・光明寺 見事な定朝様
・釈迦涅槃像 13世紀 奈良・岡寺
○トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館
 岸田劉生の麗子
○縄文展
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注 写真について
大楽寺、真木大堂、薬師寺十一面観音(トーハク)の写真はネットで拾ったものです。それ以外は筆者撮影です。