ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

2018年10月の仏像拝観リスト

 2018年10月はまずは山梨県大善寺のご開帳へ。この薬師三尊が大好きです。13日には仏像リンクのブラ参りで埼玉県川口市安楽寺へ。近くに住んでいたことがあるのですが、このお寺のことはまったく知りませんでした。20日龍見寺はお寺様から法要があると伺い、お参りしました。何度でもお参りしても、大好きな大日如来さまです。
 27~28日には滋賀県米原市で西円寺のご開帳と大津の展覧会を第一目的に計画しました。京都の浄土宗寺院公開のあと、のんびりと滋賀県内の仏像をめぐる予定だったのですが、26日の夜行バスに乗った瞬間に「奈良県宇陀市で菩薩さまとお散歩」という記事がTwitterのTLに流れてきてしまいまして、急きょ、滋賀と宇陀を往復することになりました。だって、菩薩さまとお散歩したいではないですか…。
 平成生まれのこの練供養は、手作りのお面や装束を使った低予算のものながら、真面目で感動的な練供養でした。拝観するご縁がいただけたこと大変ありがたく存じます。そして、現地で確認したところ、正式名称は「菩薩さまとお散歩」ではなく、「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」でした。この文字の幟を見たとき、胸がじーんとしました。

2018年
10月7日
山梨県
大善寺 薬師三尊ご開帳
放光寺
恵林寺
【山梨】大善寺ぶどう薬師さまのご開帳(2018年) - ぶつぞうな日々 part III


10月8日(体育の日)
大報恩寺展@東京国立博物館(前半。一回目)
琵琶湖長浜観音ハウス(宝厳寺の十一面観音)

10月13日
埼玉県川口市
安楽寺 大日如来坐像(平安後期)

10月18日
秘密

10月20日
八王子・龍見寺 大日如来坐像
日吉八王子神

10月27日
京都市
三十三間堂(国宝指定を機に二十八部衆のお並びが変更に。私の推し、大弁功徳天さまが湛慶の中尊の横に...!)

京都浄土宗寺院特別大公開
蓮光寺(伝快慶の負別如来さま、二度目の拝観。ご住職のお話いつも楽しい)
○上徳寺(市指定の阿弥陀如来立像。唇に水晶を貼るなど平安末期から鎌倉時代の生身信仰に基づく表現や、中国・宋代の美術の影響がみられる。滋賀の鞭崎八幡宮から移されたと伝わる。この阿弥陀様にお会いしたかった!!!)
○徳林院(阿弥陀如来立像)
本覚寺阿弥陀如来立像)
○道地院(阿弥陀如来立像)
極楽寺阿弥陀如来。住職の法話
○新善光寺善光寺阿弥陀三尊)

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上徳寺の阿弥陀如来立像。遠目ではあったがやっとお会いできた。生身信仰の阿弥陀さま

比叡山国宝館
(初公開の仏像が多く見ごたえがあったが、図録がないのが残念。手書きのメモをいつかまとめなければ)
盛安寺
大津歴史博物館「神仏のかたち~湖都大津の仏像と神像~」展
比叡山国宝館で前にお会いした四天王像が国宝館におられないなと思っていたら、なんとこちらにお出ましだった。初見の仏像のなかでは、岩間山正法寺の十一面観音立像、地蔵菩薩立像、聖衆来迎寺の吉祥天立像などが印象に残った。法楽寺の薬師如来は寅年開帳仏。特筆すべきは図録である。写真の中に文字を入れて、仏像の細かな表現の違いを説明。持ち歩けるサイズで、値段も控えめ。こういう図録がほしかった! この図録で勉強します!)

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盛安寺の観音さま

10月28日
奈良県宇陀市・慶恩寺「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」 二十五菩薩の練供養を拝観 

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和やかな練供養でした(慶恩寺にて)
滋賀県米原市・西圓寺ご本尊十一面観音ご開帳
【滋賀】米原市・西圓寺(西円寺)の秘仏聖観音さまご開帳 - ぶつぞうな日々 part III

10月31日
五島美術館「東西数寄者の審美眼 ―阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション―」
運慶っぽい愛染明王(常設。鎌倉の鶴岡八幡宮伝来)

2018年9月の仏像拝観リスト

 2018年9月は遠出の予定はなかったのだが、2日に愛知県愛西市で二十菩薩の練供養があると聞き、出かけることにした。
 午後からの練供養の前に、かねてより懸案だった稲沢市の仏像も少しだけめぐることができ、感動に満ちた一日となった。安楽寺阿弥陀・釈迦の二尊並びはまるで二河白道のようで、感動することしきり。ご住職さまありがとうございました。稲沢方面は仏像の宝庫のようなので、また訪ねたい。
 そして、愛西市の二十五菩薩練供養は幸せ満載の練供養だった。ブログにまとめたので、お時間があればぜひ下記リンクよりお読みください。
 そして、そして、9月と言えば、多摩美の仏像展! 兵庫県加東市から貴重な仏像などが東京の多摩までおいでくださったことがありがたい。朝光寺の東本尊さまにお会いでき、その御前で至福のときを過ごすことができた。鬼まつりの映像は何ループも見返し、文字データはすべてメモに取った。現地の鬼まつりにいつか行ける日が来るだろうか(弘法寺の練供養と同じ日...)。

2018年
9月1日
多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」
朝光寺の東本尊千手観音立像に心打たれる。法道仙人の笑顔。鬼まつりの映像展示とお面

9月2日
愛知県稲沢市
安楽寺船橋町)
阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、毘沙門天立像(いずれも藤原)
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(↑写真は椙山女子大制作の動画より)

○矢合観音

尾張国分寺
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(↑筆者撮影)

一宮市博物館(鎌倉の阿弥陀三尊など。半丈六の阿弥陀三尊がガラス越しながら、間近で拝める!)

愛知県愛西市
○勝軍延命地蔵菩薩さまご開帳
○二十五菩薩練供養
butsuzodiary.hateblo.jp



9月16日
○八王子市 大塚御手観音(清鏡寺)
【多摩の仏像】大塚の御手観音と都文化財の十一面観音(八王子市・清鏡寺) - ぶつぞうな日々 part III

多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」二度目
※講演会聴講
加東市の仏像と文化財保護の試み」
 講師 櫻庭 裕介 氏(仏像修復家)
修復した阿弥陀如来が焼失したという話に衝撃を隠せず。乾漆造りのお面を触らせていただく
 その後、朝光寺の鬼まつりの映像に見入る。朝光寺はいつかお参りしたい

9月23日
八王子市
○長房町・龍泉寺 ぽっくり観音ご開帳と伝・康慶の阿弥陀さま
伝康慶という事実と地域の信仰のはざまで@龍泉寺(八王子市長房町): ぶつぞうな日々 PARTII

○日吉八王子神社の木造地蔵菩薩立像
○大横町・極楽寺 阿弥陀如来立像(生身信仰の阿弥陀さま!)

9月24日
○「醍醐寺」展(サントリー美術館
平安の閻魔天像に惹かれる
○「仏像の姿」展(三井記念美術館
岐阜県関市・臨川寺の菩薩像、大阪・四天王寺阿弥陀三尊など。音声ガイドが秀逸

【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~

臼杵石仏
訪問日=2018年8月8日

 30年ぶりに大分県臼杵の磨崖仏を訪ねました。30年前はまだ、大日如来さまの頭部が地面に置かれていました。あの当時はそういうものだと思っていたのに、修理後のお姿を拝すると、やはりこれこそが本来のお姿なのだと思えるから不思議です。

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臼杵を代表する大日如来坐像。頭部が本来の位置に戻され、麗しいお姿に。
 覆屋もでき、保存のための整備がなされたこともわかりました。
 石に彫った像でありながら、諸仏はみな穏やか。覆屋の下、静かに諸仏と向き合う時間がもてたこと、大変ありがたいです。
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覆屋ができ、保存と拝観の両観点から理想的な環境になったのでは。
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修復前の写真が現地に展示されていた。頭部は下に置かれている

 変わったのは磨崖仏の環境だけではないようです。私もだいぶ変わりました。30年前と違う感動がありました。
 平安後期から鎌倉時代にかけて造像された石仏群。どれも限りなく優しいと感じました。その優しい佇まいにただただ癒されました。30年の疲労がたまっていたためでしょうか、本当に本当に静かに深く癒されました。30年前の若い身では、ここまでの癒しは得られなかったでしょう。
 これだから仏像めぐりがやめられません。

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臼杵の最初の石仏はこのようなラインアップ。好きでたまらない漢字が並びます

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阿弥陀如来さまが並びます。30年前には素通りしましたが、今は無理です…

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こういうラインアップ、たまりません

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この大きさと優しさ。また現地で拝める日が来るのでしょうか...

2018年8月の仏像拝観リスト

 2018年8月は夏休みに大分に行ってきました。2018年は六郷満山の開山1200年の特別開帳などの行事が行われると聞き、出かけたのですが、私が訪れた8月はそうした行事はお休み期間のようでした。それでも事前にお電話でお願いしたお寺から拝観を断られることは一度もなく、平安仏を中心にお参りすることができました。長安寺の太郎天三尊は独特で、清らかなお姿が胸を打ちました。無動寺と真木大堂の仏像群は圧巻で言葉になりません。富貴寺は有名な国宝の阿弥陀堂だけでなく、本堂の阿弥陀三尊と菩薩面に感動しました。
 宇佐市内にも古仏が残っています。院内の龍岩寺は山の中の岩屋に清らかな木彫仏が坐しており、特に感動しました。大楽寺の弥勒三尊も心に残っています。天福寺奥院の塑像は県立博物館でお会いできました。
 また、臼杵は30年ぶりの再訪でした。30年前には、臼杵を代表する大日如来さまはまだ修復されておらず、その頭部が地面に置かれていました。昔は臼杵といえば、この仏頭というイメージでしたが、修復後の大日如来さまを見ると、とてもしっくりきました。また、昔は普通の山道に磨崖仏が点在するという印象でしたが、今では覆屋が設けられ、磨崖仏の維持管理のための整備がなされていました。生まれ変わった臼杵磨崖仏を再訪でき、嬉しく存じます。

2018年
8月2日
半蔵門ミュージアム
会津美里町・法用寺の梵王像(三十三応現身)
【展覧会】ついに半蔵門ミュージアムに行ってきました! - ぶつぞうな日々 part III


8月5日
○奈良・興福寺東金堂(中金堂落慶まであと2か月)
大阪市和光寺 特別公開
・ご本尊 善光寺阿弥陀三尊
 中尊は鎌倉時代、脇侍は江戸時代、市指定文化財
・木造釈迦涅槃像 江戸時代、市指定文化財
地蔵菩薩立像 10世紀 一木造り 市指定文化財 通称あごなし地蔵
【大阪】特別公開・和光寺の仏像群~あみだが行けと言いました~ - ぶつぞうな日々 part III
奈良国立博物館「糸のみほとけ」展

8月6日
宇佐市院内 龍岩寺(曹洞宗
 奥院=岩山の崖に建つ岩屋に薬師、阿弥陀、不動の三尊(クスノキ一木、12世紀前半、重文)
 本堂=十二神将(県指定文化財
※石橋(鳥居橋、富士見橋、御沓橋)
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8月7日
大分県立歴史博物館
・天福寺奥院の
 塑像三尊(奈良時代、8世紀後半、重文)
 木彫像十数体(平安時代

宇佐市・大楽寺(高野山真言宗
弥勒仏(137.9センチ、左手が降魔印)および両脇侍立像
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・四天王立像
いずれも平安後期、桧一木で、重文
しびれました!

宇佐市極楽寺(浄土宗)
・本尊阿弥陀如来立像(元 宇佐宮第弐堂)(文化財は未指定?)
弥勒仏坐像(元 宇佐宮弥勒寺講堂本尊、丈六、室町)(県指定文化財
・髪繍浄土曼荼羅(延宝年間=1673~1681年)(宇佐市指定文化財)すべて髪で刺繍したという當麻曼荼羅に大興奮

宇佐市大善寺曹洞宗
元 宇佐宮弥勒寺金堂仏像群
薬師如来坐像=宇佐宮弥勒寺金堂本尊(1311年、重文)
・日光月光菩薩立像(県指定文化財
愛染明王坐像(県指定文化財
不動明王坐像(県指定文化財


8月8日
六郷満山
豊後高田市・都甲八幡社 仁王像(電話してるみたいな仁王さん)

豊後高田市長安寺(天台宗
 ・太郎天像(榧の一木造り、1.6m)(1130年)と二童子立像(重文)=清らかな三尊でした
 ・銅板経(重文)
 ・鬼面
 長安寺は屋山の中腹にある。本堂の千手観音立像は金ぴか。観音様の左側に古びた阿弥陀如来坐像。像高1mほどで、お顔の感じから江戸時代か。住職が天念寺も兼任。

豊後高田市・天念寺
 天念寺は長安寺の住職が兼任しており、ご朱印長安寺でいただける。お坊様はおられないが、仏像群は拝観可能。

天念寺歴史資料館「鬼会の里」
・本尊阿弥陀如来立像(12世紀前半)(198センチ、榧の一木造り、内ぐり)(重文)
勢至菩薩立像(県指定)
・千手観音立像(県指定)
※鬼会の映像が迫力あり、鬼会の様子が想像できた

天念寺講堂

・川中不動
 
豊後高田市・無道寺
薬師如来坐像(平安後期、11世紀後半、県指定文化財)(155 cm 樟一木造り 彫眼)
・日光月光菩薩立像(市指定)
十二神将鎌倉時代、県指定)
不動明王坐像(平安後期、県指定)(115.8cm 桧一木造り 内ぐり)
胎蔵界大日如来坐像(平安後期、県指定)
弥勒仏坐像(平安後期、県文化財指定では薬師如来坐像
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臼杵市臼杵石仏
 頭部が下に落ちていた大日如来の修復後、初めてお参り。覆屋など全体に整備されて、拝観しやすくなっていた。平安後期の優しい磨崖仏の数々にひたすら癒された。
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【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~ - ぶつぞうな日々 part III


臼杵市・満月寺(臼杵石仏のすぐ横。石仏の仁王さん)

臼杵市・龍源寺(三重塔が県指定文化財

8月9日
宇佐神宮
 本宮→外宮→宝物館(木造仁王像、孔雀文磬)

○富貴寺
国宝阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像(重文)
本堂
阿弥陀坐像と両脇侍立像(県指定)
・菩薩面

○真木大堂
不動明王立像と両脇侍立像
阿弥陀如来坐像
大威徳明王
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○元宮磨崖仏(熊野磨崖佛の附として重文に指定)

○熊野磨崖仏
不動明王
大日如来
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○両子寺
護摩堂 不動明王
・講堂 阿弥陀三尊
・奥院 千手観音

8月11日
金沢文庫
 勝林寺 釈迦如来坐像
 安達一族展

8月26日
東京国立博物館
○11室
地蔵菩薩立像 鎌倉 善円の作風に近い
帝釈天立像 10世紀 一木造り 量感あり
・十一面観音菩薩立像 9世紀 体幹部が一木造り 両腕は後補 面部は彫り直し 後補の頭飾や天衣を取り外し面目を一新 
不空羂索観音菩薩立像 法隆寺 鎌倉 13世紀 善派系仏師による壇像風の作例
・菩薩立像 13世紀 肥後定慶の作例に近い
・十一面観音菩薩立像 9世紀 秋篠寺
聖観音菩薩立像 9-10世紀 大阪観心寺 密教の仏に多い円筒形の宝冠を付ける
毘沙門天立像 9世紀 和歌山・道成寺
・十一面観音菩薩立像 10 -11 世紀 奈良薬師寺 ヒノキの一木造り 見事としか言えない
横から観たときの動きある感じがたまらない(サモトラケのニケのよう)。
・十一面観音菩薩立像 9世紀 奈良小嶋寺 やばいとしか言えない
不動明王立像 12世紀
阿弥陀如来坐像 12世紀前半 奈良・光明寺 見事な定朝様
・釈迦涅槃像 13世紀 奈良・岡寺
○トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館
 岸田劉生の麗子
○縄文展
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注 写真について
大楽寺、真木大堂、薬師寺十一面観音(トーハク)の写真はネットで拾ったものです。それ以外は筆者撮影です。

2018年7月の仏像拝観リスト

 2018年7月は所用で群馬に行くことになったため、思い切って一泊し、前から行きたかった坂東の札所と高崎の見返り阿弥陀如来をお参りすることにしました。しかし、この頃の群馬は記録的な猛暑。ドドメキというバス停から白岩観音へ歩く途中、熱中症になりかけました。真夏のお寺めぐりは気を付けないといけません。できれば避けたほうがよいかと。
 富岡の龍光寺は、戦時供出された銅像の胎内仏だった観音像や宇多天皇ゆかりの秘仏、そして、富岡製糸場の工女の墓など、たくさんのストーリーがありました。とてもよいお寺なので、製糸場だけでなく、ぜひお参りを。製糸場のすぐそばです。

2018年
7月15日
○受講=山本勉「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」
【受講】山本勉氏「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」 - ぶつぞうな日々 part III

○展覧会=建築の日本展(六本木の森ミュージアム)(仏像なかったけど)


7月21日
群馬県富岡市
○龍光寺
富岡製糸場

7月22日
群馬県高崎市
○白岩観音長谷寺

群馬県渋川市
○水沢観音水沢寺
市指定の観音立像(釈迦堂)
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像高105.5センチ、内刳りを施さない一木造り
桂材と推定、制作年代は11世紀後半
手水屋
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群馬県高崎市
○善念寺 阿弥陀三尊(阿弥陀さまが県指定文化財

群馬県高崎市
○万日堂 
・みかえり阿弥陀(市指定文化財
如来立像2躯
【群馬】高崎市・万日堂のみかえり阿弥陀さま(+善念寺阿弥陀三尊)と新田義貞と… - ぶつぞうな日々 part III

【展覧会】金沢文庫「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」

 2019年1月12 日
 金沢文庫の特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」(2018年11月16日~2019年1月14日)
 仏像や神像がいくつかお出ましでしたが、特に気になった二つのお像について、お話したいと思います。
 〇白洲正子旧蔵の十一面観音立像(現、小田原文化財団)
 〇長野県諏訪市・仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像


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白洲正子旧蔵の十一面観音立像(白山神社本地仏か)

 お目当てはこちらの観音さま。前田青邨白洲正子の旧蔵で、現在は小田原文化財団が所有。平安時代の作で、いかにも白洲正子が好みそうな静謐で清楚な十一面観音立像である。
 頭部の化仏は大きくボリュームがあるが、それぞれのお顔は彫り出さない。つまり、のっぺらぼうである。また、頭部の大きさに対して、首から下はすらっとした細身であるのが印象的だった。

化仏のお顔がのっぺらぼう

 2016 年「福井の仏像」展で、化仏のお顔がのっぺらぼうの十一面観音さまを拝観したことを思い出した。仏が今まさに顕れようとする瞬間を表したという説明書きを読み、心が震えたのだった。霊木化験の表現のひとつなのだそうだ。
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 上の写真はそうした福井の例で、越前市東庄境町の八幡神社観音堂にまつられている十一面観音立像である(写真は「福井の仏像」展図録よりコラージュ)。こちらも頭上の化仏はお顔が表現されていない。なんとも神秘的だ。

 金沢文庫の展示では、この白洲旧蔵の観音像について、白山神社本地仏の可能性があると書かれていた。どこでどのように制作されたのだろう。白山信仰との関わりについて、もう少し詳しい説明がほしかった。

伊豆山権現と対比して展示

 この観音像は伊豆山権現と並べて展示されていた。金沢文庫の解説書には、伊豆山権現像は仏像のような作り方をした神像で、この観音像は神像のような仏像だと説明されていた。
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手の甲を後ろにそらすこととキスとの関係は?

 一方、細かいことだが、この十一面観音さまは右手がかわいらしかった。右腕は下に下ろしており、その手は施無畏のように見えるのだが、よく見ると、右手の甲を後ろにそらせているのだ。この手のひねりは何なのだろう。左手が失われているので、なおのこと気になった。
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(写真はhttp://salonofvertigo.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.htmlより)
 下世話な話で申し訳ないが、ドラマなどでキスをするときに片足を後ろに上げてしまう光景を思い出した。女性は立ってキスをすると、なぜ片足を後ろにそらせてしまうのか。この観音菩薩さまはなぜ、右手の甲を後ろにそらせているのか。キスにより電流のように流れてきた愛が強すぎるので、足先から放出しているのだろうか。であれば、観音さまはなぜ手の甲を後ろにそらせておられるのだろう。山梨県甲州市勝沼大善寺の日光月光菩薩立像や会津勝常寺の日光月光菩薩立像は、手のひねりが横向きなのに対し、この十一面観音立像は手を後方に翻している。とても気になった。そして、とてもかわいらしいと思った。
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(写真はhttps://netallica.yahoo.co.jp/news/20180125-64998693-hitomeboより)

 
 興奮して長々と書いてしまった...。静かであらたかな霊験を感じさせる観音さまのお姿。私はこういう清らかなものに憧れて、仏像をめぐっているのかもしれない。その前から離れがたい観音像だった。

 


仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像(南北朝時代

 長野県の仏法紹隆寺から小さい普賢菩薩騎象像がお出ましだった。
 仏法紹隆寺は長野県の茅野駅から諏訪方面に数キロほどの山の中腹にある。大好きなお寺で、私は二度お参りしている。二度目は家族連れで訪れ、一時間ほどかけて、広い境内をご案内いただいた。大変思い入れのあるお寺さまである。
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(↑筆者撮影2017年8月)
 このお寺の普賢堂には、大きな普賢菩薩騎象像と小さな普賢菩薩騎象像がおられる。
 金沢文庫には小さいほうの普賢菩薩さまがお出ましだった。
 仏法紹隆寺は諏訪大社の神宮寺や別当寺を務めていたが、近世になってその機能を他寺に移し、諏訪氏高島藩の祈願所となった。明治初め、神仏分離に際して、諏訪大社の上社の神宮寺普賢堂の本尊普賢菩薩像と、上社神宮寺の子院だった如法院の本尊普賢菩薩像が仏法紹隆寺に移座されることとなった。現在、仏法紹隆寺に2躯の普賢菩薩騎象像がおられるのは、こうした経緯による。神宮寺普賢堂のものが大きいほう、如法院のものが小さいほうの普賢菩薩さまだ。
 今回出陳されたのは、子院である如法院に伝わった小さいほうの普賢菩薩さまである。南北朝時代のきらびやかな印象の仏さまだ(お寺のサイトには鎌倉時代とあるが、今回の展覧会では南北朝と記載)。前回の善光寺ご開帳の際、隣の美術館の仏像展にも出展された長野県宝である。
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(↑如法院旧本尊が出陳。写真は金沢文庫Twitterより)

 一方、今回は出展されなかったが、神宮寺本尊は如法院本尊に比べかなり大きい。かなり傷んでいたそうだが、近年修理を終えられ、普賢堂の中央に安置されている。
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(↑諏訪大社上社神宮寺の旧本尊。筆者撮影2016年5月)

 金沢文庫の説明では、大きい方の普賢菩薩さま(つまり、神宮寺旧本尊)は神像と同じ素地仕上げで本地仏にふさわしいのに対し、如法院の普賢菩薩さまは金泥と極彩色が施されている点を指摘していた。本院と子院とで意図的に、対照的に仕上げたのでないかとのことだった。
 金沢文庫で両像の比較について説明があったが、神宮寺の普賢菩薩さまの写真展示がなく、文字だけの説明だったので、この辺りの経緯はわかりにくかったのではないかと思う。
 仏法紹隆寺の普賢堂では、この大きな普賢菩薩像の奥に、小さな普賢菩薩像がまつられている。

 なお、仏法紹隆寺には、小さな宝物館もあり、運慶らしき不動明王立像が安置されている。一年前の金沢文庫の運慶展にお出ましだったので、覚えている方もおられるだろう。庭園も美しく、気持ちのよいお寺なので、多くの方にお参りいただければと思う(必ずお寺に事前連絡を)。

他にも印象に残る仏像と神像が

 上記以外の彫刻では、鎌倉時代の僧形八幡神坐像(神奈川県・称名寺)、肩がこりそうな男神坐像(平安、個人蔵)、鎌倉時代文殊菩薩立像(神奈川県・阿弥陀寺)などが印象に残った。文殊菩薩立像は、春日大社本地仏とされる善円の文殊菩薩東京国立博物館)とそっくりだった。
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 チラシに掲載のこの随神坐像は、2017年「末法」展(京都の細見美術館)にも出展されていた。凛とした清らかさを感じる平安時代の神像で、今は個人蔵。個人蔵のお像を拝める機会、大変ありがたい。
 

【群馬】富岡市・龍光寺の小さな観音立像~戦時供出された銅像の胎内仏~

 群馬県富岡市・龍光寺さま。2018年夏、事前に電話でお願いし、お参りさせていただきました。とても暑い日でした。

 門前の大きな観音さまの銅像が戦時中に供出された際、胎内から小さな観音像が見つかったそうです。富岡市文化財に指定されているこの観音像を拝観させていただきました。高麗時代の作。胎内に収めるということは、何らかの由来や祈りが込められていたはず。小さなお姿に大きな想いを感じました。


 戦時供出された銅製の観音像は、同じく銅像地蔵菩薩坐像とともに、山門の前に安置されていたそうです。供出前の写真が額に入れて、大切に保管されていました。この貴重な写真を撮影させていただきました。享保年間の作で、かなりの美仏だったことがわかります。

(↑戦時供出された観音像。この観音像の胎内仏だった)

(↑地蔵菩薩銅像。観音像と一対だった)

(↑地蔵菩薩銅像の写真額の裏面)

 ご本尊さまは黒本尊と呼ばれる秘仏聖徳太子御作にして、宇多天皇の念持仏だったと伝わるそうです。黒本尊というと、東京・増上寺の家康ゆかりの阿弥陀如来像が思い出されますが、そちらとは関わりがないそうです。こちらの秘仏はその姿を目にすると失明するとの言い伝えがあり、残念ながらお見せできないと言われました。このような畏怖の念、尊重したいと思います。本堂内陣の奥、閉じた厨子越しにお参りさせていただきました。

 上の写真のように、本堂内陣におまつりされるのが、お前立の阿弥陀三尊です。浄土宗のお寺らしい阿弥陀空間。阿弥陀三尊と法然善導さまがおられる空間が好きです。南無阿弥陀仏。真夏の堂内に副住職のお十念が響きました。

 本堂裏の墓地に、富岡製糸場女工さんのお墓が残されており、副住職さまにていねいに説明していただきました。世界遺産富岡製糸場の見学の際には、ぜひ合わせてお参りを。お寺の前に掲げられていた「尊いのは遺産ではなくて、そのために流された先人の汗である」という言葉の意味をかみしめています。

2018年6月の仏像拝観リスト

 2018年6月は、多摩仏像研究会と仲間たちで信濃仏をめぐったのが一番の思い出です。仏像好きな仲間と感動的な仏像に出会えただけでなく、役所や仏像をお守りする人々との関わりのなかで、たくさん学ぶことがありました。皆さまに改めてお礼を申し上げます。
 また、6月初めには、名古屋で所用があったので、早起きして2か寺をお参りしました。成願寺は、新しいスタイリッシュな本堂の中に、名古屋最古級の観音さまが不思議とマッチする素敵なお寺でした。本堂の設計を手掛けた建築家が紀州徳川家の当主だと知り、さらに驚きました。
 そして、名古屋では、大好きな栄国寺を再訪しました。少し前に本田不二雄『ミステリーな仏像』という本を読んだのですが、栄国寺の五臓六腑のある阿弥陀如来坐像について興味深い仮説が書かれていました。処刑され人体解剖された人を慰めるために作られた阿弥陀像なのではないかという話でした。栄国寺は処刑場の跡地付近に建てられたお寺で、江戸時代初めに処刑されたキリシタンを慰めるために犬山から遷座された本尊の阿弥陀如来さまもおられます。悲しい歴史のなかに阿弥陀さまの優しさを感じます。

2018年
6月3日
愛知県名古屋市
○成願寺
・十一面観音立像(名古屋で最古級、平安前期、164センチ)
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(写真は『東海美仏散歩』より)
○栄国寺
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像
・清涼寺式釈迦如来立像 
・釈迦涅槃像
名古屋・栄国寺の丈六阿弥陀さま~悲しいから優しい~ - ぶつぞうな日々 part III(←2015年11月の参拝記録ですが...。大好きなお寺と阿弥陀様です!)
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2018年6月16日~17日
多摩仏像研究会と仲間たちの信濃仏をめぐる会
多摩仏像研フィールドワークで信濃仏をめぐる! - ぶつぞうな日々 part III


1) 福王寺(佐久市)(真言宗智山派
収蔵庫
阿弥陀如来坐像(138.3cm、カツラの一木 1203年 国重文)
〇観音勢至菩薩(脇侍、大和座り)江戸初期
弥陀堂
月光菩薩聖観音とも伝承)平安 市文化財
日光菩薩 鎌倉 市文化財
聖徳太子立像(雨宝童子) 市文化財
毘沙門天 市文化財
本堂
〇絹本著色愛染明王像(県宝、鎌倉後期~南北朝、92.5 x 51.5 cm)
【信濃仏】福王寺(佐久市)の力強い阿弥陀さまと雨ごい邪鬼の毘沙門天さま - ぶつぞうな日々 part III

2) 中禅寺(上田市)(真言宗智山派
薬師堂 
薬師如来坐像(97.7cm、カツラ、前後二材寄木、平安末期、重要文化財) 
〇神将立像(68.2cm、上記薬師如来の附として重要文化財指定)
仁王門
金剛力士像(平安末期、県宝)
【信濃仏】中禅寺(上田市)~こういう上品なお堂にはこういう上品な如来像がいらしてほしい~ - ぶつぞうな日々 part III

3) 大法寺(青木村)(天台宗
〇十一面観音立像(重文 170.9cm、カツラの一木、平安)
普賢菩薩立像(重文 106.3cm、カツラの一木、平安)
【信濃仏】大法寺(青木村)~瞳を閉じた十一面観音さまは何を感じ取ろうとされているのだろう~ - ぶつぞうな日々 part III

4) 智識寺(千曲市)(真言宗智山派
大御堂
〇十一面観音(重文 306cm、ケヤキ、一木)
境内の小さなお堂
〇釈迦如来坐像(室町)
【信濃仏】智識寺(千曲市)~3メートルの立木仏 十一面観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

5) 光久寺(安曇野市
〇日光・月光菩薩立像(善光寺仏師妙海1317年、県宝、桧材、寄木造)
【信濃仏】光久寺(安曇野市)若き妙海の日光月光菩薩像はかわいらしい双子のようだった! - ぶつぞうな日々 part III

2018年6月17日(日)

6) 覚音寺(大町)(真言宗智山派
千手観音菩薩立像(重文 168.2cm、桧材、寄木造)
持国天像(重文 161.5cm、桧、寄木造)
多聞天像(重文 157.6cm 桧、寄木造)
【信濃仏】覚音寺(大町)~「藤尾の観音さま」に家族の愛を想う~ - ぶつぞうな日々 part III

7) 栂の尾(つがのお)毘沙門堂(池田町広津)
毘沙門天立像(県宝、112㎝、桧、一木)
【信濃仏】栂尾毘沙門堂~盗難を乗り越えた信仰篤い毘沙門天さま~ - ぶつぞうな日々 part III

8) 海岸寺松本市
〇千手観音立像(県宝 159cm 桂 一木、平安中期)
【信濃仏】海岸寺(松本市)~ぶどう畑の中の千手観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

9) 牛伏寺(松本市)(真言宗
収蔵庫
不動明王立像(重文 12世紀)
毘沙門天立像(重文 12世紀)
〇釈迦如来坐像(重文 12世紀)
文殊菩薩騎獅像(重文 13世紀)
普賢菩薩騎象像(重文 13世紀)
薬師如来坐像(重文 13世紀)
大威徳明王像(重文 11世紀)
蔵王権現立像(県宝 10世紀)
〇奪衣婆坐像(県宝 1422年)
〇女神像、男神像(市重文 12世紀)など
※近くの円城寺の十一面観音立像(平安77.2cm 針葉樹の一木、市指定)が牛伏寺の収蔵庫にお預けされており、お姿を拝むことができた
如意輪堂
如意輪観音坐像(県宝、13世紀)

10) 辰野町・上島観音堂
〇十一面観音(重文89.4cm、榧材、一木造、妙海1323年)
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2018年5月の仏像拝観リスト

 2018年5月は念願の練供養2か寺をお参りできました! まず、12日、太山寺の練供養は、大きな阿弥陀堂の中で、すべてが展開されることに驚きました。丈六阿弥陀如来坐像の御前で、参加者が菩薩の衣装を身に着け、法要後に堂の周りを練り歩きます。幸せな空間と時間でした。
 14日、和歌山県有田市・得生寺の練供養は中将姫さまへのリスペクトに満ちたかわいらしい練供養でした。
 二つの練供養の間の13日は、中将姫に関するイベントで奈良町へ。徳融寺さまの當麻曼荼羅絵解きに感動。當麻寺中乃坊さまに自ら習いに行かれたのだそう。
 イベントのあと近くの璉珹寺へ。4月にお参りした高槻市・慶瑞寺が忘れられず、それと同時期の聖観音像にお会いしたくなり、お参りしました。堂内、聖観音さまの前に「仏像~一木の祈り~」展の図録が置いてあったのですが、その中で、こちらの聖観音さまのすぐ後のページに慶瑞寺の菩薩像が掲載されているのを見つけ、鳥肌が立ちました! 

 

5月12日

神戸市
竹中工務店大工道具館
太山寺練供養「聖衆来迎引接会式」
如意寺仁王像(鎌倉時代の塑像、市文化財

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5月13日

奈良国立博物館

法華寺文殊菩薩坐像 CTスキャンにより胎内にたくさんの教典が納められていることが判明。昨年のハルカスの西大寺展でお会いした文殊菩薩さま。


中将姫さまの絵本の出版記念イベントで、ならまちの中将姫さまゆかりの寺をめぐる

徳融寺
當麻曼荼羅の絵解き

安養寺(中将姫さまが出家を決意された場所)

誕生寺(中将姫さま誕生の場所。産湯の井戸、二十五菩薩の石像など。境内など特別拝観)

高安寺(特別に堂内拝観。中将姫坐像と父親である藤原豊成公の坐像が内陣中央にまつられる。融通念仏宗

璉珹寺(紀寺)
3回目の参拝。奈良末期から平安初期とされる聖観音像に魅了された。


5月14日

和歌山県有田市

得生寺練供養「中将姫大会式」

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」前編~中将姫寺=得生寺とは~ - ぶつぞうな日々 part III

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」 後編~中将姫への愛がいっぱい~ - ぶつぞうな日々 part III

 

5月20日

東京都八王子市 高尾山琵琶滝

 

2018年4月の仏像拝観リスト

 2018年4月はまず、お釈迦様のお誕生日にご開帳の笠間の弥勒教会へ。近畿日本ツーリストクラブツーリズムに初参加し、なんと秘仏雨引観音様にもお会いできた。クラツーさんすごい。
 仏像リンクのdeep大阪は、愛知県あま市の練供養と日程が被り大変悩ましいところであったが、訪問先の濃さと仏友さんとご一緒できる楽しさを優先して参加。高槻の慶瑞寺の菩薩坐像、泉大津の千原大師堂の十一面観音立像などは、その後の私の仏像活動に影響を与えたと思う。
 東京国立博物館の展覧会(新指定文化財展と国華展)とあきる野市の大悲願寺再訪を経て、ゴールデンウィークの前半に再び関西へ。奈良県當麻寺で4月29日に行われる「練り初め(ねりぞめ)」を見学させていただいた。とても感動的だったし、勉強になった。手元に残るメモをなんとかブログに上げられないものか。
 大阪府八尾市の地蔵菩薩の練供養も楽しかった。鬼さんが登場し、地元の子どもが泣いてしまう地元のイベント。こういうものが残っていく日本であってほしい。
 また、滋賀の金勝寺の軍茶利明王さまと石山寺光堂の大日如来さまは特に心に残った。平安中期のどっしりとした優しいお姿に強く惹かれる。

2018年

4月14日 仏像リンクオフ会・deep大阪1日目

仏像リンクDeep大阪1日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 朝日山神蔵寺(京都府亀岡市臨済宗妙心寺派
ご本尊薬師如来坐像(重文)
日光菩薩月光菩薩立像(市指定文化財

2) 涌泉寺(大阪府豊能郡能勢町
日蓮宗

大威徳明王坐像
102.7センチ。一木割はぎ。平安12世紀頃。六面六臂六足の憤怒形。能勢町指定文化財
(平安後期とされてきたが、平成13年から14 年の京都美術院国宝修理所の修復時に、平安初期9世紀の作かもと言われた)
多宝如来坐像
94.8センチ檜寄木造り。彫眼。平安後期12世紀。大阪府重文。仏師「経深」の銘あり。
釈迦如来坐像
86センチ。檜寄木造り。彫眼。平安後期から鎌倉初期。

3) 安穏寺(大阪府豊能郡能勢町

東向き十一面観音菩薩立像
106.7メートル。四臂の十一面観音菩薩立像。檜、寄木造り。彫眼。12世紀。大阪府重要文化財。恵心僧都源信の作と伝わる。

4) 慶瑞寺(大阪府高槻市黄檗宗
木造菩薩坐像
昭和61年に本堂から見つかる。8~9世紀頃または平安初期の作。重要文化財
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5) 高槻市山手町の薬師堂(大泉寺の境内)
薬師如来坐像
86.0センチ。平安後期。高槻市文化財

6) 安岡寺(大阪府高槻市
木造千手観音坐像

4月15日 仏像リンクオフ会・deep大阪2日目

仏像リンクDeep大阪2日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 孝恩寺(大阪府貝塚市)浄土宗

平安時代中期の本尊阿弥陀如来などの仏像群19体と板絵1枚が収蔵庫に安置。いずれも重要文化財
虚空蔵菩薩立像は60年ほど前から大阪市立美術館に寄託。また、薬師如来立像は現在トーハクの国華展にお出まし中)
ほとんどすべてが榧の一木造り。
木造跋難陀龍王立像、阿弥陀の説法印を結ぶ弥勒菩薩坐像など。

本堂(国宝釘無堂)の内陣
来迎阿弥陀三尊と法然善導両上人。阿弥陀さまが美仏。


2) 千原大師堂(大阪府泉大津市) 
十一面観音立像
123.8センチ。10世紀頃。大阪府指定文化財。10世紀の仏像に目覚めてしまったかも。
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3) 天野山金剛寺大阪府河内長野市
金堂落慶記念の特別拝観=木造大日如来坐像(平安末期)、木造不動明王坐像、木造降三世明王坐像(鎌倉時代

平安後期の五智如来像が五仏堂に。五智如来さまの後ろに、真数千手観音立像

4) 日野観音寺(河内長野市日野)
木造大日如来坐像
147センチ。檜の寄木造り。12世紀 。重要文化財

5) 観福寺(和泉市
弥勒菩薩坐像

6) 正伝寺(大阪府四条畷市融通念仏宗
薬師如来立像
181.1センチ。一木の古様な造り。彫りは浅い。
ぷっくりあんよは後補。

4月20日 トーハク新指定文化財展と名作誕生展

1) 東京国立博物館 新指定文化財
2018年の新指定文化財展(東京国立博物館) - ぶつぞうな日々 part III

○東川院(岩手県一関市大東町
木造観音菩薩坐像(114 .3 cm)
穏やかな作風に平安末期の彫刻様式を示す。吊り気味の目など新しい傾向もみられ、1170~80年代頃の製作と考えられる。

○西光寺(愛知県津島市
木造地蔵菩薩立像(159.6cm)
運慶周辺の仏師による。最近行われた保存修理により納入品が発見され、1187 ~1193 年頃にかけて行われた諸国勧進により多くの結縁者を得て製作されたことことが判明。胎内納入文書の一部も公開されている。

○円常寺(滋賀県彦根市
木造阿弥陀如来立像(快慶、98.8cm)
三尺阿弥陀は数多くあれど、快慶は別格だと再認識。


2) 東京国立博物館
「名作誕生」展(創刊記念『國華』130周年)
名作誕生展(東京国立博物館)に一木造り薬師如来立像が林立! - ぶつぞうな日々 part III
平安一木造りの薬師如来立像が林立!
唐招提寺元興寺(内ぐり)、孝恩寺(ものすごい破壊力)、桜井市笠区(あまりの迫力)、淡路島、京都の春光寺(和様の兆し)

4月28日滋賀県(憧れの金勝寺、石山寺三井寺の特別拝観)

滋賀県

栗東市・金勝寺
春と秋の土日祝日に運行されるバスに乗り、念願だった軍茶利明王にお会いできた。
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大津市
石山寺光堂特別公開 10世紀の大日如来(多宝塔の旧本尊)など
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三井寺
本堂内陣特別拝観 新羅明神本地仏文殊菩薩坐像

観音堂特別拝観 本尊如意輪観音厨子は閉まっていたが、脇侍の不動明王毘沙門天を内陣で拝観できた

4月29日奈良県(正蓮寺大日堂と當麻寺練り初め見学)

奈良県
橿原市・正蓮寺大日堂

葛城市・當麻寺

護念院 練り初め見学
(練供養当日に菩薩になられる方向けの法要を堂外から見学させていただく。どの菩薩になるのかのくじ引きが行われ、練供養のクライマックスである引接シーンを観音勢至普賢菩薩が実際に演じた。この3菩薩は動きの練習が必要で負担が大きいため、上記のくじ引きによらず、地元の方が務めておられる)

奥院(阿弥陀堂特別公開)、曼荼羅堂、講堂、金堂、中之坊(導き観音立像)を拝観

曼荼羅堂の當麻寺曼荼羅阿弥陀如来立像、織姫観音さまが大好き。織姫観音さまはお会いする度に好きになる。講堂は丈六阿弥陀さまが胸にしみた。
また、奥院の本堂が特別公開されており、平安の聖観音立像や地蔵菩薩立像を拝むことができた。

4月30日 奈良市から大阪・三津寺の公開、そして八尾の練供養へ

奈良市・伝香寺
普段は収蔵庫におられる地蔵菩薩立像が、奈良国立博物館の「春日大社」展にお出まし中。その代わりに、本堂の釈迦如来坐像が収蔵庫に安置されており、拝観できた。本堂の釈迦如来坐像は年に2回しか公開されないので、大変貴重な機会だった。宿院仏師の作。

奈良国立博物館春日大社」展 
円成寺の平安前期の観音立像。明るい環境でよく拝観でき、感動もひとしお。

興福寺国宝館
改装後、初参拝。銀の仏手が展示されておらず、ショックを受ける

大阪市文化財公開・三津寺(難波)
平安から江戸まで、多様な仏像群にただただ唸る。機会があればまたお参りしたい。

大阪府八尾市・常光寺
【来迎会】大阪・常光寺の八尾地蔵練供養~鬼さん登場の怖くて楽しい練供養!~ - ぶつぞうな日々 part III

八尾地蔵練供養! 小野篁ゆかりの本尊地蔵菩薩立像は市の文化財

以上

【来迎会】二十五菩薩練供養@愛知県愛西市(勝軍延命地蔵菩薩ご開帳)

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 愛知県愛西市・勝軍延命地蔵大菩薩さまの17年ぶりの開帳に合わせて、二十五菩薩練供養が行われるという情報が入り、出かけてきた。開催されたのは2018年9月2日。
 事前の想像より100倍以上楽しい練供養だった!

特徴1) 勝軍地蔵さま17年ぶりのご開帳

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 まず、勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳が熱い。
 開帳仏がおられるのは、西條八幡社の隣の小さなお堂。Google地図にもお堂の名前は載っていなかった。写真左が地蔵堂、右が西條八幡社である。
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 17年に一度のご開帳の期間は2018年8月26日から9月15日。しかも、この21日の間、24時間、夜通しで行われたというのだから驚いた。地元の信徒が夜通し交代で番をしたのだそうだ。大変だろうなと思う一方で、深夜に開帳仏さまと向き合えるのも幸せなのでは、とも思う。
 ご開帳の仏様、勝軍延命地蔵菩薩さまのお姿は上の写真のとおりである。伝教大師最澄が唐の彫像を模して刻んだと伝わるが、実際には鮮やかに彩色されていて、制作時期はわかりにくい。騎馬像ではなく、二本の脚で立っておられるところも珍しいのではないだろうか。勝軍地蔵菩薩の古例である京都清水寺本尊の脇侍も、勝軍地蔵菩薩の立像なのだそうだ。
 文化財未指定であるが、今回のご開帳時に専門家を招いて調査する予定だという話も聞いた。何か新しい見解が出てくるのだろうか。ただ、今回のご開帳の賑わいをみると、文化財的価値はどうでもよくなってくる。坂上田村麻呂徳川家康も参拝してご利益を得たと伝わる勝軍延命地蔵菩薩さまだ。ご開帳が多くの人々をつなぐ機会となっており、大きな敬意を覚える。
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(↑過去のご開帳の看板が堂内に飾られていた)

 この21日間のご開帳の中日(なかび)、”中開帳”と呼ばれる日に行われるのが、二十五菩薩の練供養である。勝軍延命地蔵大菩薩のご開帳なのだから、武者行列でもよさそうだが、なぜか聖衆来迎の練供養なのである。これが本当に温かく、賑やかにして和やかな練供養だった。そう感じるバックグラウンドとして、勝軍地蔵さまを慕う人々の思いがあるのではないだろうか。

特徴2) あま市の蜂須賀蓮華寺からご出張

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(↑観光協会から事前にメールでいただいたポスター画像)
 愛西市で二十五菩薩練供養と初めて聞いたときは、自分の耳を疑った。愛知県の練供養と言えば、あま市の蜂須賀蓮華寺の二十五菩薩来迎会(毎年4月第3日曜日に開催)がある。しかし、それ以外は聞いたことがなかった。
 練供養は衣装や菩薩面や持物、雅楽の演奏など、かなりの準備が必要なものである。資金も人手もいる。そう簡単に17年ぶりに開催できるものではない。もともと愛西市の勝軍地蔵堂に練供養が伝わったのか、それともどこか別の寺から借りてきて行われるのか…。
 ネット検索しても疑問は消えなかったので、愛西市観光協会に電話とメールで連絡してみた。関係者の方に問い合わせてくださったところ、やはり二十五菩薩の練供養は「あま市蓮華寺から出張して開催する」とのことだった! さらに、愛西の勝軍地蔵菩薩のご開帳の度に、二十五菩薩の練供養は行われているとも伺った。
 来迎橋はかけられるのか、二十五菩薩全員お揃いなのか、など、気になることはたくさんあったが、そこはあえて事前調査をせず、とにかく出かけることにした。外野の人間が事前に関係者に質問責めにして、ご迷惑をおかけするのはしのびない。とにもかくにも、17年に一度と言われたら、行かざるをえまい!

特徴3) 田んぼの中を1時間も練り歩く

 二十五菩薩練供養は、2018年9月2日(日)14時30分、大きな花火の音を合図にスタートした。出発地点は勝軍延命地蔵堂の東隣にある林證寺。田んぼの中の道を1時間もかけて菩薩さまは歩かれ、終点の地蔵堂に到着した。
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 私はスタート時から終点の地蔵堂まで菩薩さまの列について歩いた。つまり、1時間という長い時間、菩薩さまと一緒にお散歩できてしまったのである! 
 Google地図でざっと見たところ、総距離2キロほどあったのではないだろうか。岡山県・誕生寺の練供養会式も参道を練り歩くので、菩薩さまに付いていくのが楽しいのだが、それでも300メートルを往復である。愛西市・勝軍延命地蔵堂の練供養の移動距離の長さは特筆すべきだろう。
 田んぼの中に民家がぽつぽつと並ぶ地域をのんびりと菩薩さまは歩かれた。菩薩さまの列のそばを私はただついて歩いた。菩薩さまとお散歩しているような感じだった。もうそれだけで訪れた甲斐があった。
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特徴4) 菩薩さまに触れていただく

 さらに驚いたのは、「菩薩さまに触れてもらって、ご利益をいただいてください」と言われたこと。人々は菩薩さまに近寄って、頭をなでてもらっていた。
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 こちらの菩薩面は半円を二つ並べたような眉毛と細めのおめめが特徴。正面から見ると、にこやかに笑っておられるように見える。頭をなでてもらう側の衆生もみな頬がゆるむ。笑顔×笑顔なのだ! なんともうれしい笑顔の相乗効果!
 私も二度ほど頭をなでていただいた。一回目は成功したのだが、二度目に観音さまとの距離がうまく取れず、観音さまの持つ蓮台に頭をゴツンとされてしまった。蓮台はなかなかのスピードで私の頭を打撃し、私の脳内に大きな電飾花火が飛び散った。こんなに素敵な経験はなかなかできない!
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(この木製の蓮台が私の頭を直撃した)

特徴5) 実にのどかなパレード

 こんなに盛大な練供養でありながら、交通規制はしてなかったようだ。途中で車一台が通りかかり、道端を歩く菩薩様の列の横を通り抜けていった。係りの人が菩薩さまに「車が来まーす。道路脇に寄ってくださーい」。菩薩さまはもともと道路の左脇を歩いておられるので、まったく混乱はなく、車は静かに通り過ぎていった。こんなシュールな場面にはそうそう出くわせない。つい笑ってしまい、慌てて撮ったのがこちらの写真。ピンぼけしてしまった。
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 菩薩さまの列は1時間ほどのんびりと進み、ついに、ご開帳の行われている勝車延命地蔵大菩薩さまのお堂に到着。小さなお堂の軒下の周りに造られた通路を一周した後、境内を出られ、去っていかれた。気温30度を超す暑さにもめげず、最後まで笑顔で、人々の頭をなでながらー。
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特徴6) 世代をこえて

 練供養ルートの途中で、菩薩様の列が近づくのを待っている親子がいた。若いお父さんとお母さん、そして、ベビーカーに座る幼子だった。お母さんがお子さんに「17年前は〇〇おじさんが菩薩になったのよー」と話しかけていた。〇〇の部分は覚えていないが、おそらく親戚か親交のある男性を指しているのだろう。私はそれを聞いて、世代を越えた継承とはこういう形で実現するのかと納得した。
 蜂須賀蓮華寺の練供養は毎年行われるが、ここ愛西市の練供養は勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳のときだけ。17年に一度っきりだ。17年前を思い出し、17年後の未来を想う。そういう機会なのだろう。
 今回のお稚児さんが17年後には菩薩さまになるかもしれない。その菩薩さまは結婚して子どもが生まれ、その子もお稚児さんになるかもしれない。そういう形で伝統が受け継がれるコミュニティがこれからも続いていってほしいと思った。よそ者の勝手な願いかもしれないが。田んぼの中の道を菩薩さまと歩きながら、そんなことを考えていた。
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 奈良の當麻寺のように荘厳な練供養はもちろん素晴らしい。一方で、このように庶民との距離が近い練供養にもたまらない魅力がある。困る。非常に困ってしまう。ますます二十五菩薩練供養が好きになってしまうではないか。

【2019年お正月ご開帳仏まとめ 1月3日編】神奈川県大磯町と伊勢原市で神像と仏像を拝む

 2019年1月3日のまとめです。湘南へ行ってきました。晴天で、富士山がきれいでした!
 朝、大磯町の二宮駅を降りると、すぐそばの道で箱根駅伝が開催されており、はからずもランナーを応援してしまいました。真摯に前を見て走る選手の姿が尊かったです。

 以下の3か寺と1社をお参りしました。

神奈川県大磯町・六所神社(相模國総社)

神像2躯が1月3日のみのご開帳 いずれも県指定文化財
【神奈川】相模国総社六所神社(大磯町)の神像を拝む - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県大磯町・王福寺の薬師如来坐像

重要文化財、像高131.2センチ、榧の一木造り。平安時代
こちらは正月開帳ではなく、雨天時を除き予約拝観が可能。
【神奈川】大磯町・王福寺の薬師如来坐像~平安のカヤの一木造り~ - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県伊勢原市・浄発願寺

 木喰僧、弾誓上人が開山で、天台宗弾誓派。丈六の阿弥陀三尊がおられる。予約なしで拝観できる
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本尊 阿弥陀如来坐像 約200センチ
脇侍 観世音菩薩立像・勢至菩薩立像 約165センチ
1686 年、第四世空誉弾阿上人と弟子の空幻明阿上人の合作

 山の中の落ち着くお寺。今回が3~4回目のお参りだが、京都大原の古知谷阿弥陀寺をお参りしてからは初めてだ。古知谷で弾誓上人さまのお像をお参りしたことを思い出し、胸があつくなった。
 弾誓上人さまの活動は仏教の主流とは離れた、独特なものだと思う。浄発願寺も山岳修行の場であると同時に、殺人放火を除く罪人を受け入れる駆け込み寺だったそうで、かなり特殊なお寺だったと想像する。
 お寺に手伝いにきている男性と少し話した。浄発願寺はもともと1キロほど上流の場所にあったが、昭和13年の台風による山津波で壊滅状態となり、現在の場所に移ったそうだ。かつての寺跡は奥院とされ、弾誓上人のお像がまつられているそうだ。山道なので、また日を改めて、奥院をお参りしたい。弾誓上人についてもう少し深く学びたいのだが、日々の忙しさにかまけてなかなか機会が作れずにいる。なんとかできないのものか。

神奈川県伊勢原市日向薬師

 ご本尊は平安時代の鉈彫りの薬師三尊さま。
私はこの鉈彫り三尊さまが好きで好きでたまらない。ご開扉はお正月三が日と初薬師1月8日と4月15日の年5回。
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(写真は2006年「仏像 一木にこめられた祈り」展図録より。両脇侍像は私が合成)
 カツラの一木造り。内ぐりなし。
 薬師如来116.6センチ、左脇侍123.3センチ、右脇侍123.9センチ 平安時代10世紀
 日向薬師の薬師三尊は、彫り出される前、木の中でも、あのお姿でおられたのではないか。そんな風に感じてしまう。一番好きな鉈彫り仏なのであります。
 両脇侍は全身に鉈彫りによるノミ目が入るのに対し、薬師如来のほうが鉈彫りは抑え気味であるが、これは尊格の違いを示そうとしたと考えられている。薬師如来螺髪を彫りだし、顔や胸は滑らかに仕上げている。
 実は2018年は鉈彫り仏にお会いする機会がなく、個人的に深刻な鉈彫り仏不足に苦しんでいたのだが、おかげさまで瞬時に解消できた。

【神奈川】大磯町・王福寺の薬師如来坐像~平安のカヤの一木造り~

 2019年1月3日、神奈川県大磯町の六所神社(神像の公開)から再びバスで移動し、近くの王福寺で平安中期の薬師如来坐像にお会いした。

王福寺とは

 神奈川県大磯町の山寄りにある東寺真言宗のお寺。行基菩薩によって開かれたと伝わる。現在の境内よりさらに500メートルほどの山の上に、本堂その他の堂宇を構え、末寺も立ち並んでいたと考えられる。平塚方面や相模湾伊豆大島、箱根を見渡す眺望のよい場所なのだそうだ。周辺の地番台帳には、本堂、薬師下、薬師向、仁王平などの地名が残されている。
 王福寺の名前が歴史書に初めて登場するのが『吾妻鏡』。建久3年(1192年)に、源頼朝北条政子の安産祈願のため、相模の国の27の寺社に神馬を奉納したのだが、その一寺として「王福寺 坂本」の名が記載されている。1505年の兵火のあと、栄範律師により現在の場所に再興。1603年にも火災に遭ったが、5つの末寺を合併して一山一寺とし、平安時代薬師如来坐像を守り抜いてきた。

薬師如来坐像

王福寺の薬師如来坐像
重要文化財、像高131.2センチ、榧の一木造り。平安初期から中期

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 お寺に到着すると、ご住職が収蔵庫を開けてくださった。収蔵庫の階段をのぼると、大きな薬師如来さまが目の前に近づいてきた。

 どっしりとした量感があり、それでいて穏やかな表情の薬師さまだ。

 豊かな頬に切れ長の目。高くて大きな肉髻。大きな耳。量感ある体躯。腕は太く、手も大きい。組んだ脚の両膝が大きく張り出す。斜め前から覗き込むと、胸部や腹部にかなりの厚みがあった。写真で見た以上の迫力だ。思わず感嘆の息を吐き出す私。
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 像底から頸部の下まで背面から内ぐりをし、背板があてられている。ただ、内ぐりはごくわずかなものであるため、お像はかなりの重みがあるそうだ。二人で持ち上げるのさえ大変だったとご住職がおっしゃっていた。
 また、膝から下の彫り方も古風なのだそうだ。「普通なら膝頭から地付部へかけて丸みのある曲線をなして彫り込むべき膝の下半部を、本像ではあまり削らずに、わりと直線的に地付へ達しています」(お寺のリーフレットより)。量感ある一木造りの体躯とともに、「こうした表現方法は、平安初期から中期へかけての一木彫成像に見られる特徴」(同上)なのだとか(知らなかった!)。しかも、榧材の一木でこの大きさは大変貴重だと思う。

襟立如来さまと呼んでよいものでしょうか?

 個人的には、首周りの衣の襟が立っているように見える点が気になった。2017年の島根の仏像展で、松江の仏谷寺の薬師如来坐像雲南市の禅定寺の阿弥陀如来坐像など、襟の立った平安仏を見てきたからだ。大和郡山市の東明寺の薬師如来坐像奈良県桜井市・報恩寺の阿弥陀如来坐像も襟が立っている。好きでたまらない仏様ばかりではないか!

 奈良県大和郡山・東明寺の薬師如来坐像はかなりとがった感じである。
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 9世紀に遡る強い印象の薬師さまだ。襟のことは私は失念していたのだが、今回ご一緒した桃さんに教えていただいた。確かに襟が立っている!(写真は大和郡山市のサイトより)

 そして、島根県松江市・仏谷寺の薬師如来坐像も強烈な印象だった。

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写真は島根の仏像展(2017年、古代出雲歴史博物館)図録より

 そして、島根県雲南市・禅定寺の阿弥陀さまはこのようなお姿。
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 学ランの前をはだけたようにも見え、私の中では、「阿弥陀界の優しいツッパリ番長」の地位を占めている。大好きな阿弥陀さまで、本ブログでも、「制服を着崩したツッパリ番長」や「襟立ち如来さま」という言葉で愛を叫んでいる(雲南市・禅定寺の阿弥陀如来坐像~優しい番長さんw~ - ぶつぞうな日々 part III)。片思いだとは信じたくない。禅定寺の阿弥陀さまは東明寺や仏谷寺と比べると、ずいぶんとくだけていて、穏やかだ。厳しいか穏やかという観点でみると、東明寺と仏谷寺→王福寺→禅定寺という順で穏やかさが増していく感じだろうか。

 さらに、平安後期にも襟立ての特徴をもつ如来様がおられる。奈良県桜井市外山・報恩寺の阿弥陀如来さまだ。お像の雰囲気は平安後期の気品に満ちており、上記の如来様とは全体の印象がだいぶ異なるのだが、こっそり襟を立てている。今、写真を見返すと、襟の感じも上記の如来さまたちとはだいぶ違う。チャーミングである。こちらも大好きな阿弥陀さまだー!

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筆者撮影2017年5月

 そして、2019年正月、また新たに、大好きな「襟立ち如来さま」に出逢ってしまった…。

 ---と、ここまで興奮気味に書いてきたが、改めて王福寺の薬師如来さまの写真を見ると、東明寺、仏谷寺、禅定寺ほど、襟が際立って立っているとは言えないように思えてきた...。

 王福寺の薬師さまが好きすぎて、私は暴走しすぎたかもしれない。見当違いだと思われる方がおられれば、どうか看過ください。

 襟を立てた仏像に焦点を当てた研究はないのだろうか。もしあれば、ご教示いただければ幸いである。


 なお、堂内には、十二神将もお揃いであられた。大きな像ではないが、鎌倉時代の作だそうだ。文化財未定。さらに研究が進むことを願う。
 

 最後に、お正月であるのに、突然の電話での拝観依頼を快諾くださり、収蔵庫を開けて、ご説明くださったご住職に感謝申し上げたい。お話を伺うなかで、お仏像をとても大切にされてることが伝わってきて、さらに感動した。当日の朝、二宮駅で偶然会って、王福寺に同行くださった桃さんにもお礼を申し上げたい。桃さんのTwitterの書き込みを前夜に発見し、六所神社のそばに王福寺があることを知ったのでした。幸運な偶然でした。ありがとうございました。

【拝観案内】

大高山王福寺
〒259-0101 神奈川県中群大磯町寺坂639
電話 0463-71-2102
基本的には寅年のご開帳だが、雨天時を除き予約拝観が可能
上記の王福寺薬師如来さまの写真2枚はポストカードより

【神奈川】相模国総社六所神社(大磯町)の神像を拝む

 1月3日にのみ公開される神像を拝むため、神奈川県大磯町にある相模国総社、六所神社に出かけてきました。
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 女神像が70センチ弱、男神像が75センチほど。一木造りで、背中から大きく内ぐりあり。11世紀末~12世紀前半。

1) 今回は無駄に前書きが長い。箱根駅伝だから。

 公開日の1月3日は箱根駅伝の復路が行われる日だ。駅伝についてはほぼ無知な私だが、大磯の近くを通ることくらいは知っている。周辺の混雑は心配だったが、それなら駅から徒歩で行けばいいやと思い、家を出た。駅伝とは基本的には無縁だと思っていた。
 ところが、びっくり。最寄り駅である東海道線二宮駅に着くと、なんと、駅伝の応援の声が聞こえてきた。なんと、なんと、駅前の交差点を駅伝ランナーが走っていくではないか! 本物の箱根駅伝が目の前に!
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 そのとき急に私の応援スイッチが入ってしまった。わが娘の駅伝を応援したときの高揚感がよみがえってきたのである。彼女は弱小陸上部の部員だったが、応援するのは楽しかった。そんなわけで、どこの誰だかわからない選手に思わず応援の声をかけてしまった。あとで調べてわかったのだが、私が到着した朝10時前頃は、箱根7区の下位の走者がちょうど走り抜けていくところだったらしい。私が応援したのは山梨学院大学の選手(奄美出身の川口竜也くん)だったようだ。川口くん、二宮駅前で「がんばれ~!」と叫んだのは私です。瞬時に走り抜ける姿、貴く感じました~
 前書きが無駄に長くなってしまったが、ほんの数分間だけテンション高く駅伝の応援をしたあと、駅前からバスに乗り込み、神社へと向かった。そして、なんと、私が尊敬する仏像ブロガーの桃さんと偶然バス停で会い、ご一緒させていただくことになった。やったー。お正月3日の朝から、思いもよらぬ幸せな偶然が続いた。ほどなくバスは動き出し、箱根駅伝のルートを進んだ。応援を終えた人たちが歩道を歩いていくのが見えた。渋滞もまったくなく、神社に到着できた。

2) ついに本題。六所神社の神像について

 さて、本題に移ろう。
 六所神社は、第十代崇神天皇の頃、出雲地方から移住した氏族が祖神である櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)様をまつったことに始まる。大化の改新の後、相模国の総社として現在の場所に遷座し、他の五社(一之宮=寒川神社、二之宮=川勾神社、三之宮=比々多神社、四之宮=前鳥神社、および平塚八幡宮)を合わせまつって六社神社と称するようになった。
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 六所神社の社殿でお参りすると、大きな注連縄が目を引いた。これは島根の出雲大社の注連縄を手がける職人の手によるもので、昨年末に5年ぶりに新調したばかりなのだそうだ。大きくて新しい注連縄が清々しく感じられた。

 公開されるのは六所神社に伝わる女神像と男神像の2躯。本殿の一番奥に安置されていたのだが、神奈川県立歴史博物館「神々と出逢う―神奈川の神道美術―」展(2006年年2月18日~5月7日)の準備のため、同館の学芸員が調査に入り、日の目を見ることとなった。同年、大磯町の文化財に指定されたあと、2009年に神奈川県の重要文化財に指定。両像とも洗練された作風が共通し、制作時期は11世紀末から12世紀前半と考えられている。

2-1) 木造 女神形立像(じょしんぎょうりゅうぞう)

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 68.1センチ。一木造り。六所神社では、主祭神である櫛稲田姫命さまとされる。両肩に下がった髪の毛が可愛らしい。お腹の前でゆったりと結ぶ着衣の形が女性の天部のようで、吉祥天さまが好きな私はどきどきした。男神像より像高は小さいが、脚の下の方が失われているので、実際にはもう少し高さのある像だったのだろう。

2-2) 木造 武装神形立像(ぶそうしんぎょうりゅうぞう)

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 75.1センチ。一木造り。小顔ですらっとしたお姿。甲冑と天衣をかっこよく着こなし、腰をひねる。
 大磯町のガイドさんいわく「奈良の興福寺の阿修羅さまに引けを取らない美男子」とのこと。別に比べなくても、それぞれの美しさがあると私は思うのだが。そう言いたくなってしまうほど、この神像がかっこよく美しいということなのだろう。そして、悩んでいるようにも見えるところも阿修羅様と似ているのかも。ガイドさんの自慢げな説明に拍手を送りたい。六所神社では、櫛稲田姫命さまの夫、素盞嗚尊(すさのおのみこと)さまだと考えられている。

 また、ガイドさんに写真を見せていただいたのだが、両像とも大きく内ぐりが施されている(下記参考資料にある「観仏日々帖」サイトに写真がある)。

2-3) 神像特有の異相表現

 境内に説明の看板があり、そこに大変気になる文章が書かれていたので引用したい。

武装神形立像は甲冑を身につけ、腰を絞り動勢をみせる立ち姿、女神形立像は髻を結った髪を両肩に垂らし、唐衣を着て直立した姿をしています。両像とも形姿は仏教的ですが、純粋な仏教尊像とは異なる苦悩・瞑想などともとれる神像特有の異相(いそう)表現を看取することができます。

 私が気になったのは後半の部分。形姿は仏教的だが、その一方で、神像特有の異相表現が見られるという点である。つまり、天部の仏像と同じように見えても、その表情は仏像とは異なるということなのだろう。仏像か神像かを見分ける点がそこにあったとは。 私には難しすぎる! 理解できているとは思えないが、今後は「苦悩・瞑想などともとれる神像特有の異相表現」に注意して、神像を見るようにしたい。

2-4) 神話の中の櫛稲田姫命と素盞嗚

 この女神と男神は夫婦なのだそうだ。二人の物語は六社神社のサイトに次のように書かれている。

 六所神社の大神様、櫛稲田姫命様は、出雲国にお生まれになり、少女の頃、永年人々を苦しめていた八岐大蛇という怪獣に命を狙われ、絶体絶命の時、須佐之男命様という力強く荒い神様が救いに現れました。
 大神様は、自らを本性なる奇魂(周囲に不思議な現象を起こす力)に身をかえ、強い霊力となられて、須佐之男命様の力となり、みごと八岐大蛇を退治なされました。

(中略)

 この御神縁によって須佐之男命様は荒魂を和らげ、より強く尊い神様となられ、大神様に求婚され、大きな宮居を造り、何人もの尊い神様をお産みになられました。これは、須佐之男命様の強い荒魂に、大神様の必死の奇魂が合致し、誠に大きな霊力が生まれたことにあり、奇櫛は、女性の命であり、奇魂の璽であります。

 普段、阿弥陀さまを追いかけている私には、なかなか激しい話だ。お守り授与所には、櫛稲田姫命さまの強い霊力を込めたお守りが並んでいた。櫛の形をしたお守りだった。こちらの神様は女性の強い味方のようだ。

2-5) 拝観の環境

 社殿横の宝物殿で毎年1月3日9:00~17:30に公開される。無料である。
 宝物殿で近くで拝めるが、ガラス越しのため光の反射が強く、見えやすいとは言えない。正面から覗き込むだけでは、自分の顔しか見えない。まるで鏡である。せっかく来たのだから、なんとか自分の目でお姿を確認しようと、いろいろな角度から果敢に攻めてみた。神像なのだから、簡単にお姿を拝もうとする自分がいけないのだと思うことにした。努力してお姿を拝むことに価値があるのだろう。
 写真はもっと残念で、こんな感じでしか撮れなかった。人の写り込みを避けたつもりが、向かい側の木が思いっきり写りこんでいた…。
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 私が訪れたのは午前10時すぎで、晴天だったため、余計に光の影響を受けたのかも。午後の遅い時間帯や曇天や雨天の日のほうが見やすいかもしれない。再度チャレンジしたい。17:30まで開いているのだから、夕方がねらい目かも。箱根駅伝ファンも両立可能な時間帯である。

【注意!】2020年の公開は1月3日9-17時(17:30までではない)。そして、神像保護のため、今後当面の公開は見合わせるそうです。。。(2019.12.28追記)

参考サイト

〇一緒におまいりした桃さんのブログ 私は大ファンです!
momococks0505.blog106.fc2.com

〇観仏日々帖 古仏探訪~神奈川県大磯町・六所神社の御神像に初詣
観仏日々帖 古仏探訪~神奈川県大磯町・六所神社の御神像に初詣 【2015.1.3】
詳しい説明、勉強になります!

〇Web版 有鄰 座談会 かながわの神道美術—神奈川県立歴史博物館特別展示にちなんで—
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_459/yurin.html
上記で言及した2006年の展覧会に関する記事です。大磯町高来神社の木造神像群が気になります!

【2019年お正月のご開帳仏まとめ元旦編】東京と神奈川で平安仏を拝む~日野市の毘沙門天、世田谷の十一面観音、そして川崎の薬師三尊~

 新年明けましておめでとうございます。
 2019年のお正月三が日に6か寺と1社をお参りしました。お正月は古い仏像が特別公開される絶好の機会。普段電車で素通りする地域で、普段は非公開の平安仏にお会いできたりします。ここ数年、お正月のたびにお会いしにいく仏像もあります。大変幸せなことです。
 2019年1月1日に参拝したお寺は3か寺。以下の仏像さまを拝んできました。

東京都日野市・安養寺の毘沙門天立像

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 普段は本堂の阿弥陀三尊の横におまつりされている毘沙門天さまが、お正月の1日から7日まで、薬師堂に移され、間近で拝観できる。藤原時代の作で市の指定文化財。像高132センチ。檜の寄木造り。腰の極端なひねりが目を引く。日野の七福神の一員となっており、七福神めぐりの方々が多くお参りされる。写真撮影もOK。
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 公開時の薬師堂では、このように諸仏がまつられる。薬師さまは江戸時代、享保年間の作。ぬめっとした感じがある一方で、優しくかわいらしくもある。
 ちなみに、本堂の阿弥陀如来坐像は半丈六の平安仏で、東京都の文化財。拝観には予約が必要。智拳印を結ぶ大日如来の立像もおられるが、こちらも予約が必要。数年前に一度お参りさせていただいた。また、お参りできるとよいのだが。
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なお、安養寺の最寄駅は多摩モノレール万願寺駅。元旦は晴天で、富士山も拝めた。イケメン毘沙門天と元旦富士。なんともめでたい組み合わせである!


東京都世田谷区下奈根・観音寺の十一面観音立像

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世田谷区指定文化財、像高95.6cm、平安後期。
1月1日と8月1日に開扉。

 撮影不可なので、世田谷区のサイトに掲載の写真を貼っておく。お堂では、内陣奥におまつりされており、拝観には少し距離があるが、双眼鏡でのぞくと、美しい木目が見える。
 明古堂さんで、燻蒸に加えて、手先など欠落部分の補修をされた。
 去年のお正月に続いて二度目のお参り。お檀家様が次々お墓参りされているだけで、仏像目当ての人はそれほど見かけない。世田谷の静かな緑の中、静かにお参りできる。
 小田急成城学園前駅東急田園都市線二子玉川駅などからバスがある。バス停の下宿、喜多見小学校前などから徒歩ですぐ。
※康円の不動明王八大童子さまのおられる世田谷区下馬の世田谷観音寺とは別のお寺です。

昨年度の参拝記録はこちら
butsuzodiary.hateblo.jp



神奈川県川崎市影向寺の薬師三尊(重文)、二天像および十二神将

 もう何度目か思い出せないが、今年もお参りしてきた。正月三が日にご開帳(確か11月3日のお祭りのときも)。
 薬師さまは一木造りでどっしりしているが、衣文の彫りは浅く穏やか。地方仏の温かさを感じる。あちこちお参りしてきて、やっと、ここの薬師さま独自の良さを認識できたような気がした。
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(↑上の写真2枚は影向寺のサイトより)
 収蔵庫の係のおじさまが毎年同じ方で、毎年同じおしゃべりするのも楽しみ。去年のお正月にお会いできなくて心配していたのだが、今年はお会いできて嬉しかった。去年はたまたまタイミングが悪かったようだ。
 また、今年はなんと、新しい仁王さんと観音像がおられてびっくり! おじさまの話によると、とある檀家さまの寄進なのだとか。なんとも素晴らしいお金の使い方である。寄進できて、夢が叶ったとおっしゃっておられるのだとか。仁王さんも寄進者さんもかっこよすぎる。
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 影向寺へは武蔵溝の口駅武蔵中原駅、武蔵小杉駅などからバスが出ている。個人的には、東急田園都市線梶が谷駅から2キロほどのお散歩をお勧めしたい。ゴミ焼却所(プール)の裏の道は古墳公園もあって楽しい。